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Year 10 / Christmas Holidays 「クリスマス・イヴ」

 暖炉の傍にはたくさんのオーナメントが飾られたクリスマスツリー、その下に並べられたプレゼントの箱、天井から吊るされたヤドリギの枝。テーブルの上にはスタッフィングをした七面鳥(ターキー)とブリュッセルスプラウト、ローストしたポテトとパースニップ、ベーコンを巻いたソーセージ。そしてモルドワインにクリスマスプディング――二十四日の夜、ラングフォード家の食卓はイギリスらしいクリスマスの定番料理で埋め尽くされていた。  クレアが長い時間をかけて準備したごちそうに舌鼓を打ち、最後に明かりを消して、ブランデーをかけたクリスマスプディングに火をつける。暗くした部屋のなかで青い炎がゆらゆらと揺れ、アルコールがとんでゆっくりと消えてゆくと、待ちきれないようにダニエルが部屋の明かりをつけた。  クリスマスプディングを切り分け、ブランデーバターを添えて盛りつけた皿をクレアが渡すと、デニスは「ちょっと多いな……これ、好きじゃないの知ってるだろう」と困った顔をした。「だめよ、このくらいは食べてね」とクレアは笑い、それを聞いていたダニーが「パパはこれ、嫌いなんだって。ちっともおいしくないって云うんだよ、おいしいのに」とテディに向かって云いながら席を立つ。 「ママ、僕のはアイスね。取ってくる」 「はいはい、わかってるわよ。……テディもアイスにする? 甘いほうがいいでしょ」 「あ……えっと、初めて食べるんでよくわからないんですけど……それはバターですか?」 「ブランデーバターよ」 「じゃあ……アイスでおねがいします」  キッチンからぱたんと冷蔵庫を閉める音が聞こえ、ダニエルがパイントサイズのバニラアイスを持って戻ってくる。クレアはそれを開け、ディッシャーで削るように掬った。盛りつける様子をじっと見ているダニエルと目が合って、今日はずっと嬉しそうにしているその顔になんとなくつられたように笑みが浮かぶ。  中も外も賑やかに飾りつけがしてある家で、伝統的な料理が並ぶテーブルをこんなふうに囲んで過ごすクリスマスは、テディにとっては初めてだった。ツリーの下にいっしょに置いてもらったダニエルへのプレゼントの他には一際目立っている大きな箱と小さめな箱が合わせて四つあり、おそらくそのうちのふたつは自分のためのものだった。  テディももちろん母親と一緒にクリスマスを祝ったことはあったし、プレゼントももらってはいた。だがこんなふうに、映画やドラマのなかで見るような模範的な過ごし方をしたことはなかった。ジャズシンガーだった母親にとって、クリスマスイヴは仕事のかき入れ時で、テディはファストフードのチキンやピザなどをひとりで食べて過ごしたことも何度かあった。サンタクロースの話をするような歳でもなくなっていた所為もあったのだろうが、最後の年などはプレゼントのかわりに欲しいものを聞かれ、それが買えるだけの小遣いを渡されただけで済ませたほどだ。  ダニエルとはもうすっかり本当に兄弟のように仲良くなっていたし、クレアも祖父の家で思いがけず立ち聞きしてしまったときに感じたような、金銭目当てでテディを利用するような厭な人間ではなかった。テディは思った――あれはきっと、身内の前で善人ぶったところを見せるのが気恥ずかしくて、あんな云い方をしただけなのだろう。それとも、ひょっとしたら流れ者のような暮らしをしていたと聞いてどんな子かわからないと警戒し、預かると云ったのを後悔するようなことがあってもお金のためと割りきろうと思っていたのかもしれない。  なんにせよ、こうして接していても裏を感じるようなことはまったくなかったし、素直にクレアは程良い気遣いが心地良い、さっぱりした気性の付き合いやすい人だとテディは思った。 「どう? クリスマスプディングは。口に合った?」 「おいしいです……けど、意外とずっしりきますね、これ……」 「おいしいか? なんだかぎゅって詰まっててちょっと油っぽかったり癖があって、僕はほんとだめなんだけどなあ……」 「もう、人がおいしいって云ってるのにそんなこと云わないの」 「パパもアイスにすればいいんだよ」  デニスも、クレアやダニエルの前ではいつものとおり、感じのいい人間に見えていた。しかしもう、それはデニスのほんの一面でしかないことを知っている。テディは食事やお茶が終わるとなるべくダニエルと一緒に過ごし、夜はシャワーを手早く済ませると部屋に籠もるようにしていた。  眠るときは、ドアの前にケースに入ったCDを二枚立てて置いた上にもう一枚を横にして乗せ、更にその上にキャンディの缶を積んでおく。ドアが開いたらCDが崩れ、かたん、からからと音がする仕掛けである。まさかクレアもダニエルもいるこの家のなかでなにかしてくるとは思えないが、シャワー中のときのようにいきなり入ってこられることを、テディは怖れた。  眠っているあいだに傍らにいて顔を覗きこまれたり、触れられたりするのではと想像すると、それだけで身が竦む思いがした。 「もうおかわりはいい? じゃ、そろそろプレゼントを開けましょうか」  クリスマスのごちそうを充分満喫したあと、クレアがそう云うとダニエルがわぁっと喜びの声をあげた。小首を傾げ、テディが明日の朝じゃないのを不思議に思っていると、それを察してかクレアが「あら、云ってなかった? 毎年なんだけど、私たちこれから母の……ダニーのおばあちゃんちに行くのよ。それでもう今晩のうちに開けていいってことになっているの」と説明した。  席を立ってリビングに飾られたツリーに向かうダニエルを見やり、テディは強張る顔に無理に笑みを貼りつけ、クレアに聞き直した。 「おばあ……さんの……、今からですか……。じゃあ……泊まりで?」 「ええ、ごめんなさいね。冷蔵庫にポテトやグリンピースを作り置きしておいたから、明日はターキーの残りとかといっしょに食べてね。夜は、デニスは一緒にパブにでも行って食べるって云ってるけど……」  クレアがそう云ってデニスの顔を見ると、彼はモルドワインの入ったハーフパイントグラスを掲げ、テディを見て微笑んだ。 「ダニーが大きくなるのが待てなくてね。カウンターで肩を並べて、フィッシュ(アンド)チップスかキドニーパイでも食べながら飲みたいのさ。いいだろテディ?」 「だそうだから、よかったら付き合ってやってねテディ。私たちは明日の夜、向こうで食事を済ませてから戻るから」  泊まりで……今から、夜……デニスとこの家にふたりで――思いもしなかった事態にテディが茫然としていると、ツリーのところから「ねえ、僕のはどれー?」と、ダニエルの無邪気な声がした。「はいはい、今行くよ」とデニスが動き、思わずびくりとその顔を見上げると、にっこりと仮面のような笑顔を返された。  テーブルの下で震える手をぎゅっと握りしめながら、デニスが横を通り過ぎるのを待ち、テディはクレアに尋ねた。 「……デニスは一緒に行かないんですか……? もし俺がいるからなら、(ハウス)に――」 「ああ、違うのよ! そんなこと気にしなくていいの。……あの人、うちの母とあんまり反りが合わなくてね。いつも留守番なの。だから今年はテディがいてくれるから、私はかえって安心なくらいなのよ。男だけで気楽に過ごしててちょうだい」  クレアは明るくそう云って、笑った。 「さ、テディも今日のうちに開けちゃって。ツリーの下に残ってるの、あなたのよ」 「……ありがとうございます」  その後どうやってツリーのところまで歩いたのか、どんな顔をしてダニエルの前で一緒に箱を開けたのか、テディはまったくわからなかった。少しばかり挙動不審だったとしてもきっとクレアは感激している所為だとか、遠慮がちな自分がいろいろしてもらって途惑っている所為だとか思っていたに違いない。  気がつくと、ダニエルは新しいゲームソフトと、リュックサックと色と合わせたスニーカーを並べて眺め、大喜びしていた。自分に渡された箱の中身は万年筆とボトルインクのセットと、もうひとつはシンプルなメタルバンドの腕時計だった。別のことで頭をいっぱいにしていたテディも、さすがに値が張りそうなそれらに驚き思わずクレアの顔を見る。 「……こんな……あの、ありがとうございます、本当に……。すごく嬉しいです、大事に使います……」 「気に入ってくれた? よかった……もう、どんなものが喜んでもらえるかわからなくてね、せめてあっても困らない実用的なものにしようって思ったの。喜んでもらえたならよかったわ。いちおう万年筆は私から、時計はデニスからよ」  それを聞いて、眼の前でダニエルと一緒に箱を畳んでいるデニスを見ると、彼はいつもと同じ笑顔で「貸してごらん。つけてあげよう」と手を差しだした。抗えずその手に腕時計を渡すと、デニスは「たぶんバンドのサイズは大丈夫だと思うんだけど……」と呟き、テディの手首に時計をつけた。そして三つ折れのバンドをぱちんと留めるとさりげなくその手を握り、テディの目をじっと見つめる。 「よし、ぴったりだ。うん、似合うな。どうだいテディ、僕の見立ては」  テディは目を逸らし、握られている手に視線を落とした。 「……ありがとう……ございます……」  引き攣ったような笑みを浮かべ、懸命に躰の震えを抑えようとするテディの手を、デニスはなかなか離さなかった。

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