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第2話 男は初めてだそうですが
「うっ……」
ひどい頭痛に襲われて、ジアは自分の意識が戻ったことに気がついた。
「……ここは?」
「ジア!」
不意に耳元でシーナが叫んだ。頭の中で鐘が鳴っているような痛みにジアは顔をしかめた。
「シーナ? 一体何が……」
「見て見て! すっごく綺麗よ!」
シーナは先ほどの申し訳なさそうな態度とは打って変わって、子供のように瞳をキラキラさせながらはしゃいでいる。それでジアも、自分達が今まで見たことのないような綺麗な部屋の中にいることに気がついた。壁紙は真っ白で所々に金色の模様が施され、床には分厚くて赤い絨毯が敷き詰められている。寝台も化粧台も全て白塗りに金の取手付きで、部屋全体が明るくて清潔感に溢れていた。
「シーナ、ここは一体……」
「見て見て! この紐を引っ張ったら誰か来てくれるんだって。すみませーん!」
シーナはジアの話など全く耳に入らない様子で、大声で叫びながら壁から下がっている紐を引っ張った。
「おい! むやみに触らない方が……」
「どうかなさいましたか?」
扉の向こうから女性の声が聞こえたため、ジアははっとして口をつぐんだ。
「ジアが起きました!」
シーナの声に女性が微かに息を飲む気配がした。そのままパタパタと廊下を走る音が遠ざかって行ったかと思うと、すぐに複数人の足音が近づいてきた。その気配があの夜、ジアが気味が悪いと感じたそれに似ている気がして、ジアの背筋に緊張が走った。
「……シーナ様、ジア様」
予想外に丁寧な敬称で呼ばれて、ジアの背中に今度は鳥肌が立った。
「扉を開けてもよろしいでしょうか」
「開けて下さい! ジアが起きたんですよ!」
ジアが止める間もなくシーナが叫び、程なくしてガチャリと部屋の扉が外側から開かれた。扉の向こうに立っていたのは精悍な顔つきの男性で、後ろに四人ほど部下を従えている。男性は武装してはいなかったものの、隙のない雰囲気から明らかに武人であることがうかがえた。
「こちらへご案内します」
男の声音は丁重だったが、有無を言わさぬ強さを秘めている。シーナがすぐに寝台からぴょんと飛び降りて、ジアの右腕を掴んだ。
「行きましょう、ジア」
まだ体に力が入らなかったが、鋭い目つきの男性が目を光らせていて逆らえる雰囲気ではなかった。ジアは仕方なくシーナに引っ張られるがままに寝台を降りた。
長い廊下は床も壁も全て大理石で作られており、赤字に金糸の刺繍が施された長い絨毯が敷かれているものの、素足のジアは何となく足裏が冷たく感じられた。無駄に高い天井からは様々な色の布が垂れ下がり、ステンドグラスのはめ込まれた窓から差し込む陽光が壁や床に色とりどりの光の模様を映し出している。
(今は朝なのか? かなり眠らされたようだが……)
廊下の一番奥に重厚な両開きの扉があった。蔦が絡まったような複雑な彫刻が施されたその扉を男性が押し開けると、ギイイイッと重そうに扉が軋んで中の広々とした空間が明らかになった。
(これは……!)
こんな状況にも関わらず、ジアは思わず感嘆せずにはいられなかった。ジアが寝ていた部屋も、ここまで来るのに歩いてきた廊下も、どこを取っても綺麗で素晴らしい作りになっていたが、そのいずれもこの場所の比ではなかった。いく本もある柱は全て金箔で覆われており、天井から垂れ下がる布も金糸で縁取られ、部屋の中央を走る真っ赤な絨毯の縁には色とりどりの宝石が散りばめられている。その絨毯をたどった先に広くて長い階段があり、これまた金で作られた豪奢な玉座が据えられていた。
階段の最上階、最も上座の位置に据えられた玉座に座っているその人こそ、この贅のかぎりを尽くして作られた謁見の間の主人である現国王陛下であった。厳しく威厳のある表情で座っている陛下の両脇に立っているのは国王の二人の息子、第一王子エドワード殿下と第二王子ウィリアム殿下だ。高貴な方々の話など知らないとシーナに話したジアだったが、流石にこれくらいの知識はあった。長男のエドワードは今年二十五歳、長い金髪を背中に流した美貌の青年で、切長の青い目に宿っている光は優しく、穏やかな印象を与えた。父親を挟んで隣に立つ弟より少し背は低いようだったが、それでも百八十センチはありそうだ。もう一人の王子、次男のウィリアムは今年十八歳、エドワードによく似た顔立ちをしていたが、目つきは兄に比べて鋭く、若さゆえの傲慢さも少し感じられた。髪も癖毛で耳の辺りでバッサリと切られている。エドワードが柔和な表情を浮かべているのに対して、ウィリアムはうんざりしたような表情で、自身がひどく不機嫌であることを周りにわざと知らしめているようであった。
「……昨日だけで五十人以上の偽物を既に追い返しているが、今朝一番乗りのこやつらは一体何者だ?」
国王の言葉に、ジアとシーナを先導してここまで来た隊長らしき人物が恭しくその場にひざまづいた。
「恐れながら陛下、昨晩通報がありまして、逃げられぬように昨日の時点で身柄を確保して城の召使いの部屋に連れてきておりました」
(あの綺麗な部屋が召使いの部屋だったとは……)
他にもっと気にすべきことがあるにも関わらず、ジアはつい自分が寝ていた清潔な寝台を思い出さずにはいられなかった。
「通報やら身柄の確保やら、何だか物々しいな。そんな手荒なことをしなくてもいいように報奨金を提示したんじゃなかったのか?」
エドワード第一王子が驚いた表情で問いかけた。
「昨日ここに来た者たちは、皆報奨金欲しさにわざわざ体に鍵穴の絵を描いて自ら赴いて来た者ばかりだった。インクならまだしも、刺青を入れて来た者までいた始末だ。体のそんな部分に傷をつけるなんて正気の沙汰じゃない。死人が出る前に早くこの仕事を終わらせなければと思っていたところだったんだ」
「恐れながら殿下、通報者の指示に従ったまでなのでございます」
「それで、今回の鍵穴はそこの女性のことなのか?」
エドワードの言葉を聞いて、すぐにシーナがジアの腕を掴んで前に進み出た。
「違います! 鍵穴があったのは私じゃなくて、こっちの男なんです!」
一瞬、その場が水を打ったように静まり返った。エドワードとウィリアムは驚いた表情のまま凍りつき、隊長らしき男性はひざまずいたまま下を向いている。階段の下に控えていた何人かの側近らしき人物たちも、お互いにちらちらと視線を合わせるだけで一言も発せずにいた。
やがて、重々しく口を開いたのは、相変わらず厳しい表情のままの国王陛下だった。
「……ここ数日でたくさんの偽物が現れたが、男が来たのは初めてだ。しかしその男も驚いているようだが?」
当然だ。だって知らなかったんだから。ジアはあんぐりと口を開けたままその場に固まっていた。
「こいつはジアって言って、私の幼馴染なんですけど、昨日私がこの目ではっきり確認したんです! 明らかにおかしな模様がお尻の……」
前で跪いていた隊長が慌てて立ち上がり、この卑しい女が国王の前で下品な発言をする前に手で制して止めた。
「この女性の通報を受けて、我々がすぐに確保に向かいました。彼女の話によると、彼は報奨金には興味がないらしく、逃げられる可能性があるとのことでしたので」
「なるほど、それなら納得がいく。男性ならそういう趣味でもないかぎり、抵抗があって当然だ」
エドワードは少し笑いを堪えるような表情でジアを見た。
「しかし、そういう話なら今回は期待できるんじゃないか?」
「やめて下さいよ、兄上。こいつも偽物に決まっています」
「それを決めるのはお前達ではない。アルバートはいるか?」
階段下の側近の中から、紫色のローブ姿の男性が進み出て来た。
「こちらにございます、陛下」
「今すぐこの男の鍵穴を確認せよ」
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