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第20話 白馬の王子のプロポーズ

「うわあ……!」  一千メートルもの上空を巨大な翼で風を切って走るように飛ぶペガサスの背中で、ジアは興奮して思わず感嘆の声を上げた。先ほどまでいた屋上庭園は一瞬で見えなくなり、ペガサスが蹴散らす雲の下には、城下町がまるでミニチュア模型のように小さく転々と大地に散らばっている。身支度を整える時、急いでいたのかマイアはあまり詳しく装備の説明をしてくれなかったが、よくわからないまま目に押し込まれたコンタクトレンズはどうやら風を防ぐ加護が施されていたようで、ものすごいスピードで飛ぶペガサスの上にいても涙が出ることはなかった。 「別に空を飛ぶのはこれが初めてじゃないだろう?」  それは以前吊り橋で浮遊の加護を使ったときの話だろうか? 「全然違いますよ! こんな高いところをこんなにも速く、しかもペガサスに乗ってだなんて! プカプカ浮いてるのとは全然違いますって!」  瞳をキラキラさせてはしゃいだ様子のジアを見て、ウィリアムが僅かに口角を上げた。 「年甲斐もなく子供みたいにはしゃぐんだな」 「ペガサスに乗るのが初めてだったら、きっとお爺さんでもはしゃぎますよ」 「それは心臓発作を起こすんじゃないか?」  珍しくウィリアムが冗談らしき事を言ったが、ペガサス飛行に夢中のジアは全く気が付かず、眼下の風景やいつもより限りなく近い空、手を伸ばせば掴めそうな雲を観察するのに必死だった。スノーホワイトの飛行はかなり安定していて、揺れも上下の無駄な動きもほとんど無かった。それでもジアが全く振り落とされる心配をせずに済んだのは、やはりウィリアムが両脇からしっかり支えてくれているおかげであった。 「隣国まではどのくらいかかるんですか?」 「ペガサスの足ならざっと二時間くらいだ。ちょうど日が昇るくらいの時間に到着する予定だ」  かなりの高度にも関わらず全く寒さを感じないのは、おそらく下着に冷気を防ぐ加護が付与されているせいだろうが、背中から伝わる人の温かさも一つの要因に思えた。非日常的で興奮するようなシチュエーションに少し気分が大きくなったジアは、急にウィリアムに色々と聞いてみたくなった。 「殿下はどんなものがお好きなんですか?」 「どんなもの?」 「例えば小さくて可愛いウサギみたいな動物が好きだとか、大きくて立派なペガサスが好きだとか、食べ物の好みとか好きな本とかスポーツとか……」 「範囲が広いな」  ウィリアムは思わず苦笑した。 「何でもいいんですよ」 「王家の人間は特定の好みを持たないように教育される。そうでないと不公平な判断をしかねないからだ。りんごが好きだからりんごの産地の要請を最優先にしたと民に疑われては、信頼問題に関わるだろう?」 「そんな、王家の方も人間だと国民だって分かってますし、好みの無い人間なんていないでしょう?」  ジアの後ろでウィリアムが声を出さずに笑った。 「そうだな。それでもやはり我々は要らぬ誤解を招かぬよう常に神経を尖らしておく必要がある。それなら最初から無趣味の方が楽じゃないか?」 (それは、果たして人間だと言えるのだろうか……)  そこまで感情を押し殺さないといけないなんて、それは逆に国が王家の人間を殺しているようなものではないか? 「……じゃあ、好きな女性のタイプはありますか?」 「女性?」 「国王陛下も王子殿下も結婚はなさるじゃないですか」  そう言った後に、セリーヌがエドワードの許嫁だった事を思い出してジアははっとした。 (親に決められた結婚相手に恋愛感情ってあるものなのだろうか?) 「そうだな、今までそういう目で他人を見たことがないからよく分からないが、顔が好みだとか、一緒にいて心地いいとか、そんな感じなんじゃないか?」 (他人は、ね……) 「お前は?」 「えっ?」  急に聞かれて驚いたジアは思わず聞き返した。 「お前はどんなものが好きなんだ?」 「俺ですか? 俺は何かを選り好みできるような人生を送ってこなかったので。なんでも食べますし、本は読んだことありませんし、誰かと付き合ったこともありませんし……」  そう考えると境遇に差はあれど、自分とウィリアムは結果的に似たもの同士のような気がしてきた。 「じゃあ付き合ってもないのに、あのシーナとかいう女とそういう関係になったのか?」 「ああ、シーナですか? あいつとは何もやってませんよ」 「え?」 「やろうって誘われたんですけど、あいつが俺の鍵穴を発見してすぐに飛び出してったんで、結局何もなかったんです」  ウィリアムはよく分からないといった表情をしていた。 「付き合ってはいなくても、好きでなければそうはならないんじゃないか? 少なくとも誘ってきたってことは、相手はお前のこと好きだったんじゃないのか?」 「別にお互い嫌いじゃなかったんで。でもそこまで深く考えてなかったと思います。俺もあいつも選り好みできるような環境じゃなかったので」  ウィリアムは尚も納得がいかない様子だったが、それ以上は追求しなかった。  やがて、うっすらと空が白み始めた頃、眼下の景色の中に真っ白で美しい城の姿が現れた。 「あれがセリーヌ様がお住まいの居城だ」  ウィリアムの合図で、ペガサス達が次々と高度を下げ始める。城に近づくにつれて、その巨大な輪郭がジアの目にもはっきりと見えるようになってきた。国境を接する隣国とは交流も多く、似たような建築形式の家や文化も多い。セリーヌの居城は現在ジアが居候しているウィリアム達の居城とほとんど見た目は変わらなかった。高い塔の上に広いバルコニーのある一画があり、青いドレス姿の女性が一人佇んでいる。ウィリアムや他の騎士団員達が乗ったペガサスは城の城門の前に降り立ったが、エドワードの乗るホワイトシルバーだけは女性の待つバルコニーにふわりと舞い降りた。 「あれがセリーヌ様ですか?」  遠すぎて小さな人影しか見えなかったが、状況から判断してまず間違いなさそうだった。 「そうだ」  ちょうど朝日が登ってきたところで、バルコニーの二人を照らす日の光がそのまま伸びてウィリアムの凛々しい顔に当たっている。ウィリアムは額に手を当てながら、目を細めてバルコニーを仰ぎ見た。ジアもつられて視線を上げると、ちょうどエドワードがセリーヌの前に跪いているところだった。 「あれは……?」 「ロマンチックですね」  ジアの疑問に答えてくれたのはスノーホワイトだった。 「白馬の王子様のプロポーズだなんて」

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