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第29話 兄殿下の結婚式

 エドワード第一王子殿下の婚礼の儀の準備は、ジアが思っていたほどお金や時間をかけては行われなかった。もちろん宮殿は美しく飾り立てられ、衣装も素晴らしいものが用意されていた。だが、金銀財宝が湯水のようにふんだんに使われる様を想像していたジアにとっては少し物足りない光景だった。 「俺たちの国で最も高貴な二十五歳の方の結婚式なのに、なんだか飾り付けが普通の結婚式とそう変わりませんね」 「おや、ジア様は結婚式に参加したことがおありなのですか?」  意外そうにそう聞いてきたアルガを、ジアは軽く睨みつけた。 「別にお客として呼ばれたわけじゃありません。手伝いに何度か雇われたことがあるだけです」 「ふむ、たくさん手伝いを雇うようなお金持ちの結婚式に参加されたのですね」 「まあ、そうなんでしょうね」 「これはご自分の結婚式をあまり盛大にし過ぎないようにという、エドワード殿下のご配慮ですよ。そんなお金があるなら他に使うところがあるだろうということなのです」 「流石ですね」  ジアが心からそう言った時、当のエドワード本人がウィリアムと共にジアの方へ近づいてきた。二人とも王家の最上位の正装を身につけていたが、兄は純白の生地に金の飾り、弟は濃紺の生地に銀の飾りと色彩が対照的だった。 「二人で何を話しているんだ?」  深々と頭を下げたアルガとジアの頭頂部に、ウィリアムの硬い声が降ってきた。 「恐れながら、ジア様が婚礼の飾りに不満があるようでして」 「ちょっとアルガさん!」 「おや、何かおかしなところでもあったかな?」  不思議そうに辺りをきょろきょろと見回すエドワードを見てジアは慌てて弁解した。 「違うんです! 別にそんなつもりじゃなくて。ただもっと豪奢というか、贅沢な飾り付けにするものだと思っていたので……」 「それは俺も同感だ。兄上の結婚式はもっとお金をかけて然るべきだったのではないでしょうか?」 「結婚の義というのは、それまで赤の他人だった二人の人間が、神や人の前で夫婦になることを誓約する儀式だ。重要なのはその誓いであって、飾り付けなんてものに意味はないんだよ。私とセリーヌはその点で意見が一致している。そもそもこの宮殿は飾り付けなどしなくとも初めから贅を尽くした造りになっているじゃないか」 「しかし、兄上……」 「ウィリーは自分の結婚式の時、もっと豪勢に飾りつけたいと思うかい?」 「いえ、全くそのような必要は無いかと」  迷わずそう断言したウィリアムを見てエドワードは微笑んだ。 「結婚式は夫婦のことだから、当然相手の意見も尊重しなければならないよ」 「そうですよ殿下、ジア様は控えめな飾り付けにはご不満のようですので……」 「なんで俺を引き合いに出すんですか? そういうのやめてもらえませんか?」  ちょうどその時アルバートが四人のいる方に近づいてきたため、これ以上くだらない論争をしなくて済みそうでジアは内心ほっとした。 「なにこんなところで油を売っているんですか? もうそろそろセリーヌ様御一行が到着されます。魔法使いは人手不足なんですから、しっかり働いてもらいますよ」 「あの、アルバート様、俺は一体何をすれば……」 「ジア様はウィリアム殿下とご一緒に行動して下さい。ドラゴンと話せるとはいえ、魔法が使えるわけではなさそうですので、我々の手伝いは不要です」  アルバートはアルガの襟首を掴んで彼らの持ち場へ引っ張って行った。 「婚礼の儀の際に、魔法使いは何か重要な仕事があるのですか?」 「王族の結婚式には他国の重鎮が多数訪れる。そのような場には悪い意志を持った者が紛れ込みやすい。我々や来賓に危害を加えるために魔物を放つ場合もあるから、魔法使いたちは城に入る前に全ての人間をチェックしているんだ」 「なるほど、アルバートさんなら魔物を見れば目が光るし、アルガさんは耳で魔物の存在を確認できますね」  程なくしてセリーヌの一行が到着した。ジアは式が始まるまで彼女の姿を見ることは叶わないが、彼女が連れてきた数名の侍女と一緒にリネがいるのを発見した。濃いピンクの可愛らしい晴れ着姿の彼女は、ウィリアムに気がつくと恥ずかしそうに微笑んで手を振った。 (そういえば、ウィリアム殿下とあの子はその後どうなったんだろう? 何か連絡を取り合ったりとか、やり取りがあるんだろうか?) 「……何だ?」  ウィリアムに訝しげに見られ、ジアは自分がウィリアムをじーっと見ていたことに気がついてはっと我に返った。 「い、いえ! 何でもありません」 「セリーヌ様一行が到着されたから、衣装の準備が整い次第式が始まる。式の間は私語厳禁だから、何かあるなら今のうちに聞いておけ」 「本当に何でもありませんから」  ウィリアムは胡散臭げな視線をよこしたが、それ以上追求することはしなかった。  やがて、王室付きの楽師たちが厳かな曲を演奏し始め、その場にいた人々が次々と長椅子に席を取り始めた。ジアはウィリアムに祭壇の目の前の最前列に連れてこられた。 (ここって新郎の親族の席にあたるんだよな。鍵穴を持ってるってだけで、こんなとこに座っていいものなのか……)  ジアが躊躇していると、先に来ていた国王陛下とうっかり目が合ってしまった。 (げっ!)  恐縮して縮こまるジアに、しかし陛下は厳かに頷くと手で席を差し示した。ジアは全身に冷や汗を流しながら、何とかウィリアムの隣に腰掛けた。 (この国王陛下も一体何を考えていらっしゃるのか。俺のことどう思ってるんだろう?)  その時音楽がピタリと鳴り止み、人々は一斉に口を閉じて式場内は一瞬で静まり返った。少し間をおいて、聖書を胸に抱いた白髪の牧師が祭壇に現れ、その場にいる人々に向かって深々とお辞儀をした。 (いよいよ始まるな)  日雇いの手伝いとして参加したことはあるものの、このように来賓として椅子に座ってだれかの結婚式に参列するのは初めてだったため、ジアは緊張しつつもワクワクする気持ちを抑えられずにいた。最初にエドワードが現れ、純白のウエディングドレスを纏ったセリーヌが父親である隣国の国王に手を引かれてバージンロードを歩いてくる時など、うっかり涙ぐみそうにさえなった。 (やっぱり知ってる人の結婚式っていいものだな。しかも身分不相応にも最前列の特等席だ。指輪の形だってここからなら見えるんじゃないか? ん? あれがリングガールか?)  セリーヌの侍女らしき女性が、二人の結婚指輪の乗ったリングピローを持ってしずしずと歩いて行く。 (リングガールって子供がするイメージだったけど、あの侍女はセリーヌ様と縁のある方なのかな?)  その女性がジアの座る長椅子の横を通った時、ジアは微かな違和感を感じた。 (……何だろう?)  エドワードは笑顔でリングガールを待っていたが、セリーヌは微かに戸惑ったような表情をしていた。ジアはもう一度リングガールに視線を戻した。 (リングガールは花嫁側で手配していて、エドワード殿下は誰がその役目を負っているのか知らないはずだ。セリーヌ様のあの表情からすると、違う女が出てきてるんじゃないか?)  式の間は私語厳禁。ジアはちらっと隣のウィリアムを見たが、彼は祭壇前のエドワードを真っ直ぐ見ていて、ジアが見ていることに全く気がつかない。 (恐らく俺がセリーヌ様の表情が気になったのは、あの侍女が通った時に違和感を感じたからだ。そうでなければセリーヌ様の表情の変化には気づけなかっただろう)  セリーヌも恐らく自信が無いのだ。それで、この大切な儀式の最中に大きく顔色を変えて水を刺すようなことはできずにいる。 (そうだよ、俺だって自信があるわけじゃない。そもそも誰が何の役割をするのかだって知らないんだし。直感としか言いようがないのに、大事な式をぶち壊すわけにはいかないよな……)  しかし、その侍女がリングピローを牧師に渡そうとした時、事件は起こった。

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