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感情という理

 髪を風に弄ばれ煙を喫んでいた梗介は、緩く振り返り、背後に佇む僕を思い出したかのように、頸を僅かに傾け黒髪の隙間から冷めた双眸を僕に向けた。 「——……で。ユキが何だよ」 「…………昨日、放課後……。2Fの教室で、先輩と柚弥君と、他の生徒がいて……。 ……そこであったこと、…………見ました」 「へえ。で、早速お前も、新規顧客をご希望かよ」 「……!? 違……っ! そうじゃなくて……!」 「じゃあ何だよ。あれを見て、他に何か言うことがあるのか」  思った通り、昨日目撃したことを告げても、梗介の表情はそよとも揺れなかった。  この人は、場繋ぎのような無意味な前置きをきっと好まない。己の取る行動に、大前提として否も何も受け取らないし、 そしておそらくは、飾り立てた綺麗事、感情に訴えた、稚い正義感を全面に押し出した諫言などに、首肯して心を動かされたりすることなんか、決してない。もう本題を切り開けている。  それは漠然とじゃなくとも()っていた気がした。  昨日に引き続き、今も接している彼からの直感。柚弥から聞いた、彼の人となり。  識っていながら、殆ど何も用意をして来なかった。彼の前にして何を言うべきか。ただ感情のままにここまでやって来てしまった。  言ったところで、きっと何を用意してきても無駄なんだ。梗介のこころを揺るがすことなど、およびもつかない。柚弥でさえそうだと言っていたのに。  なら、この胸を巡る整理なんかまるで出来ていない、荒れ狂ってるとも捉えかねないこの思いを、ぶつけるより他ないんじゃないのか。  きっと梗介(かれ)が『大嫌い』な、おさない感情。  だけど、感情こそ。この感情でしか、僕の理はない。  焦る気持ちを抑えるように、僕は声を落として口を開いた。 「…………どうしてああいうことをさせるんですか」 「……あ?」 「柚弥君と先輩の関係は、さっき柚弥君から教えて貰いました。……柚弥君が自分から言った訳じゃありません、僕が無理に聞き出そうとしたから、教えてくれただけです。柚弥君を悪く思わないで下さい」 「……」 「正直、感動しました。男同士とか何だとか、そういうの全然、念頭に湧きませんでした。ただ、凄く……。凄く純粋に、強く先輩のこと、想ってて……。他のものなんかまるで価値がない、先輩のこと以外何も見えてない、いや、もう見ていませんでした。  あんなの、普通、ないですよ。僕達の年齢で、きっとそうじゃなくても、あんな風に人を想えることなんて、中々ないですよ」  梗介は視線を逸らし、微かに舌打ちをしたような気がした。それでも構わず僕は続けた。 「先輩は、どうなんですか……」 「……」 「柚弥君は先輩をあんなにも大事に想ってる。先輩は、どうなんですか。……大事じゃないって言うのなら、話はまた別です」 「別なら、どうする」 「……っ。……今はそのことはいいです。先輩と柚弥君の関係(こと)に、知り合ったばかりの僕が、口を挟む権利も何もありません。僕が気になるのは、柚弥君自身が、、っていうことなんです」 「……」 「……昨日みたいなこと、よくしてるってことも、聞きました。別にそれについても、とやかく言うつもりはありません。売り物みたいなことするのはどうかと思うし、全然賛同する気もないですけど。 でも、いいじゃないですか。何も恥じることがないのなら。誰だってああいうこと、綺麗事言ったって本当はしたいんじゃないですか。柚弥君だけ落としていい筈がない、罪犯してる訳じゃないんだし。 別にいいんです、堂々とすればいいんです。僕とか、他人(ひと)の感情なんかどうだっていいんです。本人が、それでって言うのなら……!」 「……」 「言うのなら……」  こみ上げてくる感情は、昼休みに自身のことを打ち明けた、緑蔭のなかの柚弥の横顔を思い出すうちに鎮まっていく気がした。  言葉を赴くままにしていた僕は、逸らしていた視線を梗介に戻した。微動だにしない夜のような眼差しに、また、心が醒めるようにひいていく。 「多分、違いますよね……」  闇の奥の梗介の眼が、僕と繋がった気がした。 「柚弥君って、本当は……、——子じゃないんじゃないですか……?」

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