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第3話
「まさか、自分の耳と尻尾が呪いだと思ってるわけじゃ……」
「違う! 違う!」
飛びあがらんばかりの否定が返る。彼の言葉がわかるのは、リアンとジュンシーに仙丹があるからだ。耳にしたことのない言語だが、話は通じる。
「本当は、大人なんだ。年齢は二十歳。もうとっくに成人してる……」
「……ようには、見えないけれど?」
胸の前で腕を組んだジュンシーは、なおも眉根を引き絞った。身体が傾き、少年を覗き込む。
「混乱しているんでしょうね」
そう納得をつけて、リアンを振り向いた。
頭の回転が速いだけに、少々、答えを急ぐところがある弟子だ。微笑ましくて笑ってしまいながらうなずく。
「ジュンシー。彼に服を渡してあげて」
「はい、お師匠さま。……着ていたものは汚れていたから、しばらくはこれを」
用意していた衣服を渡し、ジュンシーはそのまま着替えに手を貸す。少年は断りもせずに口を開いた。
「俺の名前はダナ・ソワム。みんなはソワムと呼ぶ。五歳から成長が止まって、一ヶ月に一度だけ本来の姿に戻る。信じられないのも仕方がないが、そういう話だ」
ジュンシーの手を借りながら内衣・中衣・外衣と着ていく。身につけていた衣服とは勝手が違うので戸惑っているようだが、話しぶりは年齢にそぐわない聡明さだ。
「……ここへは国の占い師の助言で来た。方角とかかる日数が目安だ。馬に乗ってきたが、このあたりの山に入ってから逃げてしまった。錯乱したようだったが……。それから三日三晩さまよって……、気がつけば、甘い匂いが」
「あれは隠れ里の桃園です」
椅子に腰かけ、リアンはのんびりとした口調で答えた。ソワムが言う。
「腹が減って喉が渇いて、思わずひとつもいで食べた。あとはなにも覚えていない」
それもそのはずだ。まだ実がついて百年も経っていない未熟な桃だ。
普通であれば、ひとかじりで命を落としかねない。それを免れたのは、まるで仙丹のごとくに練られた内丹を持っているおかげだ。
修行が義務づけられている国もあるとは聞くが、砂楼国がどうなのかはわからない。尋ねてみようかと口を開きかけ、リアンは黙った。
ソワムが話を続けたからだ。
「頼る先はあなたしかない。ここまでたどり着いたのも、なにかの縁だ。呪いを解く方法がないか、知恵を絞っていただきたい」
「どこのものであっても、妖しなどの悪さなら、祓いもできるけれど」
リアンはくちごもった。即断できるほどたやすい話ではない。
山頂がいくら清浄な場所であっても、道宮が断崖絶壁に建っていても、年季のいった妖怪・妖魔の類いなら結界の隙間をかいくぐる。ソワムがいわくつきのものではないとは言えず、リアンが招き入れたも同然となれば、いっそう始末に困る。
「お師匠さま……」
ジュンシーの顔も引きつっていた。年端のゆかぬソワムの口調が、あまりに大人びているからだ。違和感はじりじりと増していく。
「よい、よい」
リアンは鷹揚にうなずいて、手を打った。
外見だけは倍ほど年の違う少年たちの目が、はたっとリアンを見つめる。
「どうせ、すぐには送ってやれぬ。しばらくは置いてやろう。道宮を案内してやりなさい。彼は人の身だから、厠が肝心だろう」
「お師匠さま。そんなことをおっしゃって……。開明君のご意見もお聞きになってはいかがです。あの方なら、すぐに判断をつけてくださいます」
「そうだろうか」
腰に差した木扇を抜き、半分だけ開いて口元を覆う。白檀の香りが漂い、リアンの目元は美しく半月を描く。
開明君。彼は正真正銘の天仙であり、武神として誉れも高い。
リアンを案じた西王母の声がかりで様子うかがいにくるが、神仙の常、命短い人間という存在に対して冷淡なところがあるのだ。
彼を尊敬しているジュンシーには言いがたいが、妖しであれ、人間であれ、面倒と感じれば宝具の羽扇を閃かせて雷を落としてしまう。
それで一件落着、万事解決。かかと笑うのが、開明君そのひとの性質だ。
「まぁ、そのうちに……。おまえから耳へ入れるのではないよ」
納得のいかない表情をしているジュンシーに釘を刺し、リアンは大袖をひらりと翻した。不安げに瞳を揺らすソワムの前で腰を屈める。
胡族(こぞく)らしい、宝玉の色をした瞳に邪悪な気配はない。それどころか、大きな目をさらに見開き、リアンをひしっと見つめてくる。
「……どうして、そんなに」
こどものあどけない声が言った。
「きれいな顔を、してるんだ」
「見る者の心が美しければ、そのように……」
からかって答え、毛の生えた耳へちょんと触れる。ソワムはくすぐったそうに肩をすくめ、たちまち不満げにくちびるを引き結んだ。
朝の支度を終えて戸を開けると、こどもたちの笑い声が飛んでくる。かと思えば、せわしない言い争いのあとで箒の柄のぶつかりあう音が響いた。
里から見れば切り立った峰である山頂は、思いがけず広々としている。道宮の中心には廟があり、左右には堂が建つ。廟へ向かって左がリアンの居室で、向かいは物置と炊事場。小舎の真ん中に道が通り、崖に突き出た観月台へと続く。
ジュンシーとソワムが寝起きしている小舎は、炊事場の脇を少しおりた岩のくぼみにあり、桃園から連れ帰ったソワムを寝かせたのもその場所だ。
柱にもたれたリアンは口元を指先で隠しながらあくびをこぼす。
カンカンと軽快な打撃音がひとつのリズムを作り、石敷きの広場を踏みしめる革靴の乾いた音が乗った。兄と弟のような少年たちの呼吸も弾み、攻撃と防御のやりとりはいっそう激しくなっていく。
優勢なのはソワムだ。ジュンシーが手加減をしているのではないが、重心はしっかりと低く、足捌きも軽快で隙がない。
「ジュンシー。そこで引かなきゃ、払いをかけられる! ほら!」
ソワムの甲高い声が響き、ジュンシーが飛びあがる。地面すれすれをなぎ払う箒の柄から逃げ、片手をついて後転する。
「そうはさせない!」
今度はジュンシーが声を放ち、素早いひと突きをくり出した。
「はっ!」
短い息を吐いたソワムが果敢にも前へ出た。風を切った箒の柄が勢いよくジュンシーの突きを防いだ。と、同時に、ジュンシーの手にしていた箒が宙を飛ぶ。
「あぁ! まただ!」
悔しそうな叫びが響き、対するソワムは姿勢を正して一礼した。すぐに箒を取りに走る。途中でリアンに気づき、満面の笑みを向けてきた。
会釈で返し、手を打ちながらふたりへ近づく。
「油断したね、ジュンジュン」
「いえ……、ソワムの実力はたしかです。残念ながら!」
悔しそうに顔を歪めて嘆息をつく。
「人には向き不向きというものがある。鍛錬を続ければ、花が咲かずとも身にはつく。ソワムもありがとう。わたしも剣術はからきしだ。練習相手になってくれて大変に助かっている」
「こちらこそ、身体が動かせてちょうどいい。ジュンシーの腕はたいしたものだ。俺とやり合えるこどもに初めて会った。大人と手合わせすると間合いの感覚が狂うから、ずいぶんと困っていたんだ。できれば、大人の姿のときに実力が出せるようにしておきたい」
「……新月の夜にだけ、本来の姿に戻るのだったね」
リアンの問いかけに、ソワムがうなずく。
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