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僕の望み

 眼の奥から漏れてくる冷気は、そのまま、波動のようにして伝わってくる気がした。  それなのに、表情はまるで変わっていない。  遅れて、温度のない汗が身体のどこかを伝うような気がした。  両の眼から流れる冷気で、僕の(しん)を絡め取ったまま、梗介の唇が開き、長く蓋をして呼び醒まされたようなその低音が、地から湧く鼓動のように聞こえた。 「話はそれで終わりか?」 「……」 「話はそれで終わりかと聞いている」  答えは、出なかった。出せなかったからだ。  梗介は、動いていない。だが一歩踏み出されたような感覚が迫る。  彼の(しん)から冷えた波動が、色濃く伸びて僕を覆い尽くすような残影に捕らわれたせいだ。 「ユキの何が解る」 「……」 「お前にユキの、一体何が解るって言うんだよ」  見降ろされた、至極深い色へあおい火が底光するような眼の冷たさに、言葉をなくしている僕へ、梗介は微かに息をつき、その整った唇がわずかに笑んだかたちへ緩んだ気がした。   「昨日今日知り合ったばかりのお前が、がたがた吠えるな。お前が見て忘れられない通り、があいつの本性だよ。それ以上でもそれ以下でもないね。 で? お前は"お綺麗で純粋な柚弥君"こそが真の姿だとご高説垂れ腐るか。 別に知ってるよ。お前の知らない頃から、『純粋無垢で天使みたいなゆうちゃん』も。 だが、それがどうした」 「……」 「それを知ったうえでの、今の俺達だよ。今さら変わる気もさらさらないね。お前にどうこう抜かされる謂われもねえよ。そういうのを、無粋って言うんだよ」 「……それは解ってます、でも……!」 「解ってないね。ユキがどうとか、俺がどうとか、がたがた抜かしやがるがそもそも、お前の問題だろ? お前の望みは、何だよ。わざわざひとを呼びつけておいてそれか。勝手に問題を転嫁するな」  僕の望み。梗介に向けられるように問われて、我に返る。  確かに、そうだ。今さら、柚弥も梗介も変えることなんか出来ないし、しようとも思っていない。思っていない筈だ。  なら、。  たちどころに真に迫る梗介の言葉へ、あんなにも回りくどく言葉を繰り返していたのに、ここへ来て答えが詰まったように出てこない。 「どうした。さっきのは、開票前の公約宣言か、くらいの長さだったぜ。最後のお願いは、もう仕舞いかよ。 ……言えないなら、当ててやろうか」 「……」 「別にいいんじゃねえの。本当の柚弥君。あれの部分ばかり大人気で、欲しがる奴が中々いないからな。その面では、あいつも飢えてるだろうよ。構わねえさ、満たしてやれよ。大事に大事に隠してる、本当の」 「……」 「その穢れなき、本当は心の綺麗な柚弥君の『真の姿』を満たしてやり、やってるいかがわしい裏稼業からも一切卒業させ、見事穢れた世界から柚弥君を救ったと、正しく楽しく清廉なお友達生活を末永く送る」 「……」 「俺の存在は、当然排除だ」 「そうは言ってません……!」 「言ってる。『本当の柚弥君』に俺は害悪だよ。違うか?」 「……っ」 「それで納得か」 「……」 「納得かと聞いてるんだよ」  納得、なんてしていない。していないのに、言葉が塞いで出て来ないのは何故だ。  燃え尽きた灰を長い指で落とし、梗介は白棒に残った煙を喫んだ。  霧のような吐息の先から僕を見る。また、笑みともつかない緩みで唇を開き、冷えた眼もそれに合わせて(やわ)く細められたような気がした。 「——納得、な訳がないよな?」

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