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第31話

 アドルフ以外の人間にその名前を呼ばれるのは六年ぶりだ。  (気づかれた。どうしよう)   過去の恐怖に支配された身体は指一本も動かせない。唇を戦慄かせ、レナ ードを見つめた。  「無言ということは肯定になるがいいのか」     「ち、違います。ルイスなんて人知りません」  「私は小さいときに否が応でもルイスを見ていたから顔立ちが似ていると断言できる。髪色は薬で染めたのだろう」  長い髪を抄われてぞわりと背筋に悪寒が走る。  (この人の狙いはなんだ?)  ルイがルイスだと気づいてどうするつもりなんだ。王国に突きつける?  そしたらまたジンと離れ離れになってしまう。  レナードの顔が近づいてきて、吐息が肌にかかる。まるで蛇のように長い舌を覗かせてルイスをどう捕食しよう か楽しんでいるように見えた。  「ジンが素性のわからないおまえを側に置くのは変だと思っていたが、おまえがルイスなら納得はいく」  どんどんと逃げ場がなくなっていく。ポーンに追い詰められたキングの気分だ。  まさに絶体絶命のピンチ。  (でもここで負けるわけにはいかない)  ジンのそばにいると誓った。もう離れないためならなんでもする。  震える両足を叱咤して立ち上がった。  「レナード様はルイスをいう人が怖いのですか?」  眼鏡の奥の瞳が細められる。  「私がただの平民を怖がる必要はないだろ」  「そうでしょうか。ならどうしてレナード様は面倒なことをしてまでルイスという人を探そうとしていらっしゃるですか?」  「あいつは忌み子だ。あんな呪われた奴がいたらこの国の平和がない」  「本当に?」   形のいい眉が跳ねる。一瞬だけ驚いた表情をしたのを見逃さなかった。  「もしかして別のなにかに利用しようとしているのではないですか?」  「そんなわけない!」  唾を吐き飛ばしながら否定する辺り、図星なのだろう。 レナードは忌み子の本当の役割を知っているのかもしれない。  「私は戦争孤児です。身よりがなく野垂れ死にかかっていたところをアドルフに助けてもらいました」  東の国では大きな戦争があること。それによって多くの国民が亡くなっていること。  王子であるレナードが知らないはずがない。  「ですが私はなぜか国の者に追われています。だからアドルフは住む場所を巧妙に隠してくれたのです」  「だから偽装している、と」  「そうです。それに関して嘘をついてしまったことは申し訳ございません」  頭を下げるとレナードは罰が悪そうな表情に変わる。大方、ルイスの嘘話に同情してくれているのだろう。  嘘を吐くときは大袈裟に話を盛るといいとアドルフが言っていた。一か八の賭けだったが風向きは変わってきて いる。  「レナード様が探しているルイスさんに似ていると申されても、その方は男性なんですよね? 私はこの通り女です」  「だが女装しているかもしれん」  「では確認なさいますか?」  ちらりと視線を寄越すとレナードはあからさまに動揺している。  胸のリボ ンを解くと「わかった!」とレナードは顔を赤らめて目を手で覆った。  「淑女がそう淫らな真似をするのではない」    「失礼しました。これで信じてもらえますか?」  まだ腑に落ちそうにもなかったがレナードはとりあえず頷いてくれた。  「では、私はこれで」  スカートを翻して部屋へと向かう。自室のベッドに潜るまで心臓はどきどきしっぱなしだった。  誰もいない見慣れた天井を見上げる。  「レナード様はなにを知っているのかな」  忌み子はただ魔力がないダメな子だけではないのか。  そのことまで聞けなかったのは悔しいが、ルイスとバレなかっただけよかった。  「まだ少しジンといられる」  その事実がいまのルイスの救いだ。  

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