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2.友だち
僕が座ったのが一人分しか空いていない場所だと気付くと、マスターは少し驚いたようでカクテルグラスを差し出しながら小首を傾げた。
「平井 くん、今日はお一人ですか?」
「はい。これからは一人です」
「えっ?」
マスターが聞き返したタイミングで、チリンチリンとドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
定番の挨拶の後に、いつもよりも優しい笑顔。
マスターはたった3人にしか掛けない言葉を扉をくぐったばかりのお客さんに向けて言う。
「おかえり、皐月 くん」
「ただいま、リュートさん」
そう笑顔で答えたのは、広川 皐月 くん。
ローズのオーナーのパートナーで、マスターの弟のような存在。
ちょっと童顔で、可愛くて、年上の人にこんな事を思うのは失礼なんだろうけど、男の人と言うよりは男の子って感じの人。
人懐こくて優しくて、僕にも親切にしてくれる。
「皐月くん、こんばんは」
挨拶すると、
「忍 くん!こんばんはー。今日は一人なの?」
頷いた僕を、「じゃあ一緒に飲もう」って、空いてる方の席に移動させてくれた。
僕は二十歳で、皐月くんは25歳。
だけど皐月くんはそんな歳の差も感じさせないくらい、フランクに接してくれる。
君付けで呼んでって言ってくれたのも皐月くんからだし、社会人でしっかり会社員として働いている人なんだけど、緊張させない安心感とか、でもちょっとお兄ちゃんぶるところとか、こっそり、可愛いな…なんて思ってたりもする。
「待ち合わせじゃなくて、一人なの?」
「うん」
皐月くんの1杯目は桃のジュース。
パートナーの香島さんが心配症で、1人の時はお酒は飲んじゃダメって言われてるんだって。
「秦野 は?」
「……もう…来ないと思う」
答えて、ぎゅっと、膝の上で手のひらを握った。
口にしたら途端に、昼間にあった出来事が、どんどん現実味を帯びてくる。
夢だと思ってた…なんて、そんなつもりは無かったのに、自分の中で受け入れられていなかったんだって、急にそう気付かさせられる。
「何かあった?」
皐月くんが、声を抑えて静かに訊いた。
だけど、口から発する空気も、頭を撫ぜる手のひらも、少しだけ…ほんの少しだけだけど、振動してる。
震えてる。
「苦しかったら、言わなくていいよ。忍くんが話したくなったら、俺、いつでも聴くから。電話でもいいし」
こんな風に優しい言葉が聞けるのは、このお店で知り合った人たちからだけだ。
外の世界では、決して話せないことだから。
誰も、理解してくれないことだから。
男の人が好きだ…なんて……
そして僕は、こんなことを話して悲しみを皐月くんに移してはいけないのだと知りつつも、1人では抱えきれずに口を開いてしまうのだ。
それは、昨日の話だ。
朝から大学で授業を受けて、お昼を学食で一緒に食べようって約束をしていたから、2限目が終わった12時過ぎ。
いつものように、目的地でもある待ち合わせ場所、学内のカフェテラスへと1人で向かっていた。
約束の相手は、秦野 柊一 。
僕と同じ年の男…だけど、恋人でもある。
……いや、恋人だった人。
だけどその時はまだ、僕は彼の大切な人…だった筈なんだ。
だって───
彼は、倒れてきた足場から僕を庇って、怪我をしたのだから。
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