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82.ありがとう

いつか、皐月くんが話してくれた。 皐月くんのお母さんもお父さんも、香島さんのお母さんも妹さんも、家族皆が2人を祝福してくれてるんだ、って。 2人はそんな優しい世界で幸せに暮らしてるんだ。 現実は物語のように、「いつまでもいつまでも幸せに暮らしました。おしまい」では終われない世界だけれど、それでも僕にとってその世界は夢のような、まるでおとぎ話のお話だったんだ。 僕は皐月くんのように皆に愛されるような素敵な人じゃないし、妹は生意気で可愛くない、お父さんは単身赴任であんまり帰ってこないから、僕のことなんて覚えてるかどうかさえ怪しい。 柊くんは僕のことを好きだって言ってくれるけど、きっとそれも今だけだ。 僕がゲイでバリネコだから珍しくて付き合ってくれてるだけで、他に素敵な人が現れればすぐに乗り換えちゃうんだろう、って。そう、思ってた。 お母さんだけは僕の味方でいてくれるけど、だからこそ、僕に絶望させたくなくて、ずっと言い出せなかった。 小学校の時にいじめにあってたこと、あのことで、もういっぱいいっぱい恥ずかしい思いをさせちゃったのに。 (※これは忍が自分についてを語っていることで、一般の見解、私の想いとは異なります。もしお読みになり不快な思いをさせてしまったら、本当に申し訳ありません。) 「忍、お母さんまだ支度が残ってるから戻るけど、あんた達もいちゃついてないで早く用意なさいよ」 「…はい」 僕の顔を少しだけ赤くさせて、お母さんは体を離した。 キッチンに戻ろうとしたお母さんを、柊くんが慌てて呼び止める。 「あっ、律子さん!あの、…明理が俺と付き合ってるって嘘吐いた時、どうして否定してくれなかったんですか?」 柊くんの問い掛けにお母さんはフッと目を細めると。 「そんなの、簡単に恋人を忘れるようなクソガキに、うちの子は預けられないと思ったからよ」 ニヤリと口角を片方だけもたげた。 それでもお母さんは、柊くんが僕のことを思い出せるならと、彼を家へ連れ帰ってくれたんだろう。 舞台は整えたから、後は自分たちの自由に演じてみろと。 「……母親って…凄いね…」 扉の向こうに消えていくお母さんを見送って呟く。 「いや、スゲェの律子さんだからで、うちの母親とか最悪だから。……忍、一緒に律子さんに、親孝行しような」 「……うんっ」 一緒に親孝行………柊くん、本当に僕と結婚してくれるつもりなんだ。 お母さんの手前、咄嗟に出た虚言じゃなくて、本当にずっと一緒にいてくれようとしてるんだ……。 「柊くん」 「ん?」 名前を呼べば、優しい瞳で首を傾げる。 この眼差しとずっと一緒にいられるなんて、ついさっきまでは思ってもなかったこと。 「ありがとう。…だいすきです」 肩に両手を掛けると、屈んでくれたから、背伸びをして近付いたその唇にキスをする。 「忍」 「はい」 「俺の方こそ、ありがとうな。……愛してます」 お尻をスーッと撫でおろされた。手は太ももの裏を滑り、膝の裏を捉え、 「首に手、回して」 ぎゅっと掴まると、待ってましたとばかりに横抱っこされた。 「忍、ちゅ」 誘うように口を尖らせられて、なんとなく可笑しくなって、笑いながら顔を寄せる。 ───と、 「はぁっ!?アニ…っ!?…ちょっ、なんっ…ぎゃっ!!」 ドン、ドン、ドン、ドスーン 叫び声と共に、明理がお尻で階段を下ってきた。 「だっ…大丈夫?!明理っ!」 「だ…いじょ、ぶ…なワケねーだろっ!ケツ……いたぁ…っ!つか、なんで兄貴が!?!いってぇ!」 なんで僕が柊くんに抱っこされてるかってことを訊きたいんだろうか? 説明するべきかどうするべきか、自分だけでは判断できずに、柊くんの顔を窺う。 「あんなぁ…」 柊くんは呆れた顔をして明理を見ていた。 「記憶戻ったからな、この嘘つき女。それから、兄貴の方が可愛いからって、もう俺の忍虐めんじゃねぇぞ。分かったか!んっ」 「えっ、んむ…っ」 柊くんは、明理に対してはっきりと「俺の忍」と宣言してくれた。 そして、その目の前でたっぷり3分は、舌の絡む濃厚なキスを続けた。 明理は腰を打ち付けたのとはまた別に、腰を抜かしてその場に座り込んでいた。 僕は情熱的な柊くんからのキスに息も絶え絶えで、頭がぽーっとして、段々力が抜けていって…… 「こら、柊一!早く用意してきなさいって言ったでしょうが!」 「ハッ、やべっ!すんません、律子さんっ!」 「お母様とお呼び!」 「はいっ、お母様!」 お母さんに見られたショックを受けることも無く、2人のやり取りに笑ってしまうことも無く、階段を出来るだけダッシュで上る柊くんの腕に抱かれたまま……… ベッドの上で酸欠から溶けるまで、幸せなぼやけた世界にふわふわと浮かんでいたのだった。 意識が正常に戻った後、余りの羞恥に顔が真っ赤に染まったことは、言うまでもないだろう。

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