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◉1◉トモとユウヤ2_公園デート

「トーモー! 来たよー!」  今日もうちの玄関先には、ユウヤの大きな声が響き渡っている。隣の一人暮らしのおばちゃんは、ユウヤのバカでかい声を聞くことで、孤独が和らいで嬉しくなるのだという。  能天気センチネルの無遠慮さが、独居老人の孤独解消に役立っているのならと、俺も静かにするように言うのを止めた。そして、あえてゆっくりと玄関へ迎えに行くことを、今も続けている。 「トモヤ、ユウちゃん外で待ってるの可哀想だから、早く行ってあげなさいよ。今日すごく暑いから」  ドアの前でソワソワと待っている可愛いユウヤを堪能したいのに、俺と同じくらいあいつを溺愛している母さんから急かされる。 「人の楽しみ奪うなよなー」  ちょっとむかつきながらも、渋々ポーチへと降り立ち、ドアノブに手をかけた。俺の反応にニヤついている母親の目を掻い潜るように、帽子を被る。 「あ、待ってる姿を見てたかった? やだ、意地悪しないでやってよ、あんなに可愛いんだから」 「……うるさいよ。今日俺らパンフェス行ってくるから、帰り遅くなるよ」  その後も何か後ろでごちゃごちゃと話していたけれど、ドアを開けると俺を見つめて笑う顔が待っていた。 「おはよう、トモ。パンフェス、めっちゃ楽しみなんだけど! もう腹へった!」  それを見てしまうと、もう母親の声なんて聞いてやる余裕なんて無くなっていた。後ろ手にドアを閉めると、帽子で隠しながら唇を合わせた。 「はよ。このまま行くけどいい?」  不意のキスを受けて固まるセンチネルは、髪色と同じくらい真っ赤になっていた。 「う、うん。俺、人が多いところ久しぶりなんだよね。ちょとドキドキしてる」  そう言って、口元に手を運び、モゴモゴと「……ていうか怖い」と呟いた。その顔を見ていると、自分の胸の中に知らずに溜まっていた汚れた気持ちが、すうっと溶けて消えていくような気がする。 ——俺しか知らない、ユウヤの顔。 「今から出かけるんだから、かわいい顔すんなって。でもまあ、お前がかわいく見えるのは、俺とうちの両親くらいだけどな。ただ、心配いらないよ。今日はずっと一緒だから」  ユウヤは行動が小動物的だから小さく見られがちだけど、実は結構背が高い。細身だけどしっかり筋肉質で、真っ赤なミドルヘアがすごく目立つ。そして、両耳にピアスもたくさん開いている。 「お前の見た目だと、よっぽど自分に自信がある人しか寄って来れないしな。だからって、気を抜いて俺から離れて行くなよ。何かあった時が困るから」 「うん。よろしく」  パッと満面の笑みを浮かべて、ユウヤは俺の腕にしがみついた。  ユウヤは味覚過敏になって以降、俺の作ったものしか食べなくなった。それは、全ての味のセンサーが異常に発達してしまったことで、売っているものが食べられなくなって倒れた日から続いている。  今日のように食べ物系のイベントに行く事など、普通なら考えられない。まず食べることが出来ないし、匂いも厳しいものがある。人にぶつかり続けることで消耗し、洋服の色や形などの人工的な視覚情報、身長、髪や肌の色などの生まれつきの視覚情報、さらに外でのイベントになると自然の視覚情報……目だけでもこれだけのものが飛び込んでくる。  そこに、食べ物の匂い、食べた場合にはその味、食感という情報が、洪水のように傾れ込んでくる。それを処理しきれなくなった場合、その場で倒れる可能性だってある。  ガイドやミュートにとっては、ただ楽しいイベントであることでも、センチネルにとっては命懸けなことも多い。ユウヤは、俺と一緒の時だけ人混みに出かけるという約束を俺としていて、いつも忠実にそれを守っていた。 「腕組んでた方がいい? それとも手を繋いだ方がいい? 人が多いと、突発的なストレスに対処しやすい方がいいだろ?」 「手、繋ぎたーい。人が増えたら、反対の手でしがみつくー」  そう言って、俺の手を取ると、指と指を絡めて握りしめた。そして、その手を持ち上げて幸せそうに笑う。 「こうしてれば、倒れないよな?」  その笑顔を見ると、愛おしさで狂いそうになる。 「おー。離すなよー」  尻尾振って喜びそうなくらいに嬉しいにも関わらず、それを悟られたくなくて、ちょっとぶっきらぼうな返事をした。 ◆◇◆  パンフェスは、名前からすると一大イベントのように聞こえるけれども、実は商店街の屋台が出るような、身近な地域イベントのようなものだ。  ただ、商店街に新しく出来た飲食店は、結構流行りものを扱っている店もあって、このフェスも、そのうちの一店舗が、サンドイッチを提供するイベントデーやっていたのがきっかけになっている。  それだけで客が大勢呼べるほど、たくさんの種類と味のものが準備されていて、デートや休日の家族でのお出かけにちょうどいいらしい。  そして、ユウヤのような味覚過敏のセンチネルにも、このイベントは比較的に負担が少なくて参加しやすいため、ガイドとセンチネルの二人組がチラホラいることも特徴だ。  サンドイッチは、基本的に冷めたものが多いため、臭いの発生が温かい料理よりも少ない。それに、具材が見えるように切ることで華やかさを出すため、何が入っていてどの程度の味がするのかを、判断しやすい。  サイドメニューになるものも、ユウヤが自衛していれば倒れずに済むようなものが多く、割と安心して参加できるイベントだ。 「トーモー。あれ、あれ気になる。あっちのバゲットサンド!」  ユウヤは、繋いだ手とは反対の手で、俺にしがみつきながら歩いている。夏で色味の薄い服が多いとはいえ、やはり人が多いと視覚刺激が負担になった。  会場に着いた途端に足に来て、すぐに俺にしなだれかかって歩くようにした。 「あれ? わかった。じゃあ、俺が最初に食べるから、それで行けそうだったらユウヤも食べな。それでいい?」 「うん。それでいい。いつもありがとう!」  パッと咲いた笑顔を見ていると、腹の底の方で熱が溜まるのがわかった。でも、今はそれよりもしないといけないことがある。俺は頑張ってものすごく嫌いなやつのことを思い浮かべながら、必死にそれをやり過ごした。  バゲットサンドは毎回人気の商品で、並ばないと絶対に買えない。二人で並んで順番を待っていると、ユウヤが誰かに声をかけられた。 「ユウヤ! 久しぶり。お前、家この辺なの?」 「え……? あ、リュウ? 何してんのここで……あ、もしかして……あれ?」  ユウヤは、会場の隅に造られた、小さなステージを指差した。そこは、地元のミュージシャンやダンサーたちが、パフォーマンスをするために設けられた場所だ。  俺はよく知らないけれど、リュウと呼ばれた男は、おそらくユウヤと一緒にバンドをやっていたやつだろう。確か他のメンバーは全員ミュートで、センチネルに関する理解が無く、無理を押し通そうとされたことで辞めるしかなかったと聞いたことがある。 「なあ、お前今日二曲だけ歌ってもらえない? ボーカルやる予定のやつがリハ中に熱中症になってさ。このままじゃ本番出られないんだよ。お前とならやったことがある曲だけだから。頼む!」  そんな会話を横で聞きながら、俺は順番が来たのでバゲットサンドを購入した。そして、それを持ってユウヤの方へと近づいた。困って俯いているユウヤとリュウの間に入り、ユウヤの手をぎゅっと握りしめた。 「何、あんた……」  突然現れた見知らぬ大男に、リュウは驚いたんだろう。俺を見上げて黙ってしまった。俺は体格にだけは恵まれた。正直見た目だけのハッタリ野郎だけど、今はそれで十分だ。こっそり親に感謝した。 「ごめん、悪いんだけど、俺たちデート中なんだよ。代わりが効くなら、他当たってくれる?」 「はあ? デート? ユウヤ、お前そいつ男……」 「ごめん、リュウ。そういうことだから」  ユウヤは俺の腕にしがみつくと、二人でその場を足早に去った。  会場は、多くの人で溢れかえっていた。さっきみたいに、どちらかの知り合いがまたやってくるかもしれない。見つかるかもしれない。でも、そんなことを考えている余裕はもうなかった。 「トモっ……あっ痛っ!」  会場の中にある、大きな木の影にユウヤを連れて隠れた。ガタイのいい男二人で並んでも、余裕で隠してしまうほどに幹の太い杉の木の下で、俺はユウヤを抱きしめた。  いつもは気をつけているのに、杉の木肌にユウヤの背中を勢いよく打ちつけてしまった。それでも、そのことに構うより、今自分を突き破って出てきてしまいそうな思いを伝えなくてはと焦る。 「トモ、なんだよ、どうしたの?」  それでも、改めて言葉に出すのが怖くて、どうしても口に出すことが出来ない。テレパスしようかどうかを迷っていると、ユウヤはなぜか楽しそうにニヤニヤと笑い始めた。  そして、買ったばかりのバゲットサンドを取り出すと、思い切り口を開けてかぶりついた。 「ユウっ……!」  大きく開けた口で、硬いパンとレタスをバリバリと音を立てて噛みちぎり、中に敷き詰められているラペとゆで卵、厚切りのベーコンを一息で噛みちぎった。  それを何度も咀嚼しながら、一瞬とても嬉しそうな顔をした。でも、味が大味だったのだろう、すぐに顔を顰め始め、無理に噛みちぎった唇からは僅かに血が滲んでいるのが見えた。 「ユウヤ! お前、そんなことしたら……」  痛みと濃い味の攻撃に、だんだんとユウヤの顔色は青白く変わっていった。俺は、それでも噛むのをやめないユウヤに圧倒されていた。 「どうしたんだよ、なんでそんなこと……」  そして、ようやく全てを噛み砕いてゴクリと飲み込んだユウヤの顔を見て、息を呑んだ。顔は真っ赤になっていて、目は熱を持って潤んでいる。 「何……? なんで、そんなになってるんだ?」 「ケアして」  ぐいっと口元を拭いながら、ユウヤは俺にしがみついてきた。 「俺、今痛い思いした。俺に何かあったら、ケアしてくれるのはトモでしょ? だから、ケアして。他の人じゃだめなんだから」  そう言って、俺のシャツの襟元を掴むと、そのままぐいっと引き寄せた。  杉の木の向こうには、たくさんの人がいる。それなのに、ユウヤは俺を求めている。 『他の人じゃだめなの?』  俺がテレパスすると、ふんわりと微笑みながら『そうだよ、トモじゃないとだめ』と返す。俺はそれでも、その先が聞けないビビリだった。でも、ユウヤはその壁を、思い切り突き破ってしまった。 『俺とトモはケアだけの関係じゃ無いよね? 俺はトモが好き。好きだから、ケアはトモからしか受けたくない。トモは?』  壁を壊すだけの勇気を持ってくれていたのは、慢心では無く本当に勇気の表れだったらしい。不安に揺れる瞳で、唇を引き結んだユウヤが俺を見ていた。  俺はユウヤを抱き竦めて、その全てを喰らい尽くすように唇を吸った。 『もちろん、ユウヤだけだよ。ユウヤ、好きだ。言えなくてごめん、言ってくれてありがとう』  何度も深いキスをして、口や鎖骨を夢中で吸った。でも、さっきのダメージはもうケアが終了しているし、ここはあまりに人が多い。 「……俺んちおいでよ、トモ。俺、今日恋人として抱いて欲しい」  そう言って抱きしめてくる恋人に、「絶対行く。絶対抱く!」と震える声を絞り出してどうにか答えた。 「……俺から言えなくて、ごめん」と謝る俺に、ユウヤは楽しそうにカラカラと笑い声を上げた。 「トモ、センチネル舐めちゃだめだよ。感情の揺らぎとか全部見えちゃうんだから。リュウに向けた殺気、すごかったよ。独占欲と俺への好意の塊だった。あれで十分だよ」  ずっと近くにいて、ずっと大切に思い合ってきた俺たちは、この熱い夏の日に、ようやく恋人になるために一歩進むことができた。

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