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第25話
「あーら、えっさっさーっ!」
牛牛 会の法被 を着た男が、尻っ端折りをして、凧糸を通した五銭銅貨を鼻に押し付け、豆絞りの手拭いをほっかむりして、見事などじょう掬いを演じる。
掬ったどじょうが逃げるのを追いかけるかのように、ゆらゆらと前後左右に上手く笊を動かして、牛牛会も銀杏家も関係なく、皆でやんややんやと手を叩き、隣の者と肩を揺さぶり合って笑い、合いの手を入れて囃し立てる。
「やあ、見上げたものですね」
所狭しと料理が並ぶ膳を前に、牛牛会の男の酌を受けながら、日比は銀縁眼鏡の奥の目を細める。
「この状況に馴染んでいる、日比君のほうが見上げたもんだよ」
舟而も、どうもと小さく会釈しながら酒を注いでもらいつつ、懐中時計を見た。
「なーに、時計なんか見ちゃってんの。先生ったら、ホントに野暮天ねぇ! あたしが踊るんだから、見てなさいよっ!」
手のひらの形がわかるほど強く背中を叩かれて、舟而はどじょう掬いのように盃を動かして酒が零れるのを防いだ。
次兄は宴席の真ん中にすらりと立つ。
三味線を構えた門人は三下 がりに調弦すると、ヤァッっと掛け声を発し、同時に軽快な太鼓と賑やかな三味線の音楽が始まり、「目出た、目出た~ァ」と唄われて、次兄は舞扇をひらりひらりと動かしながら、江戸っ子らしいきっかりとした踊りを踊り始める。
「そういえば、ちい兄さんの踊りを見るのは初めてだ。さすがだな」
「おしとやかな京都とは違う、粋な踊りですね」
「京都の踊りも知っているのかい」
「まあ、学生時代には、そういうこともあったんじゃないでしょうかね」
「僕より日比君のほうが、よほど槍玉に挙げられるに相応しそうだね」
「先生と違って、わたくしはきれいに後始末を致します」
「どうせ僕は野暮天だよ」
踊りが終わって、今度こそと立ち上がると、そのまま門人に手を引かれて、座敷の真ん中に座らされ、三味線が金毘羅船舟 と始める。
脇息 の上に酒徳利の袴を置いて、牛牛会の毬栗 男の相手をさせられた。
「金毘羅船舟、追風 に帆かけて、シュラシュシュシュー!」
脇息の上に袴があるときは指先を伸ばして、ないときは拳にして手を乗せなくてはいけない、というだけの遊びだが、三味線の調子が早くなって、飲んだ酒も頭を回り始めると、この単純な遊びでもミスが出る。
「いちど まわれば、こんぴら……」
「あっ!」
毬栗男が袴を脇息の上に置いて手を離したのに、うっかりと誘われた。すぐに袴は取り除けられて、舟而は何もない脇息の上に拳を置いてしまい、見ていた人たちに囃される。
「さぁさ、先生、お仕置きですよ!」
大振りの盃になみなみと酒を注がれ、手拍子に囃されながら一息に呷った。
舟而が盃を空にすると、賑やかな拍手が起きて、苦笑する。
「では、僕はこれで」
立ち上がって部屋を出ようとするのを、今度は長兄に手首を掴まれ、再び脇息の前に座らされた。
「先生、お手合わせ願おう」
こんぴらふねふね、と手を動かし、三味線の調子が変わっても二人は根気よくついて行って、互角の戦いは見ている者たちが尻を浮かせるほどに長く続いた。
舟而が袴を取る振りで取らず、引っかかりそうになった長兄が既 の所で指先を伸ばし、歓声が上がって舟而の集中力が切れたところを逃さず、長兄が袴を奪い、舟而はうっかりして指先を伸ばしたまま脇息を触ってしまって勝負がついた。
「しまった! 悔しいな」
長兄に笑顔で酒を注がれ、素直に飲んで、舟而も笑った。
「あたいは、あんたがいいんだよ! 頼むよ、ねえ。一晩だけさあ!」
首から下へのみ白粉を塗り、髪をほつれさせたかつらを被った白帆が、衣紋を大きく抜いた着付け方をして、三つ揃いを着た紳士に追いすがる。
「あっ、痛いっ!」
突き飛ばされた白帆は太腿まで露わにしながら倒れ、泣き濡れた。
「二度と僕に触れるな、売女!」
そこで劇伴が鳴って、舞台は幕を閉じた。拍手はまばらで、場内は空席が目立つ。
「白帆だと思って観に来たのに、胸糞悪ぃなぁ」
「これが世の中、現実、男の本性かもな」
「男なんて言葉で一括りにしないでくれたまえ。僕は違うと思いたい」
「なにか、景気づけに美味しい物でも食べて帰ろっか……」
目の肥えた客は料金の安い二階席を買い、その代わりに頻繁に小屋へやって来て、芝居を楽しむ。
だから客の声を拾うときは二階席へ行け、そう舟而に教えたのは森多で、森多も二階席の一番後方に立っていた。
「あーあ、白舟コンビが観たいなぁ」
「有名になりすぎて、忙しくなっちまったのかね。小説もいいけど、早く芝居も書いて欲しいもんだよ」
「白帆が出ても、舟而のホンじゃなかったら、今度はもう観に来ないなぁ」
不機嫌な声が次々と森多の耳の横を通り過ぎていく。
顎を引いたまま、ぎろりと目だけを動かして二階席を見回し、いつもの左後方の壁際に舟而の姿がないことに気付いた。
あまりにも同じ場所に舟而が寄りかかるので、そこだけ壁が擦れて色が明るくなっている。
「ふうん。世話女房が舞台に出ている間を縫って、逢引にでも出かけたか。相変わらず抜け目のない奴め。何食わぬ顔して白帆の楽屋に顔を出すつもりだろうが、そうは問屋が卸さないぞ」
白帆の楽屋を覗きに行ったが、森多の予想に反して舟而の姿はなく、地味な紬に着替えた白帆が、化粧前に置いた時計を見て小さく首を傾げていた。
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