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第39話

 もしかして急用ができて帰って来れなかったかもしれない。  もしかして具合いが悪くなったのかもしれない。  もしかして朝になったら帰って来るかもしれない。  たくさんの可能性を考えていたら夜が明けた。ほとんど眠れず、頭に靄がかかったようにぼんやりする。  応接室から物音一つしないどころか人の気配もない。やはりジンは帰って来なかった。 連絡しようかと石碑を取り出すが、指の動きが止まる。  (でも忙しいかもしれない)  向こうから連絡がこないということは手が離せないほど忙しいのかもしれない。  王子としての責務や業務が立て込んでいると思うとルイスの気持ちだけで邪魔するのは気が引ける。  石碑を再びハンカチに包んでポケットにしまった。 食堂で朝食を済ませ、やることもな いので学園内を散歩した。  何百回目かのもしかして帰って来るかもしれない と校門へ足を伸ばしたが、馬車が通る 気配はない。   頭がぼーっとして考えるのが疲れてくる。寝不足が祟 っているのだろう。身体も熱い気がする。部屋に戻り横になると同時に夢を見た。  白い竜が暗い闇のなかで淡く光り、宙を浮いている。針のように細く長い髭を揺らし、角は枝分かれをして三本になっていた。ルイスを警戒しているのか鋭い牙を覗かせてギロリと睨みつける。  恐ろしい見た目なのに不思議と怖くない。竜の瞳がジンと似ているからだろうか。  口をパクパクとさせてなにか話しているようだが、ごぉーごぉーと豪雨のような音がするだけでなにを言っているのかわからない。  答えたいのに声が出なかった。喉元を押さえ首を振ると竜は寂しそうに髭を揺らした。   手を伸ばして頭を撫でてやると擦り寄ってくる。甘えている仕草が見た目の恐ろしさとのギャップで可愛らしく映る。  また口をパクパクとさせてルイスになにか伝えようとしているが、やはりなにを言いたいのかわからない。  竜の気持ちをわかってあげられないのが辛い。何度も伝えようとしてくれるのだから、きっととても大切なことだ。  再び手を伸ばすが、竜はするりとルイスの手をすり抜けてしまう。  竜は頭を下げたあと、ぐるりと円を描くように回転して暗闇のなかへ消えてしまった。  「待って!」  目を覚ますと天井に腕を伸ばしていた。額に汗が浮かび、まるで水のなかを泳いできたように呼吸が苦しい。  酸素をめいいっぱい吸って吐くを繰り返し、息を整えた。  「いまのは……夢?」  夢のわりにはっきりと内容を覚えている。あの竜はなんだったのだろう。  この国の守護神だろうか。  石像でしか見たことなかったが、あんなに禍々しいものだったなんて知らなかった。  いや、違う。とても寂しそうだった。  なぜかわからないが、泣いているように見えた。  神と崇められる竜でも泣いたりするんだなと意外だった。  でも感情がある ととても人間らしく親近感が湧く。 崇拝されている手の届かない存在が まるで隣にいるような近しい存在になったような錯覚を残した。  「ジン様っ……!」  応接室からクアンの叫ぶ声が聞こえる。ジンが帰ってきたんだ。  「ジン様、おかえりなーー」  扉を開けてジンの姿を見て驚いた。  ジンの身体が黒い靄に包まれている。禍々しい黒い靄はすべての生命を吸い取ってしまいそうな気配を漂わせ、反射的に一歩後ろに下がった。  「あぁ、ルイ。遅くなってしまって悪い。予定が立て込んでしまって」  穏やかな声がジンそのものなのに棒読みをした台詞のように抑揚がない。訝しく思いながらも表面上はいつも通りに装う。  「大丈夫です。お忙しかったんですね」  「詫びに菓子をたくさん用意したんだ」  「お気遣いありがとうございます」  会話をしながらジンの様子を伺う。黒い靄はジンを取り囲んでいるだけでこちらに危害を加える素振りはみせない。クアンが怖がっている様子がないから見えていない可能性がある。  (じゃあこれは僕にしか見えていないってこと?)  なんだろうか。  まるでジンの命を奪うように蠢く靄は怖くて近づけない。  けれど、このままにしてはいけないと本能的にわかる。  「あの約束は覚えていますか?」  「約束……?」  「別れるときにしたとても大切なものです」  「大切」  ジンがあの約束を忘れるわけがない。  「おまえ、誰だ!?」  ルイスは黒い靄を指さした。  無礼な態度を見たクアンが眦を上げる。  「ジン様になんて無礼な!」  「クアンさんはこの黒い靄が見えないんですか?」  「靄?」  やはり見えていないらしい。なぜ自分が見えているのかわからないが、そんなことよりいまはジンをどうしかすることが先決だ。  「なにを言っているんだ、ルイ」   声はやさしいのに氷のように冷たく聞こえる。背筋に悪寒が駆け上り、寒くないのに両肩を抱いた。 距離をとるルイスを不審に思ったのか、ジンが近づいてくる。  とうとう壁 に追い詰められたとき只事ではないと悟ったのかクアンが間に入った。  「ジン様どうされたんですか? お身体の調子が悪いのですか?」  「黙れ」  そう言ってクアンの肩を掴み頭を壁に打ちつけた。床に倒れたクアンは意識を失い、額から血が垂れている。  思いやりのあるジンがする行動とは思えない。ルイスはきつく睨みつけた。  「クアンさんになにしてるんだよ!」  靄に向かって叫ぶがジンは意味がわからないとばかりに首を傾げる。  「邪魔者を排除しただけだ」  「排除って」  「目的を遂行する」  ジンの手が伸びてきてルイスの首を締めあげた。片手で軽く持ち上げられ、 つま先を伸ばしても地面に届かない。  喉元を締められて酸素が吸えない。  「ぐっ……んん」  息苦しさに目尻に溜まってきた。まさか最愛の人の手にかけられるなんて。  一体なにが起こっているんだ。  酸欠で視界が白くなる。こんな最期を迎えなければならないほどルイスは竜に背いてきたのだろうか。  忌み子と罵られ、生まれ育った街を追い出され、魔法学園に来てやっと最愛の人と結ばれた。  底辺からやっと幸せを掴んだというのにあまりにも酷い仕打ちだ。でも不思議とあの頃より辛くない。  (だって僕にはジンがいる)  ジンに向かって腕を伸ばすと靄がルイスの手を避けるように動く。  どこと なくルイスに怯えているように見えた。 すると突然手のひらが燃えるように熱くなり、光輝きだした。  薄目を開けると白い光がジンを包んでいる。  「ぐああぁあああ!!」  ジンの叫び声に目を見開いた。ルイスの首から手を離したジンは頭を抱えて、その場に倒れ込んだ。  「ジン! ジン!」  名前を呼ぶがジンは悶えるように床を這いつくばり転げまわった。 とても苦しそうだ。  繰り返し背中を撫で「大丈夫」と声をかけた。どうすればいいのかわからない。ジンの身になにが起こったのだろう。  何度も名前を呼んだ。 段々黒い靄が薄くなっていき、苦痛に耐える表情が僅かに見える。 しばらくするとジンはピタリと動きを止めた。  「……ジン?」  名前を呼んでも返事はない。  ただ胸板が規則的に上下しているので生きているのはわかる。  気絶しているのだろうか。  黒い靄は薄くなっているが消えてはいない。この得体の知れないものはなんだ。  触れようとしても手を避けるように動き、まるでルイスを恐れているようだ 。  「それは闇の魔力じゃ。ジンは呪われている」  声に振り返ると扉の前にアドルフが立っていた。いつ来たのだろう。全然気づかなかった。  「闇の魔力?呪われているって」  「誰かに闇の魔力をかけられて、操られているようじゃな。ルイスの魔力に反応して少し浄化できたようじゃ」

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