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南校舎へ

 柚弥の言っていた通り、前の席の折戸(おりど)君は、男子高校生には珍しい美容系チャンネルの配信をしている。  LHRがひけた今は、ライバルであるらしい、同じ美容系男子高生のKANADEΩαの登録者数を抜くべく、作戦会議が開かれていた。 「俺のおかんと姉ちゃん、あの無料お試しキット、めっちゃ絶賛してたけど」 「ああもうそれ、家族全員分請求しちゃった……」 「ユッキー降臨じゃね? 隣で宿題やってるだけで、アクセス数爆上がりしたんだろ?」 「もう解る? この屈辱感!」 「いいよ、いつ行ったらいいの」  いつの間にか折戸君や柚弥を囲うように、皆が椅子を持ち寄って集まって来ている。 「7日は一応KANADEの生誕祭だから、そこは避けてあげようかと……」 「そこ狙わないんだ。優しいね」 「いいじゃん。7日、行こう」 「ユッキー、怖いな……」 「そう怖いんだよこの人。横でしつこくまるやんにちょっかい出してると思ったら、突然スイッチ入ると『さっきの純粋レチノールってやつ、何でシワ改善に繋がるの? もう一回皆に解るように説明して』とか……。スパルタの女教師みたいな……」 「当たり前だ。だって勝ちに行くんだろ? KANADEに」 「まるやんて何」 「折ちん()めっちゃぶさい顔の猫がいるんだよ! ああ守りたい、あのぶささ……」 「もう解るんだって、まるやんも! こいつ敵だって。普段全然怒らないのにさぁ。ユッキー来た時……。シャーとか言ったの、初めて見たから!」 「てかこのアカ名のmeeteee(ミーティー)☆って名前の光流(みつる)から来てる? まるやんといい、折ちんの命名センス……」 「いいじゃん別に! つかまるやんはおかんが付けたんだよ!」 「折戸君、配信が奮わないなら、良ければ是非放課後は……」 「うん。遠くからわざわざ有難うね。別に奮わない訳じゃないし、入らないよ。天文科学部は」 「…………ちっ」  多方面から飛んで来る軽妙なやり取りに笑みが漏れ、急速に張り詰めていく心を忘れるようだった。  持ち帰る物の整理を終え、僕はリュックを脇のフックに掛けた。 「あっ、つか松ちゃんも行ったらいんじゃね? イケメンが増えたとか上がるでしょ」 「一応、イケメン召喚でないところで勝負したいんだけど……。松ちゃん、うち学校から凄く近いから駅行く前に寄れるよ。猫好き?」 「凄いぶさい顔の猫がいるよ」 「ぶさいぶさい言うけどさ! ヒマラヤンて大体ああいう顔なんだよ!」 「うん、好きだよ。どっちかっていうと犬派だけど。迷惑じゃないなら。7日、行くよ」  やった、KANADEに勝てるかもしれね! と折戸君は拳を握ってすでに目を輝かせていた。  楽しみだ。本当にそう思いながら、僕は椅子に手を掛けて立ち上がった。  いっそ、特別版として天体の話を垂れ流しては……と遠くからまだ金塚(かねつか)君がねばっていたので、また話がこじれた方向へ盛り上がる。  頬を乗せた掌の上から、柚弥がこちらに視線を向けている気がした。  収拾がつきそうもない会話を聞こえるまで楽しみながら、僕は2Fの教室を後にした。  この廊下を通って中程を左に折れると、渡り廊下が南校舎と繋がって中庭の頭上に架けられている。  夏休みのあの日、別れた後柚弥がここを通って渡り廊下に向かって行ったことをふと思い出した。  あの後、横山(よこやま)先生が学校の主だった教室の位置を詳細に教えてくれたので、その時の内容もよみがえってくる。 『まだあまり用はないかも知れないけどな。一応、あっちの三階は一列に……』  北校舎は、一階に各種職員の部屋、二・三階に一・二年の教室。  南校舎は、美術室、視聴覚室、理科室や社会科教室など特別授業に使う教室が点在していて、そして三階には、 ——横一列に三年の教室がある。  渡り廊下を歩いている時から、放課後の賑やかな雑音がほぼ聞こえていないくらい、緊張している自分に気付いた。  今更だ。  だけど、これからそこへ行って、どうするつもりなのだろう、僕は。  意味はないのかも知れない。むしろ甚だ場当たり、筋違いにも程がある、色々な痛烈な言葉がつぶてみたいに浮かんで降って来る。  だけど、どうしようもないんだ。  昼休みに柚弥のあの真摯な吐露を聞いた時から、どうしてもそこへ行くことしか考えられない。 『ヒロは、ほんと恐いくらい、言い出したら聞かないんだな』  いつかそんなことを言われた。いつだったか思い出せないけれど、それを言った(あきら)の、何故か安堵したような笑顔はよく覚えている。  あの学校を去る時、結依(ゆい)と別れて傷付けたと惑う僕へ、変わらぬ鷹揚な明るさで肩に手を置いてくれた。 『結依ちゃんの生き方と、ヒロの生き方が交わらないことって、そんなおかしなことなのか? それを恐れないで向かって砕けた、俺はヒロの生き方を尊重する』  そう言っていつも傍にいて笑ってくれた親友は、もう隣にはいない。  人と人との生き方は、交わるようでいて行き着く先は結局ひとりだ。  だけど、その生き方に、黙っていられないで駆けて腕を掴みたくなったんだ。 ——……晟、僕に力を貸してくれ。  転校して二日目。もう弱音かよ、と晟ならそう笑ってくれる筈だ。  祈るようにその声の頼もしい温かさを胸に想い起こさせようとする。  そのためだからだ。渡り廊下を進む足取りは、揺るがなかった。

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