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第23話 ペットを飼おう
「ジア様、少し休憩なさったらどうですか?」
芝生の上にひっくり返っているジアの腕を掴んで助け起こしながら、シンが心配そうにそう言った。全身汗だくで肩で息をしているジアとは正反対で、シンは息が上がるどころか髪の毛一本乱れていないようだ。
「……いえ、俺はまだまだ未熟者ですので」
「がむしゃらに体を酷使すればいいというわけではありません。我々騎士団員はジア様よりずっと若い頃から専門の訓練を受けてきています。一朝一夕で騎士団員と同じように動けるようにはならないんですよ」
ジアは立ちあがろうとしたが、足に力が入らず再び崩れ落ちるように地面に座り込んだ。
「隣国訪問で何かあったのですか? 急に稽古時間をもっと伸ばしてくれだなんて」
「いえ、ウィリアム殿下はエドワード殿下のように、強くて守ってくれるような人が好みなのかと思いまして」
シンはジアに渡そうとしていた手拭いを思わず取り落とした。
「ジア様、一体どうされたんですか? つ、ついにウィリアム殿下に対してそういう気持ちが……」
「それ以上は黙ってもらえますか」
実際ジアにもよく分からなかった。ただあの日、満点の星空の下で心が大きく動いたのは確かだった。兄に対しては甘えた一面を見せることのあるウィリアムだったが、ジアの前では彼はいつも勇敢で頼り甲斐があり、体を張って守ってくれるような存在だった。今まで誰にも守られることなく一人で生きてきたジアは、そんなウィリアムに自分でも気がつかないうちに好意に近い感情を抱いていたようだ。そんな彼があの日、自分にしがみついて声を殺して泣いていたのだ。厳しい貧民街での生活で余計な感情は切り捨てて生きてきたジアは、今まで他人の感情に自分の心が左右されたことなど無かった。だからあの夜、ウィリアムの悲しみが伝染して自分の心も締め付けられるように痛んだ時、なぜこんなにも胸が苦しくなるのかさっぱり理解できなかった。
(そうか、好意を持った人間が悲しんでいたら、自分も悲しくなるものなんだな……)
それに気がついた時、ジアの頭に二つの考えがよぎった。自分が彼の悲しみを少しでも軽くできたらという考えと、これ以上踏み込んではまずいという考えだ。
(あまり考えたくはないけど、これ以上俺の感情が大きくなるとまずい気がする。引き返せる今のうちにさっさと役割を終わらせて、ここから去ったほうが良さそうだ)
どちらにせよ、ウィリアムをその気にさせなければならないことに変わりはない。ウィリアムが好きな人はエドワードなのだから、そこを目指すのが手っ取り早いと考えたジアは、これまで以上に騎士団員との稽古時間を伸ばすことにしたのだった。
「確かにウィリアム殿下は兄殿下にべったりですが、別に強くて守ってくれるような人が好みというわけでは無いと思いますけど」
それはシンがウィリアムの前でエドワードの姿になったセイレーンを見ていないからそう思うだけだ、とジアは心の中で指摘したが、建前上「そうですか?」と聞き返した。
「ウィリアム殿下がどうしてペガサスの世話係を一任されているのかご存知ですか?」
「いいえ」
「あのペガサスたちはウィリアム殿下が小馬の頃から大事に育ててこられたのです。エドワード殿下に甘えている印象の強い殿下ですが、実は庇護欲が強くて弱いものを守ることが好きな性格だと私は思っています。恋人のことは守られるより守りたい派なんじゃないでしょうか」
「はあ……」
シンの意見に全面的には賛成できなかったが、彼の話の中には気になる情報もあった。
「ペガサスの小馬を大事に育てていらっしゃったということは、ペットとか飼うのがお好きなんでしょうか?」
「小さい頃から子犬や子猫を育てるのがお好きで、よくお城のお庭で飼われてましたよ」
「じゃあ、俺が何かそこで飼っても大丈夫ですかね?」
「ジア様のご希望でしたら問題ありませんよ。お城には召使いもたくさんおりますから、お手伝いできる者はいくらでもおりますし」
ジアはゆっくり立ち上がると、借りていた練習用の剣をシンに返した。
「子犬を飼われるのですか?」
「今日アルガさんが市場に行くから、良かったら一緒に行かないかって誘われてたんです。特に用もないし行くつもりなかったんですけど、子犬か子猫でも見に行けたらと思って」
その日暮らしのジアにはとてもペットを飼う余裕などなかったのだが、実はずっと密かに憧れていた。親や兄弟の存在は諦めていたが、ペットならお金さえあれば手に入れられる存在だったからだ。もっともそのお金が無くて今まで手が届かなかったのだが。
「殿下のために子犬を求められるのですか?」
アルガにそう聞かれてジアは一瞬言葉に詰まった。
「ええと、そうですね、共通の話題になってくれればと思いまして。正直なところ俺が昔から飼ってみたかったというのが大きいですけど」
「良い作戦だと思いますよ。殿下は幼体を育てるのに長けていらっしゃいますし、可愛いものを見るとオキシトシンという幸せホルモンが分泌されて癒されます。子育てはお二人の仲が深まるよいきっかけになるのではないかと」
「……」
確かに傷心のウィリアムを少しでも慰められれば、とは思ったが、子育てという表現を使われると、隣国でヒカが言っていたことが思い出されてジアは落ち着かない気分になった。
「アルガさんは市場に何の用事があるんですか?」
よく見るとアルガはいつも着ているローブではなく、ジアと同じようなシャツにズボン姿だった。どうやらオフのようだ。
「偶然なのですが、私もジア様と似たような用事で来たんですよ」
「え、ペット探しですか?」
「いえ、魔法生物の調査です。基本的に魔法生物は絶滅危惧種ですので市場での取引は禁止されているのですが、たまに密猟者によって高額取引されることがあります。中にはそれと気付かず流通している場合もあって大変危険です。それで我々王室付き魔法使いは暇さえあれば、市場の様子をちょくちょく見に行っているんですよ」
ジアはもう一度アルガの服装を上から下まで眺め直した。
「でも今って仕事中じゃないですよね?」
「魔法使いは常に人手不足で忙しいですし、市場の調査は優先度が低いので勤務時間中にはできません」
「それって無償労働ってことですか?」
「趣味みたいなものですよ。魔法生物は我々にとっては同族に近い存在ですので、彼らの保護は友人を助けるようなものです」
話しながら歩いているうちに、ジアはいつのまにか目的の市場の中へ足を踏み入れていた。貧民街ほど荒れてはいないが、王室の人間が足を踏み入れるような場所とは程遠い、適度に汚く騒がしくて活気のある場所だ。
「ジア様は市場は初めてなのですか?」
目を皿のようにしてキョロキョロと周りを見回しているジアをみてアルガが尋ねた。
「食べ物を売ってる市場はしょっちゅう行ってたんですけど、家畜を売ってるような市場は初めてで。俺には買うお金も飼うお金も無かったんで」
鶏を売っている屋台の前を通りかかった時、ジアはふと気になって立ち止まった。その屋台では鶏だけでなく、籠の中に山積みになった卵も売られていた。その中の一つの卵が目に入った瞬間、ジアはそこから目が離せなくなってしまった。
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