32 / 84

ひみつの樹の下で

 連れて行きたい場所があると告げられ、購買で昼食を調達した後、柚弥の案内で僕達は『裏山』に向かった。  南校舎の裏の昇降口から出ると、右手にグラウンドが拡がり、併設されたテニスコートも見えそこは昨日見学させて貰った。  左手に小高い丘があるなとは思っていたが、そこも敷地内だったらしく、通称『裏山』だという。  グラウンドと裏山の間には鬱蒼とまではいかないが区切るように樹々が連なる歩道が伸びていて、そこを左に抜けると視界が開け、裏山の斜面が現れる。 「あそこ」  柚弥が指差す方向を見て、僕は思わずささやかな溜息を漏らした。  裏山は、本当にこじんまりとした丘だ。  だけど歩道の林を抜けると、一気に外の風景が上に抜けていき、空に向かって行くような拡がりを感じた。  下に敷かれた芝生も程よく整備され、翠の敷布みたいに踏むと心地良かった。  丘の頂きに、大きな樹が一本、翠の傘のように枝葉を両端に向かって拡げて植わっている。おそらく、桜の木だ。  丘を昇って樹の下に着いて、驚いた。  緑蔭が、深いのだ。  見上げれば桜の葉がびっしり、来たる季節に備えるかのように生い茂っている。白い木漏れ陽がその編み目から控えめに差して、時折光が煌めいた。  きっと、桜の季節になったらと、胸に描いた風景に心が誘われそうになった瞬間、 その心を読んだように、柚弥が覗き込むようにして微笑んだ。 「そう。ここ、春になって、満開になったら凄いよ。一面ピンクの屋根みたい。凄く綺麗」 「そうだろうね……」 「ここ、俺の秘密の場所なんだ」 「え……」 「案外人が来ないんだよ。校舎から少し歩くし、大概皆中庭とか表のグラウンドの木で満足するみたいで。ここの良さ、あまり知られてないみたい。 だから俺、一人になりたい時とか、よくここに来る」 「そんな大事な場所、教えてくれて良かったの……?」 「いいんだよ。裕都君なら、大事にしてくれそうだし。むしろ教えて、一緒に来たくなったんだ」 「……」 「今までは、一人でしてたんだ。来年の桜の頃には、一緒にお花見ね!」  屈託なく笑う柚弥を前に、僕は返す言葉をすぐ見つけられず、下方に拡がる光景に瞳を移した。  下方の林道に沿うように、左手にグラウンド、テニスコート、右手には背面ではあるが南・北と校舎が中庭を挟んで並んでいて、脇には体育館があり、それらの前方にはメイングラウンドが拡がっている。  あそこに皆んながいて、まだ午後も授業があるのに、何だかそれも現実味が薄い、遠くへ逃れたような解放感がある。  緑蔭が、茹だるような暑さを薄めて、風の生温さの中に時折清涼すら運びこんでくるような気がした。 「良いところだね……」 「でしょう」 「…………柚弥君」 「んー?」 「どうして、——……僕にそんなに、良くしてくれるの……?」  出会って、本当に数えるばかりだ。夏休みに会って、昨日ここに来て、本当に、出会ったばかりなのに、彼のさまざまな表情、姿を溢れるように見てきた気がする。  どうして、こんなに色々な顔を見せて、笑って、嫌な態度を取ったのに、またあんなに嬉しそうな顔をして、 こんな大事な秘密の場所にまで、連れて来てくれるのだろう。  そんな想いを込めながら彼を見た。  柚弥は、僕と瞳を合わせたが、自分のしていることは、さほど大したことでもないという風に、少し首を傾げて、僕への答えに考えを巡らせながら、すとん、と芝生に腰を降ろした。 「うーん……」  小さく唸りながら、立てた膝の上に頬杖をついて、上向いた瞳のまつ毛が弧を描いて瞬く。僕も遅れてその隣に腰掛けた。 「——……多分、裕都君がきっと、 初めから俺のこと、に見てくれたからじゃないかな……」  その言葉の意味を測り、え……という呟きを口に宿したまま柚弥を見つめたが、 彼は上向いていた瞳を真下の芝生に向け、静かに微笑しており、 その横顔を緑蔭が淡く覆い、輪郭は滲むように縁取られていた。

ともだちにシェアしよう!