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第15話 深海のセイレーン3

(えっ?)  背を向けているためウィリアムの表情は見えない。頭に響く声音からも何を考えているのかさっぱり分からず、何を思ってそんなことを聞いてくるのか分からない。 (そんな聞かれてまずいような話はしてなかったよな……あっこれも漏れてるんだった!) (……) (魔法使いの宮廷での役割とか、色々聞いてました。アルガさんは耳で魔物を探知できるんだとか) (そうだ。セイレーン退治に魔法使いの同行は必須だ。かつて魔法使いが味方にいなかった時は、騎士の一人が耳栓をせずに帆柱にその体を縛り付け、彼の様子を見て残りの騎士たちがセイレーンのいる海域に入ったことを確認していたそうだ)  海に飛び込もうと大騒ぎする仲間を見ながらセイレーン退治をすることにならなくて良かったと、ジアは心の底からアルガに感謝した。  その時、騎士の一人が驚いて何か叫び、続けてジアの頭に彼の声が届けられた。 (海の上に人影が見えます!) (セイレーンか?)  ウィリアムが落ち着いた声をその場にいる全員に届けた。 (いえ、男性のようです。村の漁師の生存者かもしれません!) (すぐに救出の準備を!)  ウィリアムの合図と同時に二人の騎士団員がさっとマントを広げて飛び上がり、船の残骸のような木切れに掴まって海面に浮かんでいた男性を救助して戻ってきた。 (どうだ、息はありそうか?) (体は氷のように冷たいですが、まだ辛うじて生きています)  男性は固く目を瞑って気を失っているようだったが、確かに甲板に仰向けになった胸が上下しているのがジアにも確認できた。 (とりあえず一人救出できたみたいで良かった。他の人たちはどうなったのだろう?) (ジア様、また独り言が漏れてますよ) (アルガさん、もういいんです。どうせ普段から大したこと考えてないんですから。それより今ってもうセイレーンのいる海域に入ってるんですよね?) (そうですね、私の耳がずっと反応しているので、間違いなくこの辺りは彼女のいる海域です。今耳栓を外すとおそらく歌声が聴こえて、一瞬で理性が飛んで体が勝手に動くのを止められなくなります) (耳栓をしてても魔物の気配を聞き取れるんですか?) (もちろんさっきよりは聞き取りにくいですが、でも分からないほどではありません。耳栓越しにビリビリ伝わってきて、耳全体が震えてる感じですね)  アルガはジアと意思疎通しながら、寝ている男性にかがみこんで顔色を確認した。 (この彼から何か聞ければいいのですが、しばらく意識は戻りそうにありませんね) (怪物の姿は見えないか?)  ウィリアムは乗船員全員に確認したが、思わしい返事は返ってこなかった。 (やはりこちらから潜って探しに行くしかないか) (確かにセイレーンは歌声で船乗りを惑わして海に誘い込むので、自分から海面に姿を現すことはないのかと) (ずっと歌ってるのになかなか人が海に入ってこなかったら、痺れを切らして見に来ませんかね?)  ウィリアムとシンの会話を聞いてジアも意見を述べてみたが、二人ともすぐに首を振った。 (知恵のある魔物なら逆に怪しんで出てこないだろう) (あ、確かに) (殿下、とりあえず何人かで潜って様子を見てきます。殿下はここで待機していて下さい)  シンの提案にウィリアムはすぐに頷いた。 (分かった。怪しいものがあったらすぐに知らせろ) (御意)  シンは五人の騎士団員を引き連れて海中の捜索に向かい、船上にはウィリアムとジア、それにアルガと気を失った漁師の四人が残された。 (……あの、殿下、俺も彼らと一緒に行った方が……) (お前は素人なんだからここにいるんだ。そこの漁師の介抱でもしておけ。俺は何かあったらすぐに海に入るが、船の操縦は最悪魔法使いが一人いれば何とかなるから安心しろ) (本当に最悪何とかなるだけですからね。けっこうな無茶振りなんですから、ちゃんとみんな帰ってきて船の面倒見て下さいよ)  ジアは渋々言われた通りに漁師のそばに腰を下ろした。 (装備の使い方もだいぶ慣れたし、泳ぎも得意だから少しは役に立てるかと思ったけど、やっぱりまだまだ足手纏いでしかないってことか)  今度は意識してちゃんと気を張っていたため、他の二人の反応を見ても心を読まれた形跡は無かった。ジアはほっと息をつくと男性の額に手を当ててみた。 (やっぱりまだ冷たいな。それもそうだ。どんな状況だったか知らないけど、ずいぶん長い間海の上を漂っていたはずだ。一体どうやってこの人は助かったんだろう?)  介抱でもしておけ、というウィリアムの言葉を思い出して、ジアは船に残っている二人に尋ねた。 (すみません、毛布か何かありますか?) (寒いのか?) (いえ、私ではなく、この人が寒そうだなと思って) (船室の戸棚にありますよ。私がとってきます) (いえいえ! 俺が取りに行きます)  こんなことで最悪一人で船を操縦しなければならない魔法使いの手を煩わせるわけにはいかなかった。ジアは慌てて立ち上がると船室に向かうのに男性に背を向けた。 (……あれ?)  貧民街で培った野生の勘、とでも言うべきだろうか。耳の聞こえない不利な状況だったが、ジアは背中に何かぞくりと気配を感じてはっと振り返った。 (あっ!)  今さっきまで確かに気を失って倒れていたはずの男性がすぐそばに立っていた。確かに両目は開いているのだが、まるで何も映っていないかのように虚な瞳がジアに向けられている。 「気がつい……」  急に強い力で押されて、ジアは甲板に倒れ込んだ。男性が目にも止まらぬ速さでジアに向かって両腕を突き出したのだが、それをさらに上回るスピードでウィリアムが間に割って入り、ジアを素早く突き飛ばしたのだ。 「あっ!」  慌てて起き上がったジアの目の前で、鋭く突き出された男性の腕に横顔を殴られたウィリアムが一瞬くらっとしてよろけた。男性は信じられないほどの俊敏さで、アルガが加勢に入る隙すら与えることなく、ウィリアムの両耳から素早く耳栓を引き抜いた! 「殿下!」  それは本当に一瞬の出来事だった。耳栓を抜かれた瞬間、ウィリアムの目が男性のそれと同じように虚になり、ジアとアルガが止める間もなく身を翻すとそのまま船から飛び降りて暗い水底に姿を消してしまった。

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