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諦め、悪いんだ

   教室に着いたのは、5時間目が始まる3分前だった。  あの場から腰を上げるのには、正直相当なこころの推進力と、背を押される力が必要だった。  だけどもう何も振り返らず、半ば自棄のようにして脚を運んで来て良かった気がする。  結局、枠からはみ出た生き方の出来ない自分に自嘲はあるものの、 始業前のドアに手をついた時に感じたのは、やはり一定の安堵だった。  窓際に目をやると、柚弥(ゆきや)が机に突っ伏しながら、封がしたままのチョコクロワッサンを手の中で弄び、諦めたように袋の中へ戻し入れているのが見えた。  傍らにはストローの刺さったいちごオレがある。  僕が戻って来たことに気付くと、伸ばした腕の中に沈んだ顔が僅かに上がり、瞳が緩んだ。 「——……おかえり」  椅子を引き、座りながら応える。 「…………ただいま」 「良かった。戻って来てくれて」  腕の中から唇も昇り、見せた笑みは、昼下がりにそぐいどこか気怠げなものだった。 「…………うん」 「裕都(ひろと)君、お昼食べた……?」 「……うん」 「そう。俺も食べたよ。筋子のおにぎり、マッハで。……ちゃんと食べれた?」 「うん。来る前とか、あと、歩きながらも少し……」 「あはは、結構ワイルドだな」  ごめんね、時間なくて、という彼の呟きは、5時間目の本鈴と先生の入室のもとへ立ち消えて、裏山から戻って来た僕達の会話は、それきりになった。  それからの柚弥の態度は、昨日からのものと、何ら変わりはなかった。  (はた)から見たら、昨日の放課後、今日の午前中、昼休み。僕達の間にあった何かなんて、殆ど気取られることなどなかったと思う。  午後の授業から、柚弥は昨日同様僕の世話を焼いてくれたし、授業中の雑談もこっそりしてくれた。  普通に笑みを見せてくれたし、軽口をきいて、休み時間には、他のクラスメイトも介して他愛ない話にも加わらせてくれた。  何も変わらない。昨日転校して来たばかりの生徒(ぼく)と、隣の席の明るい彼。  僕と彼との間に、これからの学校生活における支障は、周りの皆を始め、先生も、何ら感じることのない安定したスタートを切れたように映ったことだろう。  だけど僕はもう感じていた。  きっと彼は、僕との付き合い方を『決めて』しまったのだと。  自分や、多分きっと、"僕のことをも"守るために。    普通に友達として、隣の席のクラスメイトとして、きっと彼はこれからも自然に笑ってくれる。  だけど、もうあの裏山に連れて来てくれて、桜の木の下で見せた笑顔や、あの場所へ供に行くことは、 もうきっと、ないのかも知れない。  それはそれで構わない。彼を非難できる訳がないし、むしろ、彼は彼自身を守るために、その殻で自分を覆ったのだ。  そしてそうさせてしまった原因は、少なからず僕にある。  そうであるのは構わない。  痛々しさ、やる瀬なさ。感じてる勿論。——なのに、ごめん。  ふた種類のごめん。だからとだけど、ない混ぜになっている。  君は君の思う通りに。  だから僕も、 ——僕の思った通りにする。  優しいって、よく言われる。  優しいって、 何だろう?  彼のことを思うのなら、そのまま彼の思うようにさせて、僕も彼の膜を通した表面上の友達として、振る舞うことが『正しい』のであって、 きっと、『優しさ』っていうものだろうに。  だけど僕は、やっぱりそれでは駄目だったのだ。  きっと君はまだ知らない。君はあんなにも君の(なか)をさらけ出してくれたのに。  僕がこんなにも自分勝手で、"傲慢"だということに。  ああ僕は、馬鹿がつくほど実は頑固で、 おそろしく、諦めが悪いんだ……。

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