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第23話

「ふん。ようやく発奮したな。プロット五本、全部預かるよ。内容はまだまだだが、執筆してもいいという判断は出るかも知れない」 机の上の箱にバサッと投げ入れられて、舟而は軽い一礼で部長室を出た。 「よござんした」 「まあね」  ちゃぶ台に並んだコロッケに、舟而はぐさりと箸を突き立てた。 「どのプロットも、大変面白い内容でした。人間のさがというようなものが、ペーソスを含んだ笑いと共によく描かれていました。『幻談物』で名を馳せた舟而先生ですが、また新境地を切り開かれたという思いが致します」 自分の会社のプロットでもないのに、舟而に寄り添ってくれた日比は、せめてものお礼と振舞われた白帆手作りのコロッケをざくざくと頬張って、笑顔を見せた。 「プロットの返事を待つ間に、ウチの原稿を書いていただきましょう。五本全部採用になってしまったら、小説を書いていただく時間が無くなりますからね」 「日比君には、とてもいい加減な原稿は渡せない。肚に力を込めて、しっかり書くよ」  翌日から舟而は小説の執筆に取り掛かった。練り上げたプロットに沿って、毎日白帆特製の焼きおにぎりをかじりながら、朝から晩まで筆を進めた。 「こんなに早く頂けるとは思いませんでした。すぐに校正して、印刷所へ回しましょう」 日比は長編小説一冊分の原稿を持参した油紙に包んでから、鞄に入れると、しっかり抱えて帰って行った。 「そう言えば、脚本のプロットは返事が来ないな」  暦を見れば、すでに一か月が経過していて、月例会議は終わっているはずだった。 「ああ、忘れてなかったのかい。全部没だよ、当然だろう」 森多は椅子の背もたれに寄り掛かり、左右の肘掛けに両肘を預け、革靴の先で床を小刻みに叩いた。 「……没……ですか?」 「そりゃそうだろう。あんなやっつけたように書いたプロットなんて、通る道理がないじゃないか。まさか採用されるとでも思ったのかい」 「思っていました。時間は短かったですが、内容は悪くないものばかり、会社の方針に沿う娯楽性もあったと自負しています」 「アーアア、ヤダヤダ、ヤダねェ、ちょっと賞をもらったくらいで、すっかり天狗になりやがって。きみはもともとスカした鼻につく奴だったけど、ますますそれが増して、もうぼくの鼻はその臭いに曲がりそうだよ。ああ、臭い、臭い」  鼻を摘まんで、顔の前で手のひらを左右に動かされ、舟而は大きく息を吸った。 「オヤ、舟而大先生。本当のことを言われて怒ったのかい? ヤダねェ!」 舟而は静かに息を吐き出した。 「では、プロットは全部取り下げます。返してください」 「捨てたよ」 「は?」 「あんな役に立たないプロットを持ち帰ってどうするんだい? 変なものにしがみついていないで、さっさと次のプロットを書き給えよ」 「没でも、変なものでも、僕には大切な手掛かりです。お返しいただきたい」 「無理無理。とっくに燃されてるよ。荼毘に付してやったんだ。成仏させてやったんだから、感謝してくれ給え」  舟而は自分の口の中で奥歯が擦れ合う嫌な音を聞いた。そのまま踵を返すと、派手な音を立ててドアを開閉した。一礼するのを忘れたと思ったが、構うもんかと歩き続けた。 「おかえりなさいまし。先生、日比さんがおいでです」 玄関へ迎えに出た白帆は、少し青ざめたような顔をしていた。 「どうした? 校正で何か問題があったかい?」 「先生の原稿を印刷してくれる印刷所がありません」 日比が押し上げた眼鏡の奥で、瞼が忙しなく開閉する。 「こんな経験は、初めてです。印刷所に回し状をまわすなんて、初耳です」 「回し状?」 「どこの印刷屋もなかなか口を開かなかったんですが、日日新報の頃から付き合いのある印刷屋が教えてくれました。『渡辺舟而は危険思想の持ち主であるからして、彼の小説は一切印刷せぬように。印刷した場合は危険思想の頒布を助けたものとして通報す』と、まあそんな具合で」 一枚のざら紙を差し出した。 「僕が危険思想の持ち主? 僕はノンポリ(非政治的)だぞ」  舟而はざら紙に刷られた文字へ目を走らせながら、口を尖らせる。 「わたくしがいくらそんな内容ではない、全部読んでみてくれと言っても、印刷屋の親仁(おやじ)たちは近寄るのも嫌だといったふうでして。その牛牛(ぎゅうぎゅう)会というのは、印刷所が多く集まる牛込界隈を取り仕切る集団で、印刷屋の親仁たちが睨まれたくないという心理に陥るのは致し方ありません」 「ギューギュー会なんて、満員電車みたよなお名前は、私、初めて聞きます。そんな知り合いはいません」  白帆は黒髪を左右に振った。 「知り合いだったら、むしろこんなものを回したりしないだろう。僕がノンポリだってわかっているんだから」 舟而は白帆が淹れてくれたほうじ茶を飲みつつ、何度も回し状を読み返した。 「興行をやるものは、その土地を仕切る方々と、よらぬお付き合いはあるものですけど……、銀杏の兄に訊いてみます」  白帆は下駄をつっかけて勝手口から飛び出していき、舟而は左手を頭の中に突っ込んで髪を掴んだ。

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