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第三章 森の薬師ときこりの勇者 第四話 勇者との結婚の意義
「俺が殿下くらいのときは、師匠に一泡吹かせてやるって思ってましたけどね。あと、竜に乗りたいとか思ってました」
ニコの師匠だった魔術師は、ニコと同じように王国軍魔術部隊に所属していた若い魔術師の青年だった。
魔術特性は水で、植物だったニコとの相性はよかった。
しかし、子ども嫌いな師匠はニコに優しい言葉ひとつかけてはくれなかった。気難しくて融通が利かず、日々の訓練は血反吐を吐くほどに厳しい人だった。
けれどもあれは、激しく辛い魔族との戦いに長年身を投じていた師匠なりの優しさだったのだと思う。
あの頃のニコは、将来すでに王国軍に所属することが決まっていて、弱さや甘えが死に直結する未来が待っていた。
故に、少しでもニコの生存率を上げるために、師匠は敢えて厳しい訓練を課していたのだ。
しかし、当時まだ子どもだったニコには、そんな師匠の気持ちなんて分からなかった。
だからこそ、いつか師匠に一泡吹かせてやりたいとずっと思っていた。そんな師匠もニコが独り立ちする前に魔族との戦いで命を落としてしまったけれど。
今はなき師匠を思い出して、少しだけ感傷的になってしまったニコだったが、メアリー・アンの真剣な顔を見て少しだけ驚いた。
「殿下?」
「竜?」
ぽつりと呟いたメアリー・アンに、ニコは頷く。
「そうです。火竜 とか水竜 とかそういう有名どころがいいなって」
「ニコ様は竜を見たことがあるんですか」
「ありますよ。王都には出ないけど、辺境には割とよく出没しますからね。人里に近い場所に出れば討伐対象です」
ニコの説明にメアリー・アンは珍しく目を輝かせていた。どうやら彼女にも興味が引かれるものがあったらしい。
「竜がお好きですか?」
「竜というか、魔獣が好きなのです。よく物語にも出てきますでしょう。お姉様も魔域で様々な魔獣に遭遇したと以前話して下さって」
勢いよく話し始めたメアリー・アンだったが、途中で自分の興奮具合に気づいて、あ、と小さく声を漏らした。手で口を隠し、恥ずかしそうに目を伏せる。
「魔獣がお好きなんですね」
言えば、はい、と彼女は微笑んだ。
「失礼いたしました。お姉様以外で魔獣の話を聞いてくださる方は初めてでしたので、つい」
少女らしい興奮を恥じるようにメアリー・アンは微笑んだ。作った笑みは王侯貴族としての嗜みで、彼女の本心を全て隠してしまう。
先ほどのメアリー・アンは、それこそ十一歳の少女らしかった。ニコは王女としての彼女も好ましいと思うが、さきほどの彼女も嫌いではない。
「魔獣を生で見たいと思いますか?」
ニコが問えば、メアリー・アンは少し考える様子を見せて口を開いた。
「そうですね。ええ、はい。ニコ様のおっしゃる『将来の夢』というのが、いつかやりたいことなのでしたら、わたくしはお姉様のように旅をしてこの目で魔獣を見てみたいです」
けれど、とメアリー・アンは続ける。
「わたくしは王女ですので、それは永遠に『夢』のままですわ」
「どうしてですか?」
「だって、わたくしはお姉様やお兄様のように魔獣に会うための理由がありませんもの」
理由がなければ動けないのだ、とメアリー・アンは言った。
「お姉様は魔王討伐のために旅をされて、その過程で魔獣と戦ったのですし、お兄様は王国軍の魔術師として魔獣を討伐しに行かれたのです。けれど、魔術を使うことが出来ないわたくしにそのような機会はありませんわ」
「理由がないと駄目なのですか」
「駄目ですわ。だってわたくしたちは王族なのです」
そう言ってメアリー・アンは自らの着ていた衣服をその白い指先で摘まんだ。
彼女が身に纏うのは王女としては質素な軽装だった。綿と毛織で出来た上着とパンツスタイルのボトム。足元はひざ丈の革のブーツだ。
「わたくしは、わたくしが普段着ている衣服が町娘とは違うことを知っています。彼女たちは絹のドレスは着ませんし、髪飾りだって宝石が付いた物は使いません。食事だって白パンや果物が毎日食べられるのは王侯貴族だけだと分かっています」
与えられるものには責任が伴うのだ、と言ったのは本当に十一歳の少女だったのだろうか。
ニコは彼女の大人びた言葉を聞いて、驚くことしか出来なかった。
「生まれたときから、わたくしにはそれが普通でした。何の苦労もせずとも美味しい食事が手に入り、温かい部屋で召使たちに傅かれ、手入れをされた手は水仕事で荒れることもない。けれど、それはわたくし個人ではなく、『王女』という立場に与えられたものなのです。わたくしは王女として育ちました。そして死ぬまで王女である責務を果たさなければならない」
国のため民のために生きることがその責務なのだ、とメアリー・アンは言った。
「夢を叶えることも出来ず、好きでもない相手と結婚することが責務なのですか」
「そのとおりですわ。ニコ様だって、自らの責務を果たされたでしょう?」
責務を果たす、という言葉にニコは返す言葉がなかった。
確かにニコは「魔術師」としての責務を命を懸けて果たしたのだ。
だからこそ、身体はこんな風に傷だらけになったし、二度と魔術は使えなくなった。
けれども、そのことを後悔したことは一度だってなかった。
だって、ニコは決して勇者候補の犠牲になったなんて思っていないからだ。
あれは確かに王命だったが、同時にニコ自身の願いでもあった。ハロルドが生きて笑っていられればそれでいいと、心の底から思っていた。
けれど、きっと市井の民から見れば、ニコの献身は理解できないものだろう。
同じようにニコにはメアリー・アンの願いは理解できない。
しかし、ニコにとってハロルドを守ったあの任務と、メアリー・アンにとっての勇者との結婚が同じくらい重たいものだとしたら、ニコは彼女に自らのしたいように生きろとは到底言えなかった。
呆然とするニコとは対照的に、メアリー・アンは話している間もずっと微笑んでいた。
木漏れ日が風に揺れて、メアリー・アンの銀髪をきらきらと輝かせた。
深緑の木々の葉と苔むす大地。その中に美しい少女が佇んでいる。
それはまるで一枚の絵画のようだった。
とても静謐で美しく、けれど同時にひどく悲しい絵だ。
「王女殿下」
「はい」
「ハロルドが、貴女を選ばなかったら貴女はどうされるのですか」
乾いた舌を何とか動かして、ニコはそれだけを訊ねた。
メアリー・アンはただ微笑んだまま答えなかった。
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