6 / 84

いつものこと

「橘!」  横山先生の癇性な声が響いた。明らかに僕達の方を見遣りながら、苛立った様子だ。  柚弥は、物凄く不機嫌そうに瞼をもたげ、緩慢な動きでまだ机に突っ伏したまま、少しだけ頭を上げて前を向いた。 「63ページ、練習6の証明、ここ、やってるか」 「やってません」  憮然とした声で、あっさりと返した。 「ユッキー」「即答だし」  クラスメイト達の愉快がるような笑い声が、ひそやかにさざめく。  横山先生は小さく嘆息して、 「もういい。……後で職員室へ来い」  短く言い捨て、そのまま授業の続きを再開させた。  少しばかりざわめいたクラスは、程なくして元の姿に戻った。  隣の柚弥は、すっかり目も覚め、表情も冷め切った様子で窓の外を眺めている。  やっぱり、起こすべきだったか……。  寝ていたのは彼だが、うっかり彼の寝顔に見惚れてもたもたしていたのは事実で、その後の授業もどこか落ち着かず、僕はずっと申し訳ないような気持ちを拭えないままでいた。  授業が終わると、横山先生はちらりとこちらに目を向け、教室を退室しようとしていた。  柚弥は、ふうー、と長い前髪を持ち上げるように息を吹きつけ、仕方なく、といった様子で椅子を退き、立ち上がった。思わず僕は声を掛ける。 「橘君、ごめん……!」 「ん……?」 「ごめん、気付いてたんだけど、起こすのちょっと遅かった……」 「ええ……? 何でえ、裕都君が謝ることないよ! 寝てたの俺だし! てかごめんね、むしろいきなり寝ちゃって」  僕が謝ること自体全くおかしいとでも言うような、柚弥は笑い飛ばすようにけらけらと笑っていた。  そうではあるけれど、曇りが消えず僕は追及せずにはいられなかった。 「うん……。でもまさか、呼び出されるまでは思わなくて……」 「ああ……、……大丈夫! いつものことだし、慣れてるから」  気にしないで! とにこやかに告げて、柚弥は手を翻し、弾むように入り口へと駆けていった。  いつものことなの……? と思わず彼の背に問いたかったが、 「松ちゃーん、昼ご飯どうする? 買い行こうよ」付近のクラスメイトが現れて、あっという間にその姿は、活気づく人混みのなかへまぎれ込んでしまった。 *  横山の後方に一定の距離を置き、その後に続いて柚弥は廊下を歩いた。  昼休みの喧騒で湧くさなか、間もなくたどり着いた職員室を横山はそのまま通過し、柚弥もそれに倣った。  職員室を過ぎて脇の渡り廊下の先にある南校舎一階は、通常授業に使う教室は疎らで人気(ひとけ)もない。やがて現れた視聴覚準備室の扉を横山は開けた。  当然のように無人の室内へ、柚弥もまもなく横山に次いで入る。  机の前で止まった横山を追い越し、柚弥は窓際にもたれ、陽が差す外の景色へ気怠げに瞳を遣った。

ともだちにシェアしよう!