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第14話 深海のセイレーン2

 船室に入ると、すぐにアルガが炭酸水の入った瓶を持ってきてくれた。 「お腹が空いていらっしゃるかもしれませんが、揺れるともどしたくなるかもしれませんので」  先ほどの心の声の件を思い出して、ジアは慌てて手を振った。 「いえ! 別に空腹ってわけじゃないんです。いい匂いがしたからつい……」 「確かに焼き魚の匂いって食欲をそそられますよね」  アルガは自分の分の瓶を開けると、ジアの隣に座って一口啜った。 「王宮の方でも焼き魚とか食べるんですか?」 「遠征時には野宿もしますよ。あなたが思っている以上に、殿下は庶民的な方かもしれません。ただ、私の場合は生まれた時から王宮にいたわけではないので、ジア様と境遇は似ているかもしれませんね」 「アルガさんも貧民街出身なんですか?」  王家に仕える人間が必ずしも全員高貴な出自だとは思っていなかったが、貧民街出身者がシーナ以外にもいるとは思っていなかったため、ジアは少なからず驚いた。 「貧民街は訳ありの人間が多く、身分を隠して生活するには都合の良い場所です。私もアルバート様に拾われるまではそこにいました」  学のないジアだったが、魔法使いの迫害の歴史については何となく知っていた。かつてこの世界は魔法に溢れ、人々は当たり前のようにその力の恩恵にあやかってきた。しかしやがてその力は収束し、一部の鉱石など形あるものに姿を変えていった。それが人間以外の生き物の形を取り、人々の生活を脅かすものは魔物と呼ばれ、魔法の力が人の形をとったものは魔法使いと呼ばれた。  魔法使いは赤い髪を持って産まれるのが特徴で、その魔法の能力は個人差が大きく、同じ魔法使いでも使える魔法の種類は異なっていた。かつて人々は彼らを魔物と混同し、その力を恐れて迫害した。しかし一部の国々で賢明な国王は彼らを保護し、力のあるものは臣下として取り立てた。ウィリアムたちの王家では建国時から魔法使いを保護しており、そのためこの国の歴史では魔法使いの迫害は行われていないはずであった。 (魔法使いの寿命は普通の人間とは違うと聞いたことがある。この人も見かけ以上に長く生きているのかもしれないが、まさかこの国の建国前から生きているのか?) 「そういえば、この耳飾りの加護はアルガさんが付与されたのですか?」 「いいえ、残念ながら私には装備に加護を付与する力はありません」 (そうなのか。やはりあのアルバートという魔法使いは別格なんだな)  ジアの表情を読み取ってアルガはにっこりと笑った。 「アルバート様はおそらくこの国で最も力のある魔法使いですよ。魔力を探知する赤い目を持つ魔法使いは我々の中でも別格なんです」 「魔力って、俺たちが今身につけている装備も含まれるんですか?」  今回のジアの装備も、耳飾り以外は全て出発前にウィリアムが見繕ってくれたものだった。全体的に薄めの素材で作られていたが、身につけるものの数は前回の吊り橋討伐時と大して変わらず、靴もマントも普通に支給された。 「……あの、セイレーンの討伐って船の上だけで行うんですか?」  不審に思って聞いた時、ウィリアムは不思議そうな目でジアを見た。 「それは難しいだろう。知恵のある魔物だから、陸上では自分が不利だと分かっているはずだ。間違いなく我々を水中に引き込もうとするだろうし、こちらもそのつもりで対処する」 「でも、じゃあ靴とかマントがあると水中では不便じゃないですか?」 「それらは普通の靴やマントではない。靴に付与してある素早さの加護は水中でも有効だから、海の中でも魚のように自在に動くことができる。マントの浮遊の加護は海面から空中に浮かび上がるのに役立つ。これがあれば例え船から引き離されていても、相手の有利な海から抜け出すことができる。チョーカーで水中でも息はできるし、心配ないだろう」  そう言われても、水に潜る時は裸同然なのが通常スタイルのジアは、服のまま海に入るというのは考えただけで落ち着かなかった。 「いえ、あの目はご自分の魔力以外を探知するものです。我々が使用する装備は全てアルバート様が加護を付与されたものですから、これらに反応することはありません。そうでなければアルバート様は年中文字通り目を光らせていなければならなくなります」 「へえ、そういうものなのですね」  ジアは納得して頷くと、アルガに倣って炭酸水を一口啜った。 「俺はてっきり、アルガさんが耳飾りに加護を付与したから同行しているのかと思ったんです」 「小物以外の魔物討伐には基本的には魔法使いが同行します。本当は全ての討伐に同行できた方がいいのですが、何せ魔法使いは人員不足ですのでそうもいかないのが現実です。これらの装備に加護を付与したアルバート様がもし同行することがあれば、それは相当な、この国を揺るがしかねない事案が起こった時ですね」  アルガの話を聞いて、ジアはあの吊り橋の修理に魔法使いが呼ばれていたことを思い出した。もし最初から魔法使いが同行していれば、あの老人もヒカに連れていってもらわなくても、自分で吊り橋を渡って村に帰れたのかもしれなかった。  その時、今まで柔和な笑顔を浮かべていたアルガが急に表情を引き締めた。まるで遠くで鳴っている微かな音を聞き取ろうとするかのようにしばし目を瞑り、それから目を開けると確信に満ちた表情で頷いた。 「近づいていますね」 「えっ? 何か聞こえましたか?」 「アルバート様ほどの力はありませんが、私は魔物の存在を耳で探知するんです。魔法使いは力の差はあれど、同族に対して皆何かしら感じる力を持っています。ジア様、耳飾りと耳栓をつけてください」  アルガが自身も耳飾りと耳栓をつけながらそう言って立ち上がったので、ジアも慌てて慣れない手つきでそれらを装着すると、アルガについて船室を出た。  甲板にいたウィリアムは耳飾りと耳栓をつけたアルガが出てくるのを見ると、表情を引き締めて他の騎士団員を呼び集めた。何か指示を出しているようだったが、耳栓をしているジアには彼らが何を話しているのか全く聞き取れなかった。 (人の話が聞こえないのって何だか落ち着かないな……) (おい、また心の声が漏れてるぞ)  不意にウィリアムの声が頭の中に響いて、ジアは再び飛び上がった。 「あっすみません!」 (別に口を動かすのは勝手だが、俺は唇を読むことはできないからな)  ウィリアムは口を閉じたままこちらを睨みつけている。口を開けていないのにその人の声が聞こえてくるなんて、視覚と聴覚の情報が一致しなくてジアは一瞬混乱した。 (……こんな感じでしょうか?) (ああ、今のは聞こえた)  ウィリアムは頷くと、くるりと踵を返してジアに背を向けた。 (ところで、さっきはアルガと一体何を話してたんだ?)

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