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第21話
「今度はどんな脚本がいいかな」
自宅の台所で、舟而は椅子に腰掛けて脚を組み、膝を抱えて、瓦斯コンロに向かう白帆へ話し掛けた。
「さよですねぇ」
白帆は蛸足の煮えて丸まったのを半分だけ口に挟むと、残りの半分を唇ごと舟而に差し出す。
舟而が蛸足と白帆の唇を同時に口にした瞬間、勝手口の扉が開いて、二人は肩をはね上げた。
「白帆ちゃーん! ……あら、どうしたの?」
椅子に座った舟而へ覆いかぶさったような白帆の姿に、次兄はきゅっと首を傾げる。
「ぼ、僕の目にゴミが入った、かな?」
舟而の言葉に合わせて、白帆は急いで舟而の瞼を上下に開き、覗き込む。
「あ、あの。餡子の毛が入っちまったみたいです。もう大丈夫ですよ、ええ」
「そうかい、ありがとう」
二人はなるべく自然と思われる動きで身体の距離を空け、一足先に立て直した舟而が目を弓形に細める。
「ちい兄さん、如何されましたか」
次兄は深緑色の何かが詰まった大きな瓶を差し出した。
「銀杏家特製の湿布を持って来たのよ。白帆ちゃんの大事な先生が、たくさん原稿を書いて、右の手首が痛いって言ってたから。ネルに塗って、手首に巻くといいんだわ。きっと、すぐによくなってよ」
「ありがとうございます」
差し出した舟而の手へどっしりとした瓶を乗せると、振り返って白帆の顔を見た。
「白帆ちゃん、たまにはウチへも顔を出しなさい。お隣に住んでるんだから!」
白帆は黒目を真横へ動かし、赤い唇を尖らせる。
「ちい兄様は簡単に隣って言うけど、ウチには箱根の山よりも切り立った高い塀があるし、そちらの庭には琵琶湖みたよに向こう岸の見えない大きな池もあって、越えてゆくのは、なかなかに大変な訳なのよ」
次兄は白帆の両頬をつまんで左右に引っ張った。
「しーらーほーちゃんっ、余計なお喋りはいいから、帰っていらっしゃい」
「いー、ふぁ っ!」
そこへ長兄が開けっ放しの勝手口から入って来て、次兄の手を白帆の頬から外させる。
「まったく、お前って奴は。白帆がそっとしておいて欲しいっていうのを無視して乗り込んで行ったと思ったら、何をしているんだ」
「だって、白帆ちゃんったら、そっとしておいたら本当に何の音沙汰もないんですもの!」
「舟而先生の受賞式や祝賀会で忙しかったんだから、ゆっくりさせたげなさい」
長兄は次兄の両頬をつまんで左右に引き伸ばし、めっ、と叱ると、腕を掴んで勝手口から出て行った。
舟而は拳で口元を隠し、壁の方へ顔を背けて肩を震わせた。
「決めたよ、次は三人をモデルにして書こう。日々の暮らしの中にも、本人たちにとっては難儀だけれど、傍から見ていたら面白いことはたくさんあるものだ。さすがに三兄弟では差し障りがあるかもしれないから、『三姉妹』なんてどうかな」
「構いませんけれど。私や兄たちで、お役に立ちますかねぇ」
白帆は揃えた指先を頬にあて、眉尻を下げて笑った。
「うん、こりゃあダメだな」
脚本部長の部屋で、窓を背に大きな椅子に座った森多は、企画書とプロットをぱらぱらとめくると、舟而に向けてかわらけを投げるように手首のスナップを効かせて放り投げた。
床に散った紙を一枚ずつ拾い上げながら、舟而は首をひねる。
「そうですか? 面白いと思ったんですけど」
「こんな庶民の暮らしを書いて面白いと思うほど、舟而先生はお高く留まるようになっちまったってことじゃないのかね」
「僕だって庶民ですよ」
「アーアア、イヤだねェ。文藝会大賞を受賞された大先生は。すっかり感覚がおかしくなっちまっている」
蝿を追い払うように手の甲に押し退けられて、舟而は「考え直してきます」と部屋を出た。
舟而は舞台が跳ねたあとの白帆にプロットを見せた。
「あはは、おっかしい! これ、とても面白いですよ! 私、確かに兄たちには、こういう態度をとってます。布団ごと運ばれましたしね。兄弟が三人いたら、こういう揉め事もありますし、簡単には切れない兄弟の縁が、鬱陶しくもあり、それでもやっぱりありがたくもあり。……ホント、とてもいいと思いますよ」
白帆は口を丸く開けて、景気よく笑った。
「お前さんに笑ってもらえると、僕の心も慰められる」
舟而は肩の力を抜き、表情を緩めた。
「ところで、布団ごと運ばれた私だけがいいように書かれて、お座布団ごと運ばれた先生は登場なさらないんですか? ちょっとずるくありません?」
黒髪をさらりと揺らし、白帆は舟而の顔を覗き込んで笑った。
「なるほど、それはいいかも知れない。女ばかり三人じゃ、広がり過ぎる。男が一人入った方が、劇の進行も上手くいく」
しかし、二度目のプロットも床に散った。
「何だろうね、その新しく出てきた情夫は。何だかスカしてて、ぼくは鼻について気に入らないね。全く以ていけ好かないよ」
舟而はまた紙片を拾い上げて、首を傾げつつ辞去した。
「もっと面白く、わかりやすくなりましたけどねぇ。私はこの情夫のこと、大好きですよ?」
白帆はプロットを見て、もっと大きな口を開けて笑った。
「そりゃ、お前さんに、この情夫はいけ好かなくて嫌いですなんてやられちゃ、今晩、僕の寝る場所はないからなあ」
「ふふふ。今夜も私の上に寝て下さらなけりゃ、ね」
舟而は白帆の目を見つめ返し、そのまま抱き寄せて唇を奪った。
しかし、森多はそう簡単には話が通らなかった。
「プロットも、下書きも、今の舟而大先生なら、三回は直さなけりゃな」
「三回ですか? 一度見せて、そこに直しが入るのは覚悟してますが、三回って! そんなに直したら、話そのものが原形を留めなくなるじゃありませんか!」
「そのくらい揉まなけりゃ、舞台に掛けられる品質にならないんだから、仕方ないサ。天狗になった男は話が分からなくて困るねェ!」
舟而は部長室のドアを思い切り派手な音を立てて締めた。
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