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第19話 ペガサスに乗って空中デート

 隣国訪問当日の朝、まだ薄暗いうちからやってきた侍女頭のマイアは、引き連れてきた二人の侍女と一緒に以前と同じようにジアを風呂に突っ込んで洗浄し、何やら怪しげな香油を塗り込んでお肌や髪をスベスベツヤツヤにした後、いつもより断然見た目の良い服に着替えさせた。重厚な青い生地に銀糸で縁取りが施され、ボタンも全て純銀製だ。黒い長靴に白い手袋まであって、侍従というよりは騎士団員の一人のような身なりだった。 「空路をお使いになるということですので、魔物退治の任務ではございませんが、万が一に備えて衣服には浮遊の加護が施してあります。落馬した際には落ち着いて行動して下さいませ」 「え……ペガサスって獰猛な感じなんですか?」 「あくまで万が一に備えての事です。今まで落馬した方がいたなどという話は聞いたことがありません」 (これはもし俺がその第一号にでもなったりしたら、とんだ赤っ恥だな)  そう内心心配しつつも、ジアは実を言うと昨日からそわそわしてずっと落ち着かなかった。ウィリアムが迎えに来るのが待ちきれず、マイア達が下がった後もじっと座っていられなくて部屋の中をうろうろと歩き回っていた。 「おい、準備はできた……うわっ!」  勢いよく開いた扉に頭を打ちそうになって、ウィリアムが慌てて後ろに下がった。 「あ! すみません」 「なにをそんなに焦ってるんだ?」 「焦ってなんかいませんよ」  ジアはそう言いながら、不審げな表情のウィリアムの後ろにぴったりとくっついた。 「早くいきましょうよ」 「やっぱり急いてるじゃないか」 「気のせいですって」  そう言いながら、ジアは急かすようにウィリアムの背中をツンツンとつついた。  ペガサスが飼育されているのは城の広大な屋上庭園で、城の上にも関わらず彼らが過ごしやすいよう地面には土が敷き詰められ、その上を一面緑の芝が覆っている。広い馬屋はもちろん、屋外にも木陰で休めるよう大きな葉をつけた木が何本も植えられている。しかしジアが一番驚いたのは、翼を持つ彼らを紐で繋がず、自由に放牧させていることだった。 「あんな風に放し飼いにしていては、ペガサスが空を飛んで逃げてしまうのではありませんか?」  実際ジア達が屋上庭園を訪れた時も、何頭かのペガサスが上空をぐるぐる旋回しているところだった。 「彼らは賢い生き物だ。ここが彼らにとって居心地が良く、最も安全な場所であるということをちゃんと理解している。単体で外に出るのは危険だと分かっているから、ここの上空で羽を伸ばすくらいで勝手にどこかへ行くことはない」  空を飛んでいたペガサスのうちの一頭がウィリアムに気付き、一緒に飛んでいる仲間に向かって一声嘶いた。全員がその声に呼応し、一頭ずつ風を切って素早く地面に急降下してくる。 「うわぁ……」  生まれて初めてペガサスを見たジアは思わず感嘆の声を上げた。体の大きさ自体は馬のそれとほとんど変わらないが、巨大な翼を持つため実際馬よりだいぶ大きく見える。全体的に白っぽい毛皮に覆われているのだが、その度合いは個体差が大きく、雪のように真っ白なものもいれば銀色がかったもの、クリーム色に近いものもいた。額から伸びた尖った角の大きさも様々で、大きく立派な角が生えているものもいれば、額に小さくこじんまりと収まる角を持つものもいた。 「綺麗な生き物ですね」 「魔法生物が好きなのか?」 「いえ、魔法生物のことはあんまり詳しく知らないんですけど、ペガサスは有名なんで聞いたことはあります。魔法生物と魔物って違うものなんですか?」 「源流は同じだが、どちらかというと魔法使いに近いかもな。魔法が人ではない生き物の形をとったが、人に害をなさないものを我々は魔法生物と呼んでいる。かつて恐れられて迫害され、絶滅危惧種になったところなども魔法使いと同じだな」  美しい白銀の個体が近づいてきて、ウィリアムの頭にそっと鼻面を乗せた。 「ホワイトシルバー、今日は兄上を乗せるんだ」 「もちろん構いませんが、どうしてですか?」 (喋った!)  ジアは驚いたが、よく考えると吊り橋の魔物もセイレーンも人の言葉を話していたのだから、ペガサスが人の言葉を話しても何の不思議もなかった。 「お前は身分の低い人間を乗せるのがあまり好きじゃないだろう? 今日は俺はこの者と二人で行動する必要があるから、別のペガサスに乗ることにする。兄上の事を頼むぞ」 「かしこまりました」  他のペガサス達が興味津々な様子でウィリアムとジアを見ている。ウィリアムは何頭かのペガサスを確認した後、純白の美しい個体に近づいてそのたてがみを優しく撫でた。 「スノーホワイトだ。メスのペガサスだが体が大きく落ち着きのある性格で、知らない人間に対しても寛容的だ。俺とジアを乗せて飛んでくれるか?」  ウィリアムが尋ねると、スノーホワイトと呼ばれたペガサスは黙ってウィリアムの肩口に自分の鼻面を乗せた。ウィリアムは優しくスノーホワイトの鼻面を撫でると、後からやってきたエドワードに手を振った。 「兄上! こちらです!」  エドワードは王家の最上級の礼服を身につけ、相変わらず涼しげな表情で数名の騎士を引き連れて屋上庭園に入ってきたが、目の下にくっきりと睡眠不足の跡を付けていた。ウィリアムはエドワードが近づいてくるのを確認すると、先ほどの見事な白銀の毛並みのペガサスの元へと案内した。 「兄上、これがホワイトシルバーです。少しプライドが高い事以外何の欠点もない完璧なペガサスですよ」 「見事な毛並みだな」  エドワードが感嘆してたてがみを撫でてやると、ホワイトシルバーは恭しく頭を下げた。 「ジアはペガサスを見るのは初めてなんじゃないか?」  エドワードに尋ねられ、ジアはすぐに頷いた。 「仰る通りです」 「実は私もペガサスに乗るのは初めてなんだ」 「そうなんですか?」  ジアは驚いてエドワードとホワイトシルバーを交互に見た。 「ペガサスは絶滅危惧種だから魔物の討伐時に使うことはまずない。装備を使えばペガサスに乗らなくても十分早く移動できるし、我々は彼らをどちらかと言うと保護している立場だ。普段彼らの世話はウィリアムに一任してあるから、彼は私よりペガサスの扱いにはずっと詳しいよ。今回は特別な訪問だから、彼らの力を借りることにしたんだ」 「特別な訪問なんですか?」  エドワードはそのジアの疑問には答えず、ただ優しく微笑んだだけであった。 「兄上、日が昇ると我らもペガサスも空の移動が辛くなります。そろそろ出発してもよろしいでしょうか?」 「そうだな、では乗せてもらえるだろうか?」  エドワードが尋ねると、ホワイトシルバーはすぐに膝を折ってエドワードが背中に乗れるよう体勢を低くした。 「我々も乗せてもらおう。スノーホワイト」  ウィリアムがエドワードにホワイトシルバーを案内している間大人しく離れた場所に控えていた純白のペガサスは、ウィリアムに呼ばれるとすぐに二人の前にやってきて膝を折った。 「鞍は無いんですか?」 「馬よりずっと賢いし話も通じるから、鞍も手綱も必要無いんだ」 「たてがみを掴んでいいですよ。痛くありませんから」  スノーホワイトにもそう言われて、ジアは恐る恐る彼女のたてがみをそっと握って背中によじ登った。すぐにウィリアムがジアの後ろに滑り込むように跨った。彼がジアの両脇から手を伸ばし、スノーホワイトの首に手を添えてバランスを取った。まるで女性を馬に乗せるときのように後ろから抱きすくめられた格好になり、ジアは恥ずかしくて思わずスノーホワイトのたてがみに顔を埋めた。  その場にいる全員がペガサスに乗った事を確認すると、ウィリアムは親指と人差し指で作った輪を口に突っ込んで鋭く指笛を鳴らした。その音に呼応するようにペガサス達は翼を広げ、まだ日の昇らない薄暗い空に向かって次々と舞い上がり始めた。 「俺たちも行こう」  ウィリアムがそう言うと同時に、ジアは体がぐんっと空に向かって引っ張り上げられるのを感じた。

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