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第13話 深海のセイレーン1
南の漁村は以前は漁業で活気あふれる村だったのだが、怪物騒ぎのせいで誰も漁に出ることができず、村人達の表情も暗くて村全体が沈んだ空気に包まれていた。そんな状況のせいか、この村の村長は吊り橋の村の住人とは違い、神々しい金髪の第二王子が現れても別段驚いた様子は見せなかった。
「王宮からお越しの皆様、お待ちしておりました。どうぞ魔物の災いから我らをお救いくださいませ」
「セイレーンが現れたのはどの辺りだ?」
深々と頭を下げる村長に、ウィリアムは単刀直入にそう尋ねた。
「我らが普段漁場にしている沖合です。その日はニ隻の船が漁に出ていましたが、耳の悪い漁夫が一人命からがら帰ってきただけで、二十名近くの漁師が帰らぬ人となりました」
ウィリアムが険しい表情で、今回も同行している騎士団員のシンと顔を見合わせた。
「一度に二十名か。かなり被害が大きいな」
「セイレーンは事前に正体が分かって遭遇するならそこまで脅威はありませんが、不意打ちで出会ってしまうと確かに危険極まりない魔物です。今後は海に出る際のガイドラインを作成するべきかと」
「そうだな。ここ数百年世間を騒がすことがなかったから油断していたが、今後は海に出れば遭遇する可能性があることを国民に知らしめねば。帰ったら兄上に進言しよう」
今回は吊り橋の怪物より格上の魔物な上、船を動かす必要があったため、ウィリアムはシンの他に五人の団員を連れて来ていた。それから赤い髪の青年が一人同行していた。目は赤色ではなく緑色をしていたが、おそらく魔法使いの一人だろう。ウィリアムが目で合図すると、赤毛の青年は立ち上がって皆に何か配り始めた。
「ジア様」
呼ばれて手を差し出すと、青く光る石の嵌め込まれた銀色の耳飾りが手のひらに落ちた。
「これは?」
「意思疎通の加護を付与した耳飾りです。セイレーン退治の時は耳栓を付けるので、普段通りの会話ができません。仲間同士の意思疎通はこの耳飾りを使って行うんです」
「へえ〜」
ジアは試しに耳飾りをつけてみた。魔法使いは何か言いたそうに口を開きかけたが、思い直して口を閉じると、自分も耳飾りの金具を耳に当てた。
(……何だ? 特に何も聞こえないけど)
その時村の一軒の家から何かいい匂いが漂って来た。昼を少し過ぎた時間帯で、おそらく遅い昼食の準備をしているのだろう。城を出る前に昼食は済ませてきていたが、ジアは本能的に口の中に唾が溜まるのを感じた。
(焼き魚か。自分で捕って焼いた魚ってマジで美味いんだよな。ただ塩をふって焼くだけなんだけど、達成感も相まってかどんな高級料理店にも負けない味になる気がする。あ、でも高級料理店でそもそも食べたことないからやっぱり分からないな。ああでもお城で食べた食事と比べたらどっちが……)
その時視線を感じてジアははっと物思いから覚めた。ウィリアムが奇妙な目つきでジアのことを見ている。他の騎士団員達はジアが目を上げたのに気がつくとさっと視線を逸らしたが、何人かは笑いを堪えるように肩を震わせていた。
『ジア様、この耳飾りには心の声を共有する加護が付与されています。無防備な状態で使用すると思っていることが耳飾りをつけている者全員に筒抜けになりますよ』
急に頭の中に直接声が響いてきて、ジアはぎょっとして思わず飛び上がった。
「ええっ?」
『特定の人物の顔を思い浮かべて伝えたいことを念じれば、その人にだけ言葉を伝えられます。無意識に考え事をしたりすると全員に考えていることが伝わってしまうので、耳飾りをつけている間は常に気を張っているイメージですね』
ジアは試しに赤毛の青年の顔を思い浮かべ、喋る時のように言葉を念じてみた。
『あなたの名前は何ですか?』
『私はアルガと申します』
他に言葉が聞こえることは無かった。ジアが赤毛の青年を見ると、彼は微笑んで頷いた。
『上手くできましたね。ジア様の心の声は私にしか伝わっていないみたいですよ』
『これってもしかして複数人の顔を思い浮かべたら、同時に複数人に思いを伝えられるんですか?』
『その通りです』
何となく楽しくなってきた時、不意に大きな手が両耳に掛かってジアはビクッと振り返った。
「使い方が分かったならもういいだろ。こういう装備はややこしいから、不必要な時は基本的に外しておくんだ。耳栓をする直前に付ければいい」
ウィリアムがジアの両耳から耳飾りを外してジアの両手に落とした。
「あ、すみません」
その時ウィリアムがさっと振り返ってアルガを睨みつけた。彼が何か耳飾りに伝えたらしい。アルガがニヤニヤ笑いながら耳飾りを外すと、ウィリアムも苦虫を噛み潰したような表情で自身の耳飾りを外した。
「……それで、我々の使う船の用意はできているか?」
「はい、もちろんでございます。しかし、今から出発されるのですか?」
ウィリアムが頷くと、村長は慌てて首を振った。
「沖までは一時間ほどかかります。今から出ると、怪物と遭遇するのが下手すると夕方近くになりませんか? 夜の海は危険ですし、怪物により有利になるかと。今日は村に宿泊して、明日出発されてはいかがでしょう?」
「心配には及ばない。我々はそれなりの装備を備えているし、どちらにせよ知恵のある怪物なら日が落ちるまで姿は現さないはずだ。それに、早ければ早いほど生存者を救出できる可能性が高くなる」
村長は心配そうだったが、ウィリアムの言うことも一理あると思い、一行を用意していた船まで案内した。
「こちらの帆船になります。船の操縦に慣れた者を何人か連れて行かれますか?」
「いや、怪物の討伐に一般人は連れて行けない。我々も船の操縦くらい心得ているから大丈夫だ」
(……俺も一般人なんだけどな)
ジアは心の中で不平をこぼした後、はっとして両手を耳に当てた。それで耳飾りをウィリアムに外されていたことを思い出してほっと息をついた。
(便利な装備だけどある意味厄介だな)
「ジア様は船の操縦の心得はありますか?」
「いえ、こんな大きな船に乗るのは初めてです。小舟くらいしか乗ったことなくて」
「では力仕事は彼らに任せて、我々は船室に入っていましょう」
「え、でも何か手伝わなくていいんですか?」
「彼らだけで十分船は動かせます。甲板にいても邪魔になるだけですよ」
アルガに背中を押されて、ジアは仕方なく船室の扉を開けた。一瞬振り返った時ウィリアムと目が合った気がしたが、すぐに横を向いてロープの確認を始めたので、気のせいだったのかもしれない。
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