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Year 11 / Autumn Half Term Holidays 「鉄の檻」

 結局、休暇のあいだは毎晩ダニエルの部屋で一緒に眠った。  夜中に部屋に来ていたのだろう、デニスはそれを知っているようだったが、なにも云わなかった。云えるはずがない。どうして自分の部屋で寝なかったんだなどと云えば、何故それを知っているのか、夜中に部屋に行ったのはなんのためかという話になる。いくら親類の子供とはいえ、もう十五歳にもなっているゲストの寝室を覗いたりなど普通はしない。こればかりは、尤もらしい理由などつけようもないだろう。  これまでに何度か夜中にデニスが部屋に忍んできたことがあり、テディはこの家では安眠することができなくなっていた。しかし今回、ダニエルの部屋では僅かな物音で目を覚ますようなこともなく、ぐっすりと眠れた。  もっと早くこうすればよかったと思いながら、テディは(ハウス)へ戻る荷造りをしていた。  朝から肌寒く、外はあいにくの雨模様だったが、テディの気分は晴れやかだった。何事もないまま寮へ帰れる。もう少ししてサンデーローストを楽しんだあと、さっと片付けを済ませたらクレアが学校まで送ってくれる。  次の休暇はクリスマス休暇(ホリデイ)だから、二週間と長めになる。どんな言い訳を用意しておけばいいだろうか、毎回怖い映画では不自然だ。それに、またクレアたちが泊まりがけで出かけてしまったらどうすればいいだろう。クリスマスパーティに招待されたとでも云って、自分も出かけてしまおうか――あれこれと考えを巡らせながら、テディは縦半分に畳んだスウェットをくるくると丸め、ダッフルバッグに押しこんだ。 「――雨もひどいし、寒いしね。ダニーも今日はスイミングに行きたくないって云ったんだよ。風邪でもひいたらいけないし、じゃあ今日はスイミングのかわりに、ママと一緒にお買い物に行ってくるかい? って訊いたんだ。そしたらダニーは大喜びでね……」  上機嫌に見える表情で饒舌に話しながらハンドルを握るデニスの隣で、テディは膝に置いたリュックサックを抱きしめるようにして俯いていた。  メルセデスは激しく降る雨をワイパーで繰り返し拭い去りながら、テムズ川に向かって南下していた。クレアがいつも通るハイドパークの東側ではなく、ケンジントンガーデンズの西側を通って、今はクイーンズゲートを走っている。  デニスから顔を背けるようにして、テディは初めて見る景色を流れ落ちる雨粒越しにずっと眺めていた。今のところ、道は違ってもいちおう学校に近づいてはいるようだった。が、テディは嫌な予感――否、確信にも近いそれに、ぐっと震える手を握りしめていた。このまま真っ直ぐ、寮に送ってくれるわけなどない。きっと前のようにどこかに寄って、なにかしてくるに違いない。  口調は明るく、普段どおりの仮面を被って話してはいるが、デニスは怒っているのだとわかった。毎晩ダニエルの部屋で眠り、隙を作らないようにしていたことや、夏の長い休暇のあいだまったく顔を見せなかったことに対して、彼は肚を立てているのだ。 「で、僕が君を送ることになったわけさ。いやあ、しかしよく降るねえ。こんなに降ってると、公園のなかなんかも誰も歩いてないだろうね」  車はオンスロー・ガーデンズを過ぎ、左、右と道を折れてチェルシー・スクエアに差し掛かった。立ち並ぶ赤茶色の煉瓦の建物を見ると学校のそれを思いだし、早く帰りたいと気弱な心を呼び起こさせた。 「ところでテディ」  口調が変わった。名前を呼ばれただけで、びくりと躰が跳ねあがる。デニスは前方を向いてハンドルに手をかけたまま、静かな声で云った。 「ダニーには、なにもしてないだろうね?」 「……え?」  訊かれたことの意味がわからず、テディは顔をあげ、途惑い気味にデニスの横顔を見た。 「毎晩あの子の部屋にいて、ただ眠っただけかと訊いてるんだ。なにもはしなかったかと」  ――なにを問われているかを察し、テディは驚きと、その理不尽さに顔を歪め、まさかと首を横に振った。 「俺が……ダニーになにをするって云うんですか。まさかそんな……あなたが俺にしたようなことをするとでも?」 「余計なことは云わなくていい。してないんだな? 正直に云うんだ。もしもなにかしてたなら――二度とクソのできない躰にしてやる」  言葉は汚かったが、初めてデニスの素の言葉を聞いたような気がした。  この人は、本気で息子のことを心配しているのだ。自分がこれまでしてきたことを棚に上げて、大切な息子が無垢なままであることを望んでいる。  滑稽だと思った。テディは何故だか可笑しくて堪らなくなり、くっくっと笑いだしてしまった。 「なにがおかしいんだ」 「……あんたみたいな人でもやっぱりダニーは可愛いんだと思って。……俺はなにもしてないよ。そんなこと考えもしなかった」 「それならいい」  いくら家族の一員を演じても、やはり自分は所詮他人なのだ。否――デニスにとっては、ただの都合のいい物でしかないのだろう。クレアだって、たとえば自分とダニエルのふたりが同時に川で溺れていたなら、迷わずダニエルのほうを救けるに違いない。彼女は、ちゃんとした母親だから――  そう思ったとき、ふっと口角が力無く下がり、表情の作り方を忘れたような感覚に襲われた。まるでなにか、黒い穴のなかに墜ちたような、なにか黒いものに内から喰われていくような心地だった。  テディは無表情に窓の外を眺めた。雨はまだ激しくフロントガラスを叩いている。オークリー・ストリートを過ぎ、ようやくアルバート橋を渡りテムズ川を越えると学校にはあと十分ほどで着くはずだったが――車は不意に左折し、バタシーパークのなかへと入っていった。  天候の所為で人気(ひとけ)のない公園の舗道を進んでいくと、木々に隠れるようにひっそりとした場所に駐車場があった。そこに入っていき、デニスはようやく車を停めた。周りには何台か車が駐まってはいたが、ワイパーが動きを止めるとガラスを打って流れ落ちる雨に外の景色は歪み、はっきりとは見えなくなった。  つまり、外からも――  テディははっと我に返ったかのようにリュックサックをぎゅっと握り、ドアを開けてどしゃ降りの雨のなかへと飛びだした。 「――! 待て!!」  後ろからデニスの声と、ばんっとドアを激しく閉める音が聞こえた。リュックサックを小脇に抱え、ばしゃばしゃと水飛沫をあげながら駆けていく。  車のなかで、また――嫌だ、どうして。何故、自分だけがこんな目に遭わなければいけないのだろう。顔にあたる雨に目を細めながら、来たほうに向かって必死で走るが、制服姿のテディが履いているのは革のペニーローファーだった。濡れたアスファルトに足を滑らせ、なんとか転ばずに踏み止まったところを、追いついてきたデニスに肘を掴まれ捕まってしまう。 「いやだ、離して――離せ、ちくしょう……! もういやだ、もういやだ……っ!」  分厚い手で口を塞がれ、引き摺るようにして車のところまで戻される。テディが開けっぱなしにしていたドアを閉め、デニスはリアシートのほうのドアを開けて、そこにテディを押しこんだ。 「暴れるな、静かにしろ! 安心しろ、こんな天気だ、誰も来やしない。おとなしくしてればすぐに終わる……そしたら学校にはちゃんと送ってやるんだから」  口を押さえていた手が離れ、テディはいやだ、やめろと喚きながら首を横に振った。雨に濡れた髪が車内に飛沫を撒き散らす。デニスはおとなしくしろ! と云ってテディの頸を掴み、タオルかなにか――ひょっとすると車内を拭く雑巾かもしれない――を口のなかに突っこんだ。  激しく降り続ける雨がばらばらと車体を打つ音を響かせる。解いたタイで両手首を縛られ、ブレザーとシャツを(はだ)けられ、湿って張りつくトラウザーズを力に任せて剥ぎ取るように足首まで下ろし、片脚を抜かれる。  逃げられなかった。もう、なにをしても無駄なのだ。さっきまで巣喰っていた黒いものが、またテディのなかで膨らみ始めた。抵抗する気力ももうなく、躰は脱力し人形のようになる。 「僕を避けようとするなんて……ゆるさないよテディ。今日は時間がないから勘弁してあげるけど、今度逃げようとしたり妙な真似をしたりしたら、で抱いてくれって泣き叫びたくなるようなことをしてあげるよ。覚えておくんだね」  狭いリアシートで窮屈に躰を折り曲げ、デニスはテディに伸し掛かり、視界のすべてをその欲望に歪んだ顔で埋め尽くした。

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