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第三章 森の薬師ときこりの勇者 第三話 勇者の発言
翌日、ハロルドとウィルはふたりで村に木材を運んで行った。
力仕事は出来ないメアリー・アンとニコは、ふたりで薬草を摘みつつ留守番である。
森にはハロルドの張ったニコを守るための魔法結界が幾重にも張り巡らされている。
その頑丈さは王国の魔法騎士であるウィルが苦笑するほどで、職務に忠実なはずの近衛騎士がここならば自分がいなくても安全、と太鼓判を押すほどだった。
穏やかな日差しの中で、ニコは白斑のある薄緑の葉を摘んでいく。
こちらはシアの葉という薬草で、打ち身に効果がある薬草だ。
磨り潰して油脂と混ぜ、直接患部に塗って使うのだ。その説明を聞きながら、同じようにメアリー・アンも腰に付けた籠の中に摘んだ薬草を丁寧に仕舞っていた。
今日もメアリー・アンは文句も言わずに作業をしている。
年頃――と言うには少々若すぎるが――の少女が、こんな国境の田舎で過ごすことに何も不満はないのだろうか。
彼女は生まれたときから宮廷で暮らしていて、華やかなドレスと煌びやかな宝飾品に囲まれていたはずだ。
手が荒れることも、足が疲れることもない何不自由のない生活。
それを捨ててでも彼女がしたかったこと。
ニコはメアリー・アンの整った横顔を眺めながら、今朝、ハロルドが言っていた言葉をぼんやりと思い出していた。
ハロルドは昨夜、ニコが言っていたことを覚えていたのだ。
朝食を食べながら、そういえば、と言って切り出した内容は、ニコにとって驚くべきものだった。
ハロルドは、メアリー・アンには、魔力が全くないんだ、と言った。
魔力を失ってからというもの、ニコは魔力探知がほとんど出来なくなってしまった。
精霊やよほど大きな魔力がそばにあれば気づくこともあるが、それ以外の魔力は全く分からない。
常人よりも魔力量が多いはずのウィルの魔力ですら感知出来ないので、もちろん魔法が使えない一般人の魔力など分かるはずもなかった。
故に、メアリー・アンに魔力がないことにも気づかなかったのだ。
しかし、全くない、とはどういうことだろうか。
黒焔帝との戦闘で、ぼろぼろになったニコの身体にだって残りかすのような僅かな魔力がある。
というか、魔力がない人間なんてこの世界には存在しないはずだ。
何故ならば、この世界の生き物にとって魔力とは命そのものだからだ。
小さな虫や、動物たち。それから木々や草花だって魔力は持っている。
それらは「生き物」であり、魔力が身体に満ちているから生きていられるのだ。
しかし、メアリー・アンにはそういった魔力が全く感知できないのだとハロルドは言った。
魔力が少なければ当然、内包する魔力は全て生命維持に使われることになる。つまり、魔法を発動することは出来ない。
もちろん、魔力がないメアリー・アンも魔法は使えないと言うことだ。
だからこそ、メアリー・アンは「勇者」を求めるのではないか、とハロルドは続けた。それを聞いて、ニコはなるほどと思った。
メアリー・アンの生まれた王家は上質な魔術師を輩出することで有名な家系だった。
王家の子女は代々、王国軍に在籍し魔術師や魔法騎士となる。
現に、彼女の兄である王太子は王国軍魔術部隊の総隊長を務める位階第一席であり、現在王国で最強を誇る魔術師だし、彼女の姉である第一王女はハロルドとともに魔王討伐の旅をした勇者一行の魔術師だ。
王や王弟たちもそれぞれ若い頃は魔術師として活躍していた。
ニコは王が若い頃を知っている。まだ見習いだった二十年ほど前、ちょうど王は魔術師として第一線で魔族と戦っている時期だった。
つまり、王がまだ王太子だった頃、彼はニコの上司だったのだ。
王は昔から魔術師至上主義というか、生まれ持つ魔力が膨大であればあるほど価値があるという考えだったように思う。そんな王の元に生まれた魔力のない王女。
彼女が王宮でどういう扱いを受けていたのかをニコは知らない。
けれど、他の兄弟たちと比べて見劣りするメアリー・アンを、王が深く愛することはないように思えた。
おまけに真面目で「王女」という職務に忠実なメアリー・アンのことだ。
自らの力不足に悩み、苦しんだであろうことは付き合いの浅いニコにも何となく察することが出来た。
「王女殿下」
「はい。なんでしょうか」
「殿下は魔力がないというのは、本当ですか?」
ニコの問いにそれまでよどみなく薬草を摘んでいた白い手が止まる。顔を上げたメアリー・アンが薄青の瞳を不思議そうにニコに向けた。
「ご存じなかったのですか?」
きょとん、と言われてニコの胸が痛む。
「魔術師を引退して長いもので、知りませんでした。お恥ずかしながら、もう俺は魔力探知も出来ませんから」
「まぁ、そうだったのですね。わたくしの魔力については王宮では知らない者はいませんから。知っていらっしゃるものだとばかり。説明もせずに申し訳ありません」
にこりと微笑むメアリー・アンは、自らの魔力がないことはみんなが知っていると言った。
それはつまり、王宮の全員が彼女に「価値」がないと思っているということだ。
「勇者と結婚したいのは、それが理由でしょうか」
言いたくなければ答えなくていい、と断ってニコは訊ねる。
しかしメアリー・アンは何も気にしていない様子で頷いた。
「そのとおりでございます。わたくしにはお兄様やお姉様のように魔術師として国の役に立つことが出来ません。ですので、せめて父王陛下の言いつけを守り、勇者様と王家との縁を深めたいと思っております」
「貴女はそれを望んでいないのに?」
ニコが言えば、メアリー・アンは不思議そうに瞬いた。軽く首を傾げてニコを見る。
「わたくしが望むことは民の安寧と王国の繁栄でございます。わたくし個人の望みなどそれに比べれば、瑣末なことでございます」
「そうですか」
これはなかなか手ごわそうだ、とニコはひっそりと息を吐いた。
メアリー・アンは幼い故の我儘でここにいるのではないのだ。
彼女なりの使命感を持って勇者へ求婚をしにこんな辺境の地までやって来た。そこに彼女自身の感情はない。
彼女は自分が勇者と結婚することが、この国にとって最善であると信じている。
そう思わせたのは、きっと彼女を取り巻く全てだ。
生まれや彼女の境遇、それからこれまでの教育や出会ってきた人々。その全てが彼女自身の「価値」を認めることをしなかったのだろう。
「王女殿下は、何かやりたいことはないんですか?」
「したいこと?」
少し考えて、ニコはメアリー・アンに訊ねた。
「例えば将来の夢とか」
ニコがメアリー・アンの年の頃は、ちょうど魔術の勉強が楽しくなってきた頃だった。
魔力操作が少しだけ上手くなって、魔術書に書かれた魔法を実際に試すことが出来るようになってきたからだ。
それまで意味の分からない基礎訓練ばかりやらされていたけれど、それらの訓練の意図が分かったのもこの頃だった。
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