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第36話
野次馬たちが解散する中、ひとりの貴族女性がシグルドに声をかけてきた。
「テファ公爵には、みんな辟易していました。今日はあんな情けない顔が見れてスカッとしましたわ」
貴族女性は「素敵なご主人ですわね」とリオルに微笑みかける。
「あ、ありがとうございます……」
シグルドが社交界から追い出されることなどなかった。
それどころか王太子殿下から魔石まで|賜《たまわ》って、皆からは好意的な目で見られている。
「よかったね、シグルド」
貴族女性が去ったあと、リオルはシグルドに近寄る。シグルドの手のひらには、青く輝く魔石がある。
「綺麗だね。これを殿下からいただいたってお義父さまに報告したら喜ばれると思うよ」
テファの事件は怖かったが、シグルドの実直さを知らしめるきっかけになった。これを機にシグルドが注目され、社交界で認められたらこんなに嬉しいことはない。
「リオル……っ!」
「えっ?」
シグルドがいきなりリオルを抱きしめてきた。何度も、何度も、リオルを求めるように強く抱きしめてくる。
「どうしたの……?」
シグルドの様子がいつもと違うから、リオルはシグルドの感情をなだめるように、シグルドの背中を撫でてやる。
「リオル。怖い目に遭ったんじゃないのか……? 王弟のレオンハルトさまに、テファのクソ野郎は、夫を出世させてやるといってオメガに手を出す最低野郎だと教えられたんだ。それで慌てて戻って来たらリオルが……リオルが……」
リオルを抱きしめるシグルドの身体は震えている。
「あいつに何かされたか……? 俺のせいで、嫌でも抵抗できなかったんじゃないのか? リオル、リオル……」
シグルドはリオルを心配して、飛んで戻ってきたのだ。そしてあの現場を見て憤慨し、テファをリオルから引き離して、捻りあげた。
「大丈夫。何もされていないよ」
リオルは最愛の夫の厚い胸板に頬を寄せる。シグルドの鍛え上げられた鋼のような身体は好きだ。頼もしくて、そばに寄り添うだけで安心する。
「少し飲み過ぎてフラフラしてたから逃げられなかっただけ。シグルドのせいじゃないよ。僕のせい」
「具合、悪いのか?」
「うん。少しだけ……」
シグルドに寄りかかると、すぐに「大丈夫か。部屋で休もう」とシグルドが髪を撫でてくれる。それだけで頭の痛いのが吹っ飛んでいきそうだ。
「俺とリオルを結びつけたものは、それぞれの家の事情だったかもしれない。でも、そうでなくても、俺はずっとずっと昔からリオルが好きで、結婚するならリオルしかいないと思っていた。家柄も、金もいらない。リオルさえそばにいてくれれば、それだけで幸せに生きていける。だからリオルは身分を振りかざしてくるクソ公爵の言うことなんて、一切、聞かなくていいからなっ」
「うん……」
クソ公爵だとか言葉は悪いけど、シグルドの気持ちが伝わってくる。出世のためじゃない、リオルと一緒にいたいから、シグルドはそばにいてくれる。
「ねぇ、テファ公爵が言っていたんだけど、レオンハルトさまはもてなしのために、遊ぶための女の人を用意してくれてたの? シグルドも誘われた……?」
リオルはそっとシグルドに訊ねる。テファにあんなことを言われて不安に思っていたからだ。
「誘われた。だが俺は、それの何が楽しいのかまったくわからない。知らん女に触られるのも嫌だ。だから突っぱねたら『騎士は戦うことしか興味はないのか』となぜか笑われた」
「そうだったんだ……」
シグルドは、周りの空気をまったく読まなかったのだ。王弟に女遊びを勧められても、はっきりと拒絶した。さすがシグルドだ。
「その代わり、明日狩りに誘われた。そちらは同行させていただくことにした。リオルも一緒に来るか? 馬に乗って森へ出かけるんだ。狩りをしなくても森林浴と思っていればいい。俺の馬術はなかなかのものだぞ?」
「うん。行ってみたい」
そういえば、シグルドの操る馬に乗ったことはない。ふたりで馬に乗って森を駆けたらとても楽しそうだ。
「リオル。部屋に戻ろう。少し横になるといい」
「ありがとう、シグルド……えっ!?」
突然、シグルドに身体を持ち上げられた。ご丁寧に横抱きにされて、リオルは慌てる。
「待っ……! これで部屋までっ?」
ここから部屋に戻るには、誕生祭で賑わう、あの大広間を抜けなければならないし、その後も人通りの多い、中央廊下を通るのだ。
「重いでしょっ、下ろして。大丈夫、歩けるからっ」
「重くない。俺が普段どれくらいの重さの鎧を着て、剣を振るってると思っているのだ? このくらい大したことはない。ましてや愛するリオルだ。愛おしくてたまらない」
シグルドはリオルの唇にキスをする。ひと目も憚らずキスをするのは恥ずかしいからやめてほしいのに、シグルドに抱かれてしまっているから、身体をいいようにされてしまう。
——でも、いいか。
いつもシグルドが言うように、ふたりは政略結婚だと噂されている。少しくらい仲の良さを見せつけるくらいでちょうどいいのかもしれない。
「シグルド。僕を部屋に連れて行って」
リオルはシグルドの首に両腕を回して、遠慮なくシグルドの胸に寄りかかる。密着したほうがシグルドの負担が減るからだ。
「リオルは可愛い。わかった。リオルはそのまま俺に寄りかかって休んでいろ」
シグルドはリオルを抱えたまま、歩き出す。シグルドは軽々とリオルを運んでいる。シグルドの強靭な肉体は本物だ。
ざわめきの中の大広間を抜け、シグルドは中央廊下を進む。チラッと周囲を見たら、大注目されていたので恥ずかしくなってリオルはシグルドの胸に、隠すようにして顔を埋め目を閉じていた。
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