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第33話 傾国のサキュバス3
「それで、お前の希望って何なんだ?」
二人きりで憎からず思っている美しい男と部屋に残されて、ジアの理性は崩壊寸前だった。
(ていうかあの女、俺を使ってエドワード殿下を誘惑するつもりだったと言ってたけど、今のこの状況って俺が一人で勝手に発情してるだけだよな? 一体どういうつもりだったんだ?)
「もしかして、抱いて欲しいんじゃないのか?」
「……え?」
ウィリアムがまさか気付くとは思っていなかったジアは、思わず間抜けな声を出してしまった。
「違うのか?」
「えっと……」
何と言っていいのか分からずジアが躊躇していると、思いがけずウィリアムの手がさっと伸びてジアの背中に触れた。
「あっ!」
「俺にはそう思えてならないんだが」
ウィリアムが触れている部分が火傷しそうなほど熱い。背中から臀部に向かって撫でられると、ゾクゾクと快感が下腹部に集まって我慢できなくなってしまった。ジアはウィリアムのシャツに両手で縋りつき、蚊の鳴くような小さな声を搾り出した。
「そうなんです……申し訳ないんですけど、そういう呪いだったみたいで……」
そう言った瞬間、ジアの世界がぐるっと反転した。何が起きているのか理解する前に、生暖かい快感が口から脳に痺れるように伝わってきた。
「んんっ!」
誰かと口付けをするのはこれが初めてだった。キスというのはもっと口先だけの軽いものだと思っていたのに、こんなに中まで入ってきて、こんなに卑猥で、性的欲求を刺激するものだとは思ってもみなかった。
(息が……!)
ぷはっと思わず逃げるように横を向いて荒い呼吸を繰り返した後、上を見上げると自分を寝台に押し付けるように乗っかっているウィリアムの青い瞳と目があった。
「……もしかして、初めてなのか?」
「……はい」
「俺も初めてだ」
「本当ですか? 慣れていらっしゃるように見えますけど」
「正直勝手はよく分からないが、したいようにすればいいということはなぜか分かる」
(なるほど、一応サキュバスの誘惑は効いているのかもしれない)
呪われた者と誘惑された者、これが果たして本当に合意の上だと言っていいものか分からなかったが、ジアにはそこまで考える余裕は残されていなかった。ただ一つ、どうしても気になることがあってジアはウィリアムの腕を掴んだ。
「殿下、殿下がもしよろしいのなら……」
「何だ?」
「宝箱の前ですれば、俺たちの役目を果たせるんじゃ……んんっ!」
再び深く口付けされ、ジアは頭の中が真っ白になった。ウィリアムは舌を入れながらも器用にジアのシャツのボタンを外し、どこを触れても敏感になっている肌にするっと手を這わせた。
「はあっ、やっ!」
腰がびくんと跳ねるのも、口から嬌声が漏れるのも抑えることができない。背中を仰け反らせながらも、ジアは辛うじて残った理性の糸を掴むようにウィリアムにしがみついて訴えた。
「殿下、宝箱を……」
「こんな状態であそこまで移動できるわけないだろ」
ウィリアムも頬を紅潮させて、荒い息を吐いている。普段きっちり留めている胸元のボタンをはだけさせている姿はまるで獣のようだ。青い目もギラギラと異様な光を放っていたが、束の間理性を取り戻したかのように左手をジアの右枕元に置くと、右手でそっと彼の黒髪を撫でた。
「心配するな。また次の機会にすればいい」
(いや、サキュバスの誘惑無しで俺とできるんですか?)
それが理性的に考えられた最後の記憶だった。再び口付けされた時、ジアの理性は完全に吹き飛んで、もう何が何だか分からなくなってしまった。
カチッ、と鍵が開くような音がした。
ふと意識が戻った時、ジアは海岸の流木の上に座っていた。
(あれ? 俺は元々ここに座っていたっけ? 何か別の場所で別のことをしていた気がするんだけど……)
しかしこの場所には見覚えがあった。昔から好きでよく遊びにきていた海岸だ。この辺りの水は透明度が高くて美しく、少し冷たいが泳いでいると遠くまで見渡せて清々しい気分になる。今は体がだるくて動きたくなかったので、ジアは海には入らずぼーっと水平線を眺めるだけに止めた。
『アルジア』
不意に後ろから女性の声がした。初めて聞くはずなのに、妙に馴染み深く感じさせる声だ。ジアが振り返ると、燃えるような赤い髪を長く伸ばした背の高い女性が近づいてくるところだった。彼女が身につけている深緑色のローブは見るからに上質な生地でできており、自分が身につけている黒いローブとは明らかに格が違っていた。それは自分と彼女の身分の差をはっきりと示しているようであった。
『ジョージア様』
ジアの口から自然と彼女の名前が出た。ジアは驚いたが、まるで夢の中にいるように体の感覚も記憶も朧げで、自分で無いようでいて自分のような不思議な状況だった。
『ドラゴンたちが嘆いている。お前に生きる意思が無いのだと』
『ジョージア様、ちょうど良い天命だったのです』
ジアは疲れていた。体はだるく、頭も回らない。それでもこの師匠には彼の出来得る最上級の礼節を持って対応しなければならないと思った。
『私にかかればそんな病は一瞬で治せるのだ。お前にその意思さえあれば』
『ジョージア様、全くそのような意思が湧かないのです。きっと罰が当たったのですよ。身分不相応な方と繋がろうとした罰です』
『お前は私の一番弟子で、この国に最も貢献している魔法使いの一人だ。どうしてアーサー殿下と結婚してはいけないのだ? 殿下もそれを強く望まれていたのだろう?』
『いや、良くないでしょう。この国では同性婚は認められていないのに、国の代表である王子殿下にそんなことさせるわけにはいきませんよ。ちょうど騎士団長のご令嬢との婚約を国王陛下が決められました。殿下は私がいると板挟みで困るでしょう。私は消えるのが一番いいのです』
『なぜ同性婚が認められていないのか。子孫を残せないからだと言うのなら、私が今研究を行っているところだ』
『え、なんの研究ですか?』
『男でも子供を産める魔法を研究しているのだ』
アルジアはぎょっとして思わず後ずさった。
『ジョージア様、いくらなんでもそれは……あなた様でも難しいのではないかと……』
『私にできぬことなど無い』
アルジアは力無く微笑んだ。
『どちらにせよ、陛下の決定を覆すことはできませんし、私の体ももう限界が来ています』
アルジアはもう起きていることができなかった。ゆっくりと滑るように流木の上から地面に倒れ込む刹那、ジョージアが彼の体を支えた。彼女は男のアルジアより背が高く、体つきも逞しかった。
『アルジア』
アルジアの顔に温かい涙が落ちた。彼は自分の師匠がこのように感情を露わにするところに初めて遭遇したため、驚いてもう一度目を開けた。
『お前は……今まで黙っていて悪かったが、私の実の息子なのだ』
アルジアは驚いたが、もはや感情を大きく表す力は残されていなかった。
『それは……だから私は、こんなにも魔力が強かったのですね。納得しました』
アルジアは最後にもう一度だけ力を振り絞って笑顔を作った。
『親不孝者を……お許しください』
アルジアの、ジアの視界がそこでロウソクを吹き消したかのように真っ暗になった。
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