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第31話 番外編『愛が重すぎる』

 今日はシグルドが社交界にデビューする日だ。  シグルドはリオルと結婚したことで、名家ハーランド家の子息であるリオルの伴侶として、社交界に足を踏み入れることを許された。  シグルドの社交界デビューは、王太子殿下の誕生祭だ。高齢の王に代わり、戴冠式を間近に控えている王太子殿下の誕生祭とあって、来賓も多く訪れている。  ふたりは夜の宴に参加することを許されている。大勢が集まる立食パーティーで、大広間で少しの食事と酒を楽しむ社交場だ。 「シグルド、これ飲む? 飲みやすいと思うよ」  リオルはシグルドにシャンパンを勧めるが、シグルドは「大丈夫だ」と断ってきた。どうやらシグルドはかなりの緊張状態にあるらしい。  それもそのはず、シグルドは一族の期待を一身に背負っている。シグルドの父親・バランは息子が大出世したと周囲に自慢しきり。社交界デビューすると決まっただけなのに「うちの息子は貴族のあいだでも一目置かれている」と吹聴して回り、それがまたシグルドの精神的負担となっているようだ。  ここはリオルがシグルドを支え、シグルドを華々しく社交界デビューさせなければ。 「シグルド、あちらにいるのがローマイヤ伯爵だよ。次期宰相の座をマール侯爵と争ってる」  リオルは遠くにローマイヤ伯爵を見つけて、シグルドに耳打ちする。 「噂には聞いたことがあるが、姿は初めて見た」  シグルドはリオルと目を合わせ、頷いてみせる。 「その隣は、ザーディス侯爵令嬢です。右からベータの長女ソフィー、オメガの次女ミネルバ、アルファの三女サラ。三人ともバース性が違うから、バース性の話は御法度。次女はオメガを武器にアルファばかりの王家に取り入ろうとする、したたかな人です」 「わかった。全員記憶した」  さすがはシグルドだ。リオルが教えた大勢の人たちの顔と名前、その背景まですべて一発で覚えられるようだ。  アルファだからといって、シグルドほど剣技に優れ、頭のいいアルファはそうそういない。リオルはシグルドの能力の高さに惚れ惚れする。やっぱりシグルドは素敵な夫だ。 「シグルド、むこうにいるのがテファ公爵さまだよ」  リオルは説明を続ける。 「テファ公爵さまは王太子殿下の十歳年上の三十四歳。殿下の叔父にあたる御方で、実は裏でかなりの権力を握ってる」  こんな話は大っぴらにはできないから、リオルは精一杯背伸びをして、シグルドの耳元で囁く。するとシグルドはリオルのほうを振り向いた。  ほんの一瞬、ふたりの視線が合った。そのあとシグルドは「ありがとう」と微笑み、リオルの唇に優しく唇を重ねる。  あっという間に唇を奪われていた。まさかここでキスされるなんて思ってもいなくて、リオルは動揺する。 「えっ、待っ……今!?」  こんな人の多いところで、シグルドにキスされたのは初めてだ。いくら夫からとはいえ、一瞬だったとはいえ、人前でキスされるのはとても恥ずかしい。 「すまない。俺のために一生懸命なリオルが可愛くてな」  リオルが恥ずかしがっているのに、シグルドは臆面もなく、今度はリオルの額に口づけする。 「ダメだよ、シグルド。こんなときに……」 「なぜだ? 俺たちは政略結婚だからきっと仲を疑われている。少しやりすぎるくらいで丁度いい」 「もう……」  ふたりの誤解が解けてからというもの、シグルドはところ構わずリオルに愛情を示すようになった。  そのときシグルドは、いつも政略結婚を理由にするのだが、今さら仲の良さを見せつけなくても周囲はシグルドとリオルの仲を疑っていない。  鏡が欲しくてリオルが市場に買い物に行くと、店主に「さっきおたくの旦那さまが鏡を買われました。贈り物だと言って、店先で何十分も悩まれてましたから、リオルさまは買わないほうがよろしいかと」と言われてしまう。  そのときの店主の「愛されていらっしゃいますね」という言葉に、隣の店の店主まで頷き「うちの香油を買っていかれますか? 夜が盛り上がり、シグルド様が喜ばれること間違いなしですよ」と揶揄われてリオルは顔から火が出るくらいに恥ずかしかった。  こんなふうに、リオルとシグルドは近所では評判の仲良し夫夫だ。 「リオル、もっと俺に社交界について教えてくれ。頼りにしてるぞ。お前がそばにいてくれれば安心だ」 「は、はい……。おそばにいます、けど……ち、近い……」  シグルドがリオルの顔を至近距離で見つめてくるからリオルはタジタジだ。 「こんなに可愛くて、賢い妻がいるなんて俺は幸せな男だ。リオル、今すぐ抱きしめてもいいか?」  シグルドがリオルの身体に腕を回そうとするから、リオルはシグルドの前に両手のひらを向ける。 「そういうことはあとでゆっくり……」 「あとで? では誕生祭が終わったあとならばよいのか?」 「え、え、あの……。は、はい。今宵ならば……」  シグルドとふたりきりのときなら、いくら抱きしめてもらってもいい。番であるシグルドのフェロモンを感じていると心安らぐのだ。  このところは、寝る前にシグルドを感じられないとリオルは眠れない。シグルドがいればシグルドと抱き合って、シグルドがいないときはシグルドの服を引っ張り出してきて巣作りして眠る。それが最近のリオルの夜の過ごし方だ。 「リオルは可愛い。今すぐリオルを連れて部屋に帰りたいが、夜までお預けだな」 「あっ……!」  抱きしめてはいけないと言ったのに、シグルドはほんの一秒間だけリオルを腕の中に閉じ込めた。 「もうっ、シグルドったら!」  リオルがシグルドを叱りつけても、シグルドは「リオルの怒った顔も可愛い」とリオルを眺めながら嬉しそうにしていて、まったく反省の色がない。 「リオルの頑張りに報いるように、俺も手柄を立てねばならぬな」  シグルドはリオルの頭に触れたあと、周囲にめざとく視線を向ける。 「うん。頑張って、シグルド」  ふたりの目標は、上位貴族や王族と少しでもお近づきになることだ。そして繋がりを持ち、一族の有事の際に、善処してもらえるようにするのだ。  シグルドならきっと大丈夫だ。まずは金髪碧翠眼の麗しい見た目で相手をロックオン。それから知性溢れる会話を繰り広げ、相手を虜にするに違いない。

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