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75.朝
カーテンの向こうは未だ暗いままだった。
壁で薄く光っているアナログの針は、朝の5時半過ぎを指していた。
片腕は腕枕、もう片腕は僕の体に乗って、まるで抱きしめられてるみたいな体勢に、胸の中に温かいものが広がる。
…ううん。まるで、なんかじゃない。柊くんは自分の意思で、僕のことを抱き締めてくれてるんだ。
こんな僕のことなんかを愛してくれる、優しい人。
頬に勝手におはようのキスをして、腕から抜け出した。
気怠い身体。重い腰。少しヒリヒリするお尻。
全部、嬉しい。
エアコンのスイッチを入れて、キッチンスペースに立つ。
冷蔵庫の中身は……
そうか。柊くんは基本、自炊なんてしない人だった。
お酒と、お茶と、スポーツドリンクと、お水に、炭酸飲料。ほぼ水物しか入ってない。
それから何故か、海苔の佃煮。時々無性に食べたくなるんだって。だからレンジで温めるだけのご飯も2~3個ストックしてる。
朝は柊くんは、うちに来た時もパン食。お昼はどっちも食べるけど、夜はご飯を好んで食べてる。
ベッドの下には、昨日脱ぎ散らかしたままの服が散らばったままだった。
柊くんの服は綺麗に畳んで、自分はそれに着替えて、歯を磨いたり最低限の用意を済ませてから、合鍵と財布を持って玄関を出た。
マンションの向かいのコンビニで買ってきたのはバターロール、ベーコン、4個入りの卵、インスタントスープの素、サラダ用のカット野菜にドレッシング。
使い切りサイズじゃないと、柊くんはきっと使わないままダメにしちゃうから、今朝のご飯分だけ用意した。
僕は子供の頃からお母さんの手伝いをしていたから、料理は手慣れてる方だ。
だから、付き合い始めの頃も、出来合いの物ばかり食べている柊くんの為に手作りのご飯を作ろうと材料を買ってきたことがあったんだけど……
綺麗なキッチンには、フライパンの一つも置いてなかった。
お湯はやかんじゃなくて電気ポットで沸かすから、IHコンロは使った形跡すら無かった。
レンジとトースターはあったけど、トースターの方は未使用のままだった。
今置いてある唯一のIHコンロ用調理器具であるフライパンは、その時2人で買いに行ったものだ。
…そう言えば、この家には炊飯器だって無い。
スープとコーヒーの分のお湯を沸かしている間に、温めたトースターにバターロールを入れる。中にマーガリンの入ったタイプだから、少し焼くと溶けだして美味しいんだって、パッケージに書いてあった。
フライパンでベーコンを片面焼いて、ひっくり返した上に卵をそっと滑らせる。高い位置から落とすと黄身がペションってなっちゃうから、ふんわりさせる為にそーっとベーコンのすぐ上で卵の殻を開く。
僕も柊くんも、目玉焼きは半熟派。少しだけ表面をコーティングするために蓋をして、その間にサラダをお皿に開ける。ドレッシングはゴマドレ。パン食でもご飯の時も、柊くんはこれが一番好き。
出来上がった物から順々にローテーブルに運ぶ。
少し早い時間だけど、僕は大学に行く前に一度家に寄らなきゃだから、先に頂いて帰ろう。
本当は全部温かいものを食べさせてあげたいけど、柊くんが起きる時間まで待っていたら間に合わなくなっちゃうから。
スープとコーヒーは自分の分だけ。オニオンスープの素とカフェオレの粉をそれぞれ僕のマグカップに入れて、お湯を注ぐ。
キッチンの灯りを頼りに零さないよう運んでいると、突然ベッドの方から音楽が鳴りだした。
ベッドのサイドボードがうっすらと光を放って、柊くんのスマホが鳴っているのだと気付く。
「ん……ん~~………忍ッ!?」
「えっ…はいっ!?」
唐突にガバッと起き上がった柊くんに慌てて返事した。
「忍~~~っ」
寝起きだって言うのに、柊くんはおっきな声で僕を呼ぶと、やっぱり貧血を起こしたのかベッドに倒れ込む。
「柊くん!?大丈夫!?」
テーブルにマグカップを置いて、直ぐにベッドサイドに走り寄る。
床に膝をついて覗き込むと、ベッドに置いた手をぐっと引っ張られた。
「あ~~~っ、もー、スゲー焦った!起きたら忍いねぇから、捨てられたかと思っただろー?……はあぁ…心臓どっくどく」
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