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第9話 キノ豆のスープ

「リオル。入ってもいいか」  コンコンとドアをノックする音とともに、シグルドの声が聞こえた。ここはリオルとシグルド、ふたりの寝室なのだからノックなど要らないはずなのに、シグルドなりに気を遣っているのだろう。 「はい、どうぞ」  よかった。ちょうど散らかしたシグルドの服を片付け終わったところだ。巣作りなんてしているのがバレたら、政略結婚なのに俺のことが好きなのかと嫌な顔をされるに違いない。  リオルの返事を待ってから、シグルドが寝室に入ってきた。シグルドはトレイに載った食事を手にしている。 「リオル。俺が話しかけたせいで朝食をほとんど食べられなかったのだろう? 声をかけてすまなかった。ここに持ってきたから、少しでも食べてくれ」  シグルドは言いながらチラッとベッドに視線をやった。リオルもつられてそちらに視線を向ける。大丈夫だ。巣作りのあとは跡形もなく片付いているし、布団の乱れもない。  それなのにシグルドはベッドを見て溜め息をついた。何か、問題があったのだろうか。シグルドの考えることはリオルにはまったくもってわからない。 「リオル。とりあえず座るかい?」  寝室にある、丸テーブルの前の椅子に座るように促され、嫌とは言えずリオルはシグルドの指示に従った。  リオルの前に綺麗に盛り付けされた朝食のトレイが置かれる。全部、リオルの好物ばかりだ。きっと料理上手なマーガレットが用意してくれたものだろう。シグルドがそんな気遣いをしてくれるはずがない。 「体調がまだよくない? ひと口くらい食べないか?」  シグルドは丸テーブルの向かい側にあった椅子を移動させ、リオルの隣に座った。 「俺が食べさせてやる。な? だから、少しでも食べて早く元気を取り戻してくれ」  シグルドはパンをひと切れちぎってリオルの口へと運んできた。  シグルドの優しさが心に沁みて嫌になる。今はふたりきりだから、無理に仲の良さを演じる必要はない。なのに、どうしてこんなことをするのだろう。 「ひとりで食べられるからいいよ。子どもじゃないんだから」  きっぱり断ったのに「ダメだ。リオルは信用ならない」とシグルドに怒られた。 「こんなにやつれた顔をして何言ってるんだ。リオルひとりにしたら食事を食べたふりをして捨てるかもしれないだろ? ちゃんと食べたところを見ないと気が済まない。ほら、柔らかいパンだから食べやすいはずだ」  シグルドがしつこいので、リオルは仕方なくそれを受け入れパンを口にした。 「よかった。次はスープにするか? リオルの好きなキノ豆入りだ」  キノ豆はリオルの故郷にしかない豆で、シグルドの屋敷の近辺では売っていない。まさかと思ってみたら、本当にスープの中にキノ豆が入っていて驚いた。さっき朝食として出されたスープにはキノ豆は入っていない、別の味のスープだったのに。  誰が買ってきたのだろう。アリシアがわざわざ使いを出して手間賃を払い、誰かに買いに行かせたのだろうか。  キノ豆のスープはすごく懐かしい味がした。さすがマーガレットだ。リオルの好みを熟知しているのか、まるで実家のスープの味と寸分(たが)わぬおいしさだ。  シグルドと結婚する前は、しょっちゅう食べていたもので、結婚してからはぱったりと食べられなくなってしまったため、少しさみしく思っていた。 「リオル。早く元気になってくれ。父上がリオルのそんな顔を見たらきっと心配なさるから」  なるほど、シグルドの目的がわかった。今度自分の父親の誕生日パーティーがあるから、そのときにリオルがやつれた顔をしていたら「ちゃんとリオルを大事にしているのか」とシグルドが父親に叱られる。それが嫌で無理矢理食事をとらせようとしているのだろう。

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