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第27話
「では、そろそろ」
縄師はそう言うと、次の間へ続く襖を全開にした。
少年が長着を脱ぎ落すと、鮮やかな緋色の長襦袢姿になった。透き通るような肌に緋色が映って、より一層肌が美しく見える。
「縛りをご覧になるのは初めてですか」
静かに訊かれて、白帆は素直に頷いた。
「はい」
「では一番基本的な後手 縛りをご覧に入れましょう」
少年は白帆に背を向けて、自ら腕を背中に回す。互いの肘を掴むようにして手首を重ねると、縄師はその手首に縄を巻き付けた。
「もっと近くへ来てご覧になりますか。どうぞ」
呼ばれて敷居に近い場所まで行った。手のひらに載せた小指ほどの太さの縄を白帆に見せる。
「これが縄です。縄は二つ折りにして使います。二つ折りのわを縄頭 、反対側を縄尻 と呼びます。縄尻はそれぞれこぶ結びにしてあります」
「はあ」
「縄は肌に触れたときに痒くないように、火で炙って毛羽を取り除いてあります」
「さよですか」
確かに白帆が荷造りなどで使う荒縄と違って、表面に艶があった。
「お、お嬢様がいません! 楽屋も稽古場も風呂場も楽屋も楽屋も楽屋も厠も全部探したんですが、まったく姿が見えませんっ!」
門人たちは這うようにして帰って来て、宴会をしている人々に向かって叫んだ。
「劇場の門番に訊きましたら、森多先生の車でお出掛けになったそうでございますっ」
全員がその言葉に息を飲む中、舟而は落ち着いた声で言った。
「会社の車輛部に、森多先生の役員車の運行記録を問い合わせましょう。森多先生のことですから、途中で俥やタクシーを乗り継いで行き先を誤魔化すなどという知恵はないはずです。行き先はすぐに分かります。電話を貸してください」
舟而は電話交換手に会社の総務部の番号を伝え、総務部から車輛部へ問い合わせをしてもらった。
「牛込神楽町ですか。小さなお稲荷さんのある辺りでしょうか。……ああ、やっぱり」
舟而が電話を切って振り返ると、銀杏家も牛牛会もごちゃ混ぜにひしめき合っていた。
「牛込神楽町なら、牛牛会のシマでさあ!」
「討ち入りだあっ!」
拳を振り上げるのを、苦笑しながら小さく手で制した。
「そんなことをしたら、白帆を助ける前に店の垂木が折れてしまうから、代表者だけでいいよ。森多先生相手に、そんなに大人数は必要ない。店に電話を掛けて、森多先生と白帆の足止めだけ頼んでから、出掛けよう」
「牛牛会の威信にかけて、足止めさせて見せやしょう!」
「ああ、ではお願いします」
舟而は目を弓形に細めた。
「しろと さんが見様見真似でなさると、関節や神経を傷めることがありますから、初めて縛りをなさるときは必ず縄師と一緒になさってください」
「え、ええと。……はい」
「特に手首は緩くて結構です」
縄師が手首に巻き付けた縄は本当に緩く、手首と縄の間に自分の指が入る余裕があることを念入りに確かめていた。
手首に巻いて、余った縄へシュッと小気味よい音を立てて手のひらを滑らせ、ぴたりと貼り付けるようにしながら縄を身体に回し、胸の上を通して一周させる。次に背中の結び目に絡げて折り返し、もう一度反対向きに胸の上を通して縄を回して、背骨の上でキチッと音を立てて結んだ。
「所作も美しくてらっしゃるんですねぇ」
縄師の手の動きに、白帆は感嘆の声を上げる。
「荷物を縛るのではなく、人を縛るのですから、互いの尊敬と信頼が大切です」
「尊敬と信頼って、お芝居をするときと同じですね」
白帆の言葉に、縄師は目を細めた。
「それから、縄の姿にも気を使います。このように縄は重ねず、並べて揃えます。細かい部分を丁寧にすることが大切です」
話しながらも手は止まらず、二本目の縄を結び目に継いで、今度は胸の下に二周回し、脇の下を通して、身体に巻き付く縄へ、縄同士が重なって見目悪くならないように気をつけながら、縄を絡げて張力を調整する。
「痺れていないか」
縄師の問い掛けに、少年は小さく頷く。
「これで後手は完成です。これから後手を飾る縛りをします」
「飾るんですか」
「縄は人の身体を飾るんです。人の身体の美しさを強調するんですよ」
「はあ、成る程。お衣装みたよなものなんですね」
白帆は身体に巻き付く縄へぐうっと顔を近づけたり、身体を引いて全体を眺めたりして頷く。
緋色の襦袢の少年は、縄に身体を任せて従順で、畳の上に横座りをすると、縛られて真っ直ぐな上半身と対照的に下半身の曲線が艶めかしい。襦袢の合わせ目から白い脚がのぞき、俯く横顔に影が差して、突然一輪だけ咲いた曼珠沙華のように美しかった。
「後手をお試しになりますか。お着物が皺になりますから、襦袢だけになっていただくほうがよろしいです」
「私がですか?」
ためらっていたら、森多が白帆に向かって言った。
「いいじゃないの、仔猫チャン。何事も勉強だよ。次の芝居で必要な役作りだヨ!」
「役作り……。では、お願い致します」
白帆は一文字に結んでいた帯を解き、紬の長着を脱いで、純白の襦袢姿になると、緋色の襦袢を着て後手に縛られている少年の隣に座った。
少年がしたように両腕を背中に回して手首を重ねると、縄が巻き付く。くいっと上へ引き上げられて、背中へくっつけるように縄が胸の上へ回され、下にも回され、固定された。
「痺れはありませんか」
「はい、大丈夫です」
「吊るしもやってみましょう」
「吊るしって何ですか」
「まずは右足をお借りできますか」
純白の襦袢の裾を捲られて、真珠色の右の太腿、膝に近いあたりへ縄を掛ける。その縄尻を欄間の隙間へ通して引っ張ると、白帆の太腿の付け根と膝が直角になって、右足が浮いた。
「わあっ」
「大丈夫ですから、怖がらずに後手縄に身体を預けてください」
そう言って背中を押され、白帆は胸の前を通る縄へ倒れ込むように体重をかけると、身体が浮いた。
「ひゃあっ」
持ち上がっている右足は膝で曲げられ、ひざ下と膝上を束ねるように括られた。
「面白うございましょう? 次に左の足も挙げて行きます。右足を正座するように曲げていますから、血流が長時間阻害されないように、左足はすぐにやる必要があります」
左は足首の上あたりに縄が掛かって、そのままぐうっと、つま先が鴨居に触れそうなほど高く引き上げられる。
襦袢の裾は腿の付け根まで捲れ上がり、皮膚の深い場所から光る真珠色の肌を持つ脚が見事に露わになった。
「左右の足が非対称なのもかっこいいですね」
「そういうもの、なんですか……?」
肩をついっと押されると、欄間の下で白帆の身体はくるくると回転した。
「わあ、面白い!」
もう一度、肩を押してくれて回る景色を楽しんでいたとき、階下でたくさんの足音と、耳に慣れた声がした。
「白帆はどこだい! 白帆っ! 白帆っ! 返事をしなさい!」
「はーい! 先生、ここでございます。お二階でございますよぅ!」
白帆はゆらゆら揺れながら笑顔で答えた。
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