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第4話 入浴という名の殺菌消毒
謁見の間でのあれこれの後、カイに元いた召使いの部屋へと案内されたジアはすぐにシーナに食ってかかった。
「シーナ! どういうことか説明してもらおうか?」
「えぇ? なんか説明する必要ある?」
「あるだろ! お前俺を売ったな? あの時鍵穴を見つけたんなら、どうして俺に黙って通報したりしたんだ?」
そうジアに問い詰められ、シーナはバツが悪そうにうなだれた。
「だってあんた、お金のために恥を晒すなんて死んでもごめんだって言ってたから。せっかく貧民街から抜け出せる絶好の機会だってのに。みんなお尻に刺青彫ってまでここに押しかけてるのよ。誰にでも与えられるチャンスじゃないのに、あまりにも勿体無いじゃない」
「にしても俺に何の断りも無く通報するなんて。俺に対する裏切り行為だろ」
「だからそれはごめんって、最初に謝ったじゃない」
「謝って済む問題か! お前のせいで、俺は見ず知らずのよく分からない魔法使いに恥部を見られた挙句、この後さらに屈辱的な目に合わされるんだぞ!」
二人の会話を興味深げに聞いていたカイが、ここでようやく二人の間に割って入った。
「まあ二人とも落ち着けって。ジアもこうなったからには腹を括れ。彼女のおかげで俺たちはこれ以上余計な仕事を増やさずに済んだし、金に目が眩んだ民が変なところに墨を彫ってケガをするのも防げた。彼女のおかげでたくさんの人間が救われたんだ。お前だって一回ちょっと我慢すれば大金持ちになれるんだ。初めてだから抵抗があるだろうが、きっと彼女に感謝することになるって」
(そりゃあんたはこいつのおかげで手間が省けたんだから良かったろうが……)
カイに褒められて嬉しそうな様子のシーナを、ジアはありったけの憎しみをこめて睨みつけた。カイはジアの機嫌が簡単に直るとは最初から思っていなかったようで、特に気にする素振りも見せずにちらりと腕時計を確認した。
「そろそろ来るかな」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、カラカラと何か近づいてくる音が聞こえ、三人のいる部屋の前でピタリと止まった。
「お食事をお持ちしました」
「腹が減ってるとイライラするだろ? これを食って落ち着けば少しは気が変わるって」
カイはそう言うと、さっと立ち上がって部屋の扉を開けに行った。
(飯で釣ろうったってそうはいくか。動物じゃあるまいし、餌付けされてたまるかっての)
しかし、王家に仕える料理人の腕前はただものではなかった。加えて貧民街育ちのジアは、今までこのような高級食材など見たことすらなく、ついつい料理の皿に釘付けになってしまった。大皿並んでいるのは、濃い黄色に輝くスクランブルエッグにピンク色の艶めくハム、それに色とりどりの野菜類だ。パンだけでも柔らかいものから固いものまで数種類あり、またそれに添えるジャムやバター、チーズも盛りだくさんだ。飲み物も数種類のフルーツジュースから選び放題だった。
「朝食だからこんなもんだが、ランチやディナーはもっと豪華だぞ」
落っこちそうなほど見開かれた二人の目を見ながら、カイがニヤニヤしながらそう付け加えた。
夕食を食べ終えた後、アルバートが中年の女性を連れて三人のいる部屋を訪れた。
「カイさん、お疲れ様です」
「ああ、子供のお守りってのも大変なもんだ」
そう言いながら、ご馳走をたらふく平らげて満足そうな表情のジアをチラッと見て、カイはこっそり笑いを堪えていた。
「ジアはこれからこの人に別室へ案内してもらう。シーナにはここで俺から今後のことについて少し話がある。マイアさん、ジア殿をお願いします」
マイアと呼ばれた中年女性は頷くと、椅子に座っているジアの所に近づいて彼の手を取った。
「ご案内いたします」
「え、俺の部屋はここじゃないんですか?」
一日過ごして何となくこの綺麗な部屋に愛着を持ち始めていたジアは不安げにそう尋ねた。
「はい、ここは使用人の部屋ですので」
丁寧だが有無を言わさぬ声音からは、厳格な女性特有の厳しさが滲み出ていて、ジアは思わずきゅっと背筋を伸ばした。マイアに腕を引かれるままに、彼はちょっとだけ住み慣れた使用人の部屋を後にした。
シーナと一緒に一日過ごした部屋は十分過ぎるほど広くて綺麗だったのだが、やはり使用人の部屋であったことに新しい部屋に案内されてジアは初めて気がついた。
「こちらです」
マイアが美しい花の彫刻が施された扉を開くと、先ほどの部屋の三倍は広い空間が目に飛び込んできた。しかも部屋の中に更にいくつか扉があって、さらにいくつかの小部屋に分かれていることが伺えた。
「こちらが寝室で、こちらは客間になります。お手洗いはこちら、浴室はこちら、衣装がけはこちら……」
貧民街の彼の家は一間だけで、風呂も便所も存在しなかった。一箇所にこんなにたくさんの部屋がある状態など初めてで、説明を聞きながらジアは興味津々に色々な扉を開けてみた。
「あの、ここって一体何の部屋なんですか?」
「こちらはよその国の姫君が我が国にいらっしゃった際に滞在していただく部屋となります」
「え……」
「お見合いにいらっしゃる、将来の王妃殿下候補の方々です」
ジアは聞かなければ良かったと後悔した。そんなジアの様子などまるで意に介さず、マイアは召使いの部屋にあったものと似たような紐を引っ張った。程なくして、茶色のワンピースに白いエプロン姿の使用人の女性が二人、マイアの呼び出しに応じて現れた。
「湯浴みの準備は整っていますか?」
「はい、滞りなく」
「よろしい」
マイアは頷いてジアに向き直った。
「それではこれからジア様には入浴して体を清めていただきます」
「あ、はい」
「私どもでお手伝いいたしますので、こちらの入浴着に着替えていただけますか?」
「え? あの、風呂くらい自分で……」
入れますけど、と言いかけたが、マイアの鋭い目つき見てジアは賢明に口をつぐんだ。
入浴着というのはただの薄くて白い半ズボンのようなもので、気をつけないと男の大事なものが透けて見えそうだった。
(三人の女の人に入浴を手伝ってもらうって、一体どういう状況だ? 王家の人間は自分で体すら洗えないのか?)
しかし、準備を整えていざ入浴となった時、ジアはこれが普通の入浴ではないことに気がついた。
「こちらへどうぞ」
部屋にあった扉のうち、噴水の彫刻の彫られた扉を開けると、広々とした浴室につながっていた。金の猫足のついた真っ白な陶器の湯船に張られた湯からは、南国のフルーツか花のような濃厚な香りが立ち上っている。
(すごい匂いだな。果汁でも煮立ててるのか?)
湯船を恐る恐る覗き込んだジアはぎょっとして思わず後ずさった。濃厚な香りを放つそのお湯は、まるで赤と白の絵の具を溶かした水に黒い絵の具を混ぜたような、濁ったピンク色をしていたからだ。
「……あの、お湯って普通透明なものなんじゃないんですか?」
「入浴剤です。見るのは初めてですか?」
「あ、いや、確かにあまり縁のないものではありますが、それにしても思っていたものとはちょっと違うような……」
「王家で使用されるものは最上級の品ばかりですから、馴染みがなくて当然です。ご心配なさらずにさっさとお入りください」
マイアの圧に押されて、ジアはそろそろと足の指先から湯船に慎重に入って行った。ピンク色のお湯は肌に触れると少しピリッと刺激があったが、湯加減は丁度良く設定されており、ジアはすぐに気分がほぐれてきた。
「いかがですか? ぬるすぎたり熱すぎたりはしませんか?」
「いえ、とても気持ちいいです」
ジアが思わずうっとりと目をつぶって眠りかけた時、突然両サイドから腕を掴まれてジアはびくっと目を開けた。
「それでは体を擦らせていただきます」
二人の使用人がそれぞれジアの右腕と左腕を掴み、目の洗い布でゴシゴシと擦り始めた。
「いててててて!」
「少々の痛みは我慢して下さい! こびりついている垢を根こそぎ落としますんで!」
使用人の一人の容赦ない言葉に、ジアは涙目になりながら歯を食いしばった。
「この薬湯には治癒作用、殺菌作用、肌の潤いを保ちスベスベにする作用が含まれています。痛みがあるのは今だけですのでご安心を」
マイアはそう言いながら、また別の薬品を使ってジアの頭をガシガシ洗い始めた。
「くっ! 頑固な髪の毛だこと。一度も櫛を通したことなさそうですね」
「いたたたたた!」
(毛根ごと持ってかれる!)
三人の女性に好き放題洗浄されて、ジアはなすすべもなく心の中で何度も悲鳴を上げていた。
「なんだ、見違えるように綺麗になったじゃないですか」
入浴という名の殺菌消毒を終えて髪の毛を乾かしている時、アルバートがジア部屋にやってきてそう言った。
「アルバート様、薬湯を使って体を擦りましたが、これ以上肌が白くなりません」
「まあそれが本来の肌色なんでしょう」
「それに髪の毛も癖があるし、黒いし長さが足りません。魔法で何とかしてもらえませんか?」
「魔法使いだからって何でもできると思わないで下さいよ。それにそこまで殿下の好みに寄せる必要は無いと思います。彼には彼しか持っていない良さと美しさがあるんですから」
アルバートはにっこりと笑ってジアの髪の毛に触れた。
「黒い癖毛に黒い瞳、浅黒い肌に濃いまつ毛。確かに白い肌に碧眼金髪の殿下とは真反対ですが、エキゾチックでいいじゃないですか」
マイアはため息をつくと、白い絹で織られた裾の長い衣服を取り出した。
「今夜はこれをお召しになって下さい。王族の方がお召しになるのと同じものです」
「えっいいんですか?」
絹の肌触りは滑らかで少し落ち着かなかったが、王族の仲間入りをしたようでジアは何となく気分が高揚した。子供のようにはしゃいでいるジアを見ながら、アルバートが面白がっているような表情で口を開いた。
「それでは今から第二王子殿下の寝室にご案内します」
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