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第17話 深海のセイレーン5
第一王子エドワード殿下はウィリアム殿下とそっくりな顔立ちをしていたが、弟のそれより全体的に優しげな作りをしていて落ち着きもあり、年上の女性を思わせる中性的な印象を他者に与えていた。癖のない金髪も背中まで長く伸ばしていて、その顔が女の声で喋っていてはもはや女性にしか見えなかった。
(相当なブラコンだとは思っていたが、まさかここまでとは……)
(あら、この顔はこの子の兄弟なの? てっきり女の人かと思ったわ)
(……また心の声が)
(もう諦めなさいよ。あんたみたいな単純な子が扱えるような道具じゃないのよ)
セイレーンは右耳の耳飾りを指で弄びながらケラケラと笑った。
(こんな立派な装備を身につけているんだから、あんたたち騎士団員でしょ? どうしてあんたみたいな半人前が混ざってるの? まだ見習いなの? それとも……)
セイレーンの顔に悪戯っぽい笑みが浮かんだ。
(この人男が好きなんでしょ? あんたも綺麗な顔してるし、そういう役割の召使いなのかしら。まあタイプは全然違うみたいだけど)
(いや、その人は決して男が好きってわけじゃ……)
否定しながらも、ジアは少し自信がなくなってきた。自分はよく考えたら、ウィリアムのことなどほとんど何も知らないのだ。目の前のこの怪物の方が、彼の趣味をよっぽどよく理解している。
(俺が知っているこの人は、ブラコンでまだ少し幼くて傲慢な所もあるけど、素直で根に持たないさっぱりした性格で、魔物と戦う時は勇敢で大人びて見えるし、俺みたいに弱いものを守ってくれるような頼り甲斐があって……)
でも彼がどんな食べ物が好きかとか、どんな趣味を持っているか、どんな本が好きなのか、今までどんな人生を歩んできたのか、ジアは全く知らなかった。もちろん女性? の好みですら。
(寝室で一緒に過ごすよう言われた時、こういう事を聞くべきだったんだろうな。まああの時は本当にお互いとんでもない事を言われて混乱の最中だったから、とてもそんな悠長に会話できるような精神状態じゃなかったけど。みんなはっきり言って焦りすぎなんだ)
(この子のこと、もっと知りたいの?)
セイレーンは興味津々な表情でジアを見た。
(いや、まあ、ちょっと事情がありまして……)
(もしかして、この子のこと好きなの?)
(いえ、そんなはずは……)
そんなことあるはずがない。短い付き合いだが、人間としてかなり魅力的な人物であることは認める。だけど好きって……?
(ああ、そうなの。あんた、今まで誰かを好きになったことってないのね。だから分からないんだわ)
ジアはセイレーンを呆然と眺めた。人間ですらない怪物にそんな事を指摘されるのは非常に不名誉なことではあったが、しかし事実でもあったからだ。ジアは孤児で、物心ついた時にはすでに貧民街で生活していた。基本的に誰にも頼ることなく、誰にも守られることなく、守るものもなく一人で生きてきた。シーナとは腐れ縁で、彼女のことは嫌いではなかったが、しかしセイレーンが言う『好き』とは全然違う気がした。
(……じゃあ、お前には分かるっていうのか?)
(もちろん分かるわ。あたしは今まで星の数ほどたくさんの『好き』を見てきたんだから。誰かを好きになるっていうのはね……)
その時、突然目の前に稲妻が落ちたかのような衝撃が走り、耳栓をしていても聞こえるほどの轟音が辺りに鳴り響いた。光り輝く珊瑚や宝石類で飾り立てられた天井に風穴が開き、暗い海底がまるで夜空のようにその隙間からのぞいている。その穴の下に、金色の一本の矢のように舞い降りた人物が、三又槍を手に陸の上と何も変わらないかのような様子で悠然と立っていた。
(あ……!)
(あんたは!)
セイレーンは表情を変え、ジアと向き合っていた時とは打って変わって戦闘体制に入ろうとしたが、相手の方が遥かに上手だった。その人物が目にも止まらぬ速さで槍を振うと、三又槍の先端から稲妻のような光が飛び出し、怪物は指先一つ動かす猶予すら与えられなかった。第一王子殿下エドワードは、自分と全く瓜二つの化け物を見ても顔色ひとつ変えずに、一瞬でその首を打ち取ったのであった。
(あ……殿下)
エドワードは水中を素早く移動して、セイレーンの死骸の膝の上からウィリアムを抱え上げると、次の瞬間にはジアの目の前に移動していた。
(怪我はないか?)
エドワードの優しい声が頭に響いてきた時、ジアはまるで言葉に詰まった時のように上手く思いを伝えられず、ただただブンブンと首を縦に振っていた。
(良かった。まだ動けるか?)
特にセイレーンと死闘を繰り広げたわけではなかったが、安心して気が緩んだのか、水中にも関わらずジアはまるで腰が抜けたかのように動けなくなってしまった。
(……すみません、なんか腰が……)
エドワードは自分の身長ほどもある長い槍を、片手で軽々と天井に開いた穴に向かって投げ上げた。三又槍は海水を切り裂きながら、真っ直ぐ海面に向かって流星のように進んで行った。槍が目的地に向かっていくのを確認した後、エドワードは空いた方の手でジアの腰を抱え上げると、海底を蹴って槍を追いかけるように浮かび上がった。
(あの、殿下……)
(心配いらない。他の騎士団員達は岩場に捕まっていた漁師達を救出して、魔物の仲間も片付けてそろそろ船に戻っている頃だ。あのセイレーンの親玉の棲家は後で他の団員に調査させる。君たちは疲れているだろうから、とりあえず船に戻ろう。装備を身につけているとはいえ、海の底に長時間いると体に堪える)
ジアは自分とウィリアムを両腕に抱えながら、涼しい顔で海面へ向かって泳ぐエドワードを恐る恐る見上げた。ジアの視線に気がついたエドワードがこちらをチラッと見て微笑んだ。君たちは疲れているだろうから、と言っていたが、そう言う本人の方が以前会った時より少しやつれて見えた。
(鍵穴騒動のせいで、そういえば仕事が全部エドワード殿下に集中してるって言ってたっけ……)
ジアはエドワードの服の裾にぎゅっと顔を押し付けた。ほっとしたせいか、思わず涙が溢れそうになっていた。
(こんなの……ウィリアム殿下じゃなくても、俺だって好きになっちゃうだろ)
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