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第31話

 真夜中に、気配が動いた。  衝立の奥で電気スタンドの明かりを頼りに読書していた日比が、微かな怯えを胸に秘めつつ、そっと立ち上がって様子を見に行くと、淡くした電気スタンドの光の中で、舟而は顔を横に向けて目を開けていた。 「先生、お水を飲まれますか、厠へ行かれますか」 日比の問い掛けをどちらも否定して、舟而は赤いリボンを引っ張らないように気をつけながら、そろそろと隣で眠る白帆の顔へ手を伸ばした。  汗ばんだ頬に張り付く黒髪を、小指の先でそっと剥がしてやり、目を弓型に細めて飽くことなく眺め続ける。 「そんなに見つめたら、白帆さんに穴があきますね、先生」 「ん? まあ、数えの十五からここまで穴だらけにならず持ち堪えてくれたんだから、あと数日くらいどうってことないだろう。いい役者ってのは、人の視線に強くできてるよ。見事だと思うね。……ああ、白帆は本当に見事だよ」 舟而はまたすうっと眠った。  日曜日の朝、前日に降った雨で空が洗われて、気持ちのよい光がきらきらと差し込んでいる部屋の中で、舟而が不意に目を開けて、しばらく天井の辺りを見据えたのちに白帆を見た。  清明な黒目で白帆を見て手を動かしたので、白帆はすぐにその手をとった。 「僕は白帆と出会ってから今日まで、一日も悔いのない、まったく幸せな人生だったよ。お前さんはうぶで真面目で純情で、一本気で、どうなることかと思ったけど、いい役者になったね。いろんなことがあったけど、つらいときも、苦しいときも、白帆がいてくれたから幸せだった。本当にありがとう」 「何で急にそんなこと言うんですか」 「僕はもう死んじゃうからだよ」 「嫌です!」 「まあまあ、そう言うなよ。人の生命はどうにもならないんだから。三途の川の橋の向こうでお前さんが来るのを待っているから。ゆっくり、ゆっくり、来るんだよ」 白帆は畳の上に水たまりができそうなほど、ぽたぽた、ぽたぽたと涙をこぼした。 「白帆は僕といて幸せだと思ってくれたかな」 「当たり前じゃありませんか、だから一緒にいるんじゃありませんか! でも今は先生が意地悪をおっしゃるから、幸せじゃありません」 「ごめんね、白帆。機嫌を直しておくれ。お前さんに機嫌を損ねられたままじゃ、気になって成仏できないよ」 白帆は何も答えず、つないだ手の甲にもぽたぽたと涙をこぼした。 「日比君も一緒に聞いてくれ。僕の葬式は、白帆が喪主になって、全て白帆の気が済むようにしてやってくれ。通帳は白帆の名前で作ったのが、書斎の机の一番上の抽斗にある。僕の書いたものは、日比君に全て任せる」 「わかりました。いずれそういうときがきたら、そのように致します。体力がついて手術を受けたら、お元気になられて笑い話になると思いますが」 「そうだといいね。人の生命はわからないから、案外長生きするかも知れないからね」 舟而は励ますように、白帆とつないだ手を揺すった。  しかし、その日の夕方から昏睡した。 「先生」 出版社や新聞社の人間だけでなく、役者も劇場のスタッフも集まった。  皆で次の間に控え、交代で寝ずの番をした。  片時も離れたがらない白帆は、消耗を抑えるために舟而の隣に寝かされ、横になったまま付き添った。  翌朝、舟而は顎を下げるような呼吸をして、喉の奥がゴロゴロと鳴っていた。 「何かあればすぐに連絡してください」 往診に来た医者を日比が玄関で見送っていたとき、付き添っていた誰かが叫んだ。 「呼吸が止まった!」  舟而の顔からはみるみる血色が失われ、医者が調べると瞳孔は散大し、心音も呼吸音も聞き取れなくなっていた。 「深呼吸を三回されて、それきり……」 医者はその言葉に頷いた。 「先生、ご苦労様でござんした。楽しい地獄でございました」  白帆は舟而の頬を撫でた。  舟而の書斎はきちんと片付けられていた。  言われていた通帳は机の一番上の抽斗の中に、凧糸を十文字に絡げた古いキャラメルの箱と共にあり、さらにその下に原稿用紙が入った封筒を日比が見つけた。 ----- 『銀杏白帆という役者』   渡辺舟而  二代目銀杏白帆という役者がいる。  歌舞伎役者の家に生まれ(なが)ら、年の離れた兄たちに甘やかされるという理由で、新歌舞伎の一座へ移籍した。順調に数えの十歳で初舞台を踏んでい乍ら、十五歳の時、声変わりに焦れて思い詰め、作家の家に書生の名目で転がり込んだ。  役者のくせに女中のようなことをして、肉や魚や野菜を買って煮炊きをし、掃除や洗濯もし、庭の草むしりも、茶汲みも、原稿を届ける遣いもした。  ことに掃除には熱心で、締切に追い立てられている作家を、はたき片手に追い立てて歩くので閉口したが、片襷に前掛け姿で台所に立ち、拵えてくれる焼きおにぎりは作家の大いなる原動力になった。  白帆は役者のくせに地味な生活を好む性質で、書斎で本を読んで過ごすことが多かった。  シェイクスピアも枕草子も源氏物語も芭蕉も西鶴も漱石も何でも読んだ。  それらの素地があって、二代目銀杏白帆は形成されていった。  何を気に入ったのか、情に厚い性格が独り暮らしの作家を見捨てられなかったのか、作家の家に暮らすことを決めて、そのまま居着いた。  だから白帆は舞台の上では華やかだが、日常の暮らしは今をもって地味である。  二代目銀杏白帆には、芍薬や牡丹の花のような重ねの厚い華やかさはない。その代わり、白百合や水仙のようなすっきりとした甘さ、美しさがある。  従来の舞台であれば、白帆の美しさは華がないという一言で片付けられていたであろう。  しかし、その地味で足元が(しっか)りした毎日の暮らしと読書三昧な教養の深さ、そしてもちろん日々のたゆまぬ芸事への取り組みが、時代の変遷に相俟って、銀杏白帆という新しい美人像を世間に受け入れさせたと思う。  すっきりとした美しさは、古典歌舞伎の表現には物足りないが、新歌舞伎の文学的な表現には適している。細やかな心理描写、深い文学性を表現するとき、むしろ華美は邪魔である。  彼のために多くの意欲的な脚本が書かれ、白帆はどの作品もよく理解して演じている。よく演じてくれるから、作家はまた脚本を書こうと意欲を掻き立てられる。よい循環が生まれている。  最近の白帆には、若く美しいだけではない落ち着きや滋味、長年一座を率いてきたことで養われてきた慈悲深さが、艶となって現れてきているように感じる。  年増を演じても客席をのぼせさせる色気があり、僕はあえて当代一の役者だと手放しで白帆を絶賛したい。  もしもまだ二代目銀杏白帆の舞台を観たことがない方、最近は観ていない方が居られるならば、ぜひ劇場へ足を運んで頂きたい。僕が彼を敬愛する理由がお分かりいただけると思う。  今後もどうぞ二代目銀杏白帆をご贔屓に。  銀杏屋! -----

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