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第2話 キミの白いシャツ

「昨日おもしれーもん見たんだ」 食堂に静寂はない。 真向かいに座る学生の話し声が聞こえた。ここでは誰かの話し声が絶えず聞こえてくる。 それが普通。雑音も、平凡な毎日を構成する一つの要素となる。 「信じらんねーよな。そんなナリして」 今日の昼食はカレーうどんだ。集中力を切らせばすぐに白いシャツに黄色いシミをつけてしまう。だから、そんなに大きな声を出して俺の集中力を乱さないで欲しい。 「おい、無視してんじゃねーぞ。塩谷」 名前を呼ばれた気がして顔を上げてみると、目の前に座る学生と目があった。……学生なのか? 真っ赤に染まった髪。耳はピアスだらけ。白いシャツは全開で、下に黒いTシャツを着ていた。違反だ。全体的に、校則違反だ。 箸からうどんがつるつると滑っていく。カレーの中にうどんが落下して、黄色い汁が飛び散った。 「きったねーな」 「あ、すみません、かかりました?」 「……つか俺の話きいてたか?」 首を横に振った。なに、俺に話しかけてたの?見るからに不良のこの人が、俺に?なんで? 「いい根性してんな。バラすぞ」 「バラすって……」 「あの部屋…社会科準備室だっけか?」 その言葉を聞いて、どきりとした。 社会科準備室と言えばアレだ。 昨日、早川ヒカルとの攻防戦で使用した教室だ。それを、なぜこの赤髪のピアス男が知っているんだ。 あの部屋には俺と早川の二人しかいなかった。入るときも出るときも誰とも出くわさなかったのに。 動揺を顔に出してはだめだ。真顔で答えろ。すっとぼけて回避。もしかしたら発破をかけられているだけかもしれない。 「社会科準備室がどうかしたんですか」 「音楽室から見えたんだよ。社会科準備室の中がな。しょーこ写真も撮っといたぜ」 そんなものまであるの!?証拠写真なんてものを持ち出されると、とぼけるのにも無理がある。 男は鼻で笑うと、テーブルの上に1枚の写真を置いた。その写真は、斜め上から向かいの校舎を撮影したものだった。 これが、証拠写真、なのか? 「これ、校舎の写真ですよね」 「よく見ろ」 大きくて長い指が、写真のある部分を指し示した。その部分をよく見ると、小さな窓の奥で二人の人物が絡み合っている像が映し出されていた。しかし、ああ、なるほど、確かにいるな、ぐらいの小ささである。それに加えて、ブレブレだ。 勝った。こんなもの、証拠にならない。俺ですら写真の人物が誰かなんてわからないのだから。 「人っぽいですね。これがどうしたんですか?」 「お前だろーが。確かに写真じゃ分かりにくいが、お前だってことは分かってんだからな」 「えぇ!?俺じゃないです!見間違いですって」 「ふざけんな!俺が塩谷の事を見間違えるわけないだろ!!」 「え、なんで」 「ぁ、いや、あ、視力が!両目とも2.0なんだよ!だから、お前がどんなにすっとぼけたって、無駄だぜ?いいか!社会科準備室での事を黙ってて貰いたかったら、放課後、寮の427号室に来い。来なかったらバラすからな。絶対に来いよ」 赤髪の男は、そう言い残して、去っていった。 昼食をとるわけでもなく、わざわざこの事を伝えるためにここにきたんだろうか。写真までプリントアウトして。しかも昨日は朝からちゃんと音楽の授業にでていたというのか。不良のくせに! 俺はテーブルの上に残された証拠写真をクシャクシャにしてポケットの中に入れた。 さて、どうすべきか。 「今の人、2年の江藤(えとう)(すぐる)って人ですよね?結構派手な人と知り合いなんですね」 「あれ?中島くん!」 「となり良いですか?」 「どうぞどうぞ」 昨日はジャージ姿だったけど、今は制服を着ている。ちょっと新鮮だ。人の顔を覚えるのは苦手だから、声をかけられなければ気付かなかったかもしれない。 中島くんは両手でBランチのトレーを持って立っていたので、俺はとなりの椅子を引いて座りやすくしてあげた。 「ありがとうございます」 「中島くん、江藤の事知ってるの?」 「?知り合いじゃないんですか?」 「全然知らない人」 「そうだったんですね。もうちょっと早く俺が来ていれば……。あいつに何かされたんですか?」 「逆にナイスタイミングだったよ。何かされたっていうか、えーと、ちょっと、その、視力がな、江藤の目が良いらしくて、絡まれただけ……」 中島くんは一瞬だけ目を細めたが、勝手に納得してくれたみたいで深くは聞いて来なかった。 俺はほっとして、再びカレーうどんを食べ始めた。ひとりで食べる時よりも慎重に箸を使う。 「良い噂は聞かないんで、じろじろ見たりしないように気をつけてくださいね」 「じゃあ悪い噂はあるの?」 「え、まあ。実家がヤクザとか、肩がぶつかっただけで殴られたとか、気に食わない奴を退学に追い込んだとか……。俺もバレー部の先輩伝いで聞いただけですけど」 「ほう」 「ちょっと先輩、さっきからカレーが飛び散ってるんですけど」 「かかった?」 「いいえ。俺は無事です。でも、先輩のシャツはシミだらけですよ。何歳ですか」 中島くんが口に手を当てて笑った。ポケットからハンカチを取り出して、それを俺に差し出した。受け取るはずもない。 「え、いいよ!ハンカチ汚れちゃうから。こんなの、漂白剤ですぐとれると思うし」 「ハンカチは汚すためにあるんですよ」 「そうなの?」 「常識ですよ」 後輩に、片手で右肩を掴まれ、ぐいっと引き寄せられた。真っ白なハンカチで胸元をポンポンされる。うわ、これは。 「超、恥ずかしい」 思わず両手で顔を覆った。高校二年生にもなって、恥ずかしすぎる。俺だけじゃなくて、お前だって恥ずかしいんだぞ、中島くん。 「これで少しは、あ。やべ」 「おい。これ、ポンポンしたせいでシミが増えてんだけど」 「まあ、漂白剤ですぐにとれますよ」 「俺結構てきとうな男だけど、お前もたいがいだな」 「一緒にしないで下さい!いただきます!」 俺はカレーうどんを食べ終えると、中島くんが食べ終わるのを待たずに食堂を出た。 昼休憩が終わる前に音楽室で確かめたかったからだ。 本当に、江藤は目撃したのだろうか。 「なるほど、丸見えだ」 音楽室の窓側、一番前の席から、社会科準備室が見えた。幸いにも、音楽室から社会科準備室が見える席はここだけだ。ひとつ後ろの席も、その後ろの席も、窓の外の耐震補強の鉄筋ブレースに邪魔されて見えない。 俺の視力は1.0。それでも丸見えなのだから、江藤の視力なら、確実に俺だって事がわかる。くそ。不良のくせに一番前の席に座りやがって!無駄に出席番号早い名前しやがって! 「君、たぶん教室間違えているよ」 声がした方を振り向くと、ピアニカを持った眼鏡の男が、俺を見下ろしていた。 「あ、すいません。ちょっと、ここに座って見たかったんです」 俺は直ぐに立ち上がって、彼に椅子を譲った。そのまま音楽室を出ようした時、後ろから腕を掴まれた。俺はびっくりして、咄嗟にその腕を振り払った。眼鏡の男も驚いたように目を見開いた。 「え、な、何ですか」 「……いや、ごめん。何でもない」 「失礼します」 心臓が止まるかと思った。未だにドキドキしている。 何でもないのに、人の腕をいきなり掴んだりするだろうか。引っかかるものはあったが、今度こそ俺は音楽室を出た。 何か言いたいことがあったとか? 2Aの教室に戻り自分の席についた後、ふと思った。昨日のこと?いや、昨日、あの時間あの席にいたのは江藤だ。じゃあ、なんだ。シャツのシミについてか?……几帳面そうだったもんな、眼鏡のピアニカ男。 「まといちゃんのシャツ、うん」 「だまれ」 俺を下の名前で、しかもちゃん付けで呼んでくる男なんて一人しかいない。早川ヒカルが俺の背後に立っていた。 「ま、まといちゃん?え、まといちゃん??え、どういうこと?え!?まといちゃん!?」 斜め前の席に座っていた山本くんが立ち上がった。大変だ!一番聞かれたらややこしい人に聞かれてしまった。 「山本くん!早川くんには、クラスメートは下の名前でちゃん付けするポリシーがあるってこと、忘れちゃった!?」 「それいいね!山本くんのことも、これからは山ちゃんって呼ぶね!」 「まって!それ苗字だから!僕の名前、ゆうきだから!あ、でも早川くんの好きなように呼んで!」 山本くんはもじもじしながら、こちらに近づいてきた。別にいいのに!こっちに来なくても! 「それより、犯人のことは何かわかった?昨日、いきなり帰っちゃったからすごく心配したんだよ。また犯人に襲われたんじゃないかって…」 「あー、その件は解決したよ。ご協力ありがとう」 俺を挟んでその話をするのはやめてくれ。 立ち上がろうとしたが、後ろから早川が俺の両肩に手を置いて思い切り体重をかけてきた。 「え!犯人捕まえたの?」 「逃げられたけどねぇ。週末会う約束したから大丈夫。ね!」 ね!じゃねーよ!肩を揉むな! 「どういうこと?立会人を入れて会うってこと?」 「うーん、ある意味、立会人はいっぱいいるかな。立会人っていうか、魚が」 「魚!?魚なの!?え?魚が立会人ってこと?あ、魚って名前の人?」 「いや、魚だよ」 「やっぱり魚なの!?大丈夫それ!?僕立ち会おうか?」 「え、山ちゃんが……?それもなかなか良い案だね!てことだけど、まといちゃんどう?」 「知らねーよ!」 「ごめん、山ちゃんの立会人は遠慮しとくよ。犯人が初めてだから恥ずかしいって」 「ええ!?犯人にその気遣いいる!?まあ、でも、そうだよね。生徒って事なら犯人と言えども未成年だし、人権は尊重しないといけないものね……」 山本くんが心の優しいあほで良かった。あほというか、完全にあれだよな。恋は盲目っていうヤツ。こんな変態の何処がいいんだろうか。ていうか、山本くんなら、早川の欲求を満たせるんじゃないか? 「ふたりってさ、お似合いだよね!」 「えっ、ちょっと、塩谷くん、いきなり何!?やめてよ、そういう、もう!ちょっとヤダっ!」 山本くんは、ぷりぷり怒りながら自分の席へと戻ってしまった。何でだ。そういう事言われると、喜ぶんじゃないのか!? 「まといちゃんはもてなさそうだよね」 早川が俺の耳元で囁いた。鳥肌が立つ。 「だまれ」 「あー週末が楽しみ」 「魚釣りだっけ?間違って海に落ちろ」 「何処までも堕ちれるよ、まといちゃんとなら」 身の毛もよだつような捨て台詞を吐いて、早川は俺の背中から離れていった。 授業の予鈴が鳴る。 今日はまだまだ終わらない。 良いことを思いついた。 例の赤い髪の毛の男の件だ。 放課後427号室に来なければバラすと言っていた。俺は427号室に行きたくも無ければ、社会科準備室での出来事をバラされたくもない。だったら、放課後、ダッシュで江藤よりも誰よりも早く427号室に向かい、ピンポンを押して、帰ればいい。そうすれば俺は胸を張って『行ったけどいなかったんだ!』と言える。 …………いや、普通にバラされるよな。なんだよあいつこねーじゃんちくしょーバラしてやるってなるよな。ダメだ。つんだ。 427号室に行って、俺に何しようってんだ。暴力?それとも金銭授受の相談(いわゆるカツアゲ)か?そもそもなんで寮の部屋で?人に見られないように?まてよ、寮はふたり部屋だから、逆に深夜近くにいけば、同室者もいるはず。第三者の目があるところで、悪いことなんてできないだろう。しかもワンチャン寝ててチャイムに気付かなかったとなる可能性だってある。 ソレだ! 「…………やっときたかてめーこのやろー。今何時だと思ってんだ」 「夜の1時ですかね。でも何時にって言ってなかったら!」 「放課後っていやー、普通18時とか、遅くても20時ぐらいまでに来いや。待ちくたびれて寝てただろーが」 「おやすみちゅうでしたか、失礼しました。それじゃあ俺はこれで」 と、言う風に、帰れるわけがないか。 江藤のしっかりとした手に腕を引っ張られ、問答無用で室内に引きずりこまれた。 「帰すわけねーだろ」 「お邪魔します」 一応、靴は脱いでやった。 江藤の部屋は、俺の部屋よりも綺麗だった。 整理整頓されている。テーブルの上には何もないし、床に洗濯物やゴミもない。同室者が片付けているのかも。 「江藤くんの同室者は、綺麗好きなんだね」 「俺の、名前……。知ってたのかよ」 「うん、まあ、もちろん、知ってたよ。江藤[[rb:優 > すぐる]]くん」 「優でいい」 「いや、江藤くんでいい」 「おい殺すぞ」 「優くん」 殺すぞって言われた。こわ。どこが優くんだよ。こんなのまったくもって優くんじゃねーよ。 「座れ」 案内されたのは、江藤のベッドルーム。寮は基本的にキッチンとシャワールーム、ベッドルームふたつで一つの部屋となっている。 江藤は自分のベッドに腰掛けた。俺はその隣に座った。 「……し、塩谷は、早川とつきあってるのか?」 「ないない」 「ないのに、あんな事してたのかよ」 「誤解だ。確かに絡み合っていたかのように見えたかもしれないが、本当は足がもつれて一緒に転けたんだ」 「そんな言い訳通じると思ってんのかよ」 「思ったから言ったんだろ!」 「開き直りかよ!もうお前の言うことは信じねーぜ」 「後から信じたくなあ、あ、え」 「身体に聞く」 ベッドのスプリングが軋んだ。江藤が俺を押し倒した。マウントとられて殴られるの?まじで? ちょっと泣きそうになる。早川を殴ったのも、社会科準備室にあいつと入ったことも、この部屋に来てしまったことも、全部おろかな俺の選択ミスだ。 俺は来るべき衝撃に備え目を閉じた。こうなれば一発大きいの食らって、ノックアウトされたい。 しかし、衝撃はこなかった。 「いっそひと思いに……!て、なんで脱いでんの!?」 江藤は上半身裸になっていた。なんという筋肉質な身体。細身だけれどもしっかりと腹筋が割れている。じゃない。 「服きたままがいいのかよ。そーだよな、早川ん時も服着てたもんなぁ。じゃあ余計脱がしたくなるわな」 俺はグレーのスウェットを着ていたが、抵抗も虚しくあっけなく脱がされてしまった。俺の貧相な身体が露わになる。ついでに両手も着ていたスウェットで縛られ、ここまできて俺は気付いてしまった。 「もしかして、江藤くん、俺にいやらしいこと、しようとしてる?」 「優だろ。いやらしいことって?」 「まってまって優くん!ほんと、マジ、ストップ!お願い、俺にいやらしいことしないで」 「煽ってるだろ、それ」 スウェットでひとまとめにされている俺の両腕は、頭の上で押さえつけられた。江藤の右手が、俺の頬を撫でる。次に何をされるのかがわからなくてこわい。これって本当に、人生最大のピンチかもしれない。いや、まだ同室者がいる! 「となり、同室者いるんじゃない?」 「いねーんだなこれが」 「いねーの!?なんだよ!ばか!なんでいないの!?」 「もともと俺には同室者がいないんだよ」 江藤の手が頬から離れて、首、鎖骨、胸、お腹と下の方に下がってきた。 「や、めろ」 「早川が好きなのか?」 「す、き、じゃ、ない」 「本当に?」 俺は目を閉じて頷いた。大きな手に身体中を弄られる。 「なら、俺でもいいじゃん」 唇に柔らかい物が触れた。キスだ。 唇と唇が触れ合うだけの、軽いキス。 目と目があって、江藤の耳が髪の毛に負けないぐらい真っ赤に染まった。 あっけにとられたが、俺はすぐに首を横に振った。 「発散したいなら、他の誰かにしろ。どいつもこいつも、なんで俺を、巻き込むんだよ」 「はあ?自分で蒔いた種だろーが」 「種まきした覚えねーよ」 「だろうな。忘れちまうんだよな、俺は覚えてるのによお。くそ、まじやってらんねー!あー!!」 江藤は、膝立ちになり、両手で自分の頭をクシャクシャにした。そのおかげで俺は両腕を胸の前まで下ろすことができた。とにかく防衛。触られるとやばいところは隠す。 「もしかして、俺、お前に何かしたのか……?」 それで、復讐を? 江藤は俺を見下ろして、不機嫌そうにため息を吐いた。 「別にいいけどさー、お前マジで犯すぞ」 「えー!全然別にいいって感じじゃないじゃん!ごめん、俺、記憶力なくて」 「マジで犯すっつってんだろ。お前、早川とどこまでいった?最後までやったのか?」 「やってねーよ!早川に押し倒されて、キスされて、首舐められただけ。変態なんだって、あいつ」 「わかった。じゃあ首なめさせろ」 「は?やだよ!」 「最後までやってもいいんだぜ」 「それはもっとやだ」 じゃあ、わかってるよな、という顔した後、江藤は俺の上から退いて、ベッドにあぐらをかいて座った。 「こっちこい」 「やだ」 「じゃ、犯す」 江藤が動いたので、俺は急いで側に寄った。どう考えても、江藤と俺の力くらべじゃ負けてしまう。俺は江藤のあぐらの上に座った。背中を向けて体操座りだ。顔を膝に埋め込んで、江藤の前に首を曝け出した。ああ、死ぬ。 「ん」 江藤は首すじを下から上へと舐め上げた。息が詰まる。江藤の髪の毛が耳や頬に当たってくすぐったいのに、それ以上に、もう。 「も、いいだろ」 江藤は俺を無視して、後ろから手を回して俺の胸を撫でた。 首舐めるだけじゃないのかよ。 しかし残念だったな、そこにおっぱいはない。 「あ、やめ、あひ、くすぐったい、はは」 乳首を弄られた。つままれて、カリカリと爪を立てられる。くすぐったくて、笑いが止まらない。 「やめろって、ふふ」 「笑ってんじゃねーぞ」 江藤は俺の下腹部に手を伸ばした。 そこは冗談じゃない。 「やめろって」 「忘れっぽい塩谷に覚えてて貰わなきゃな」 「ぁ、だめ、撫でんな、あん、ちょ、くび舐めんなって」 あんって、おい。 だって男の子の大事な部分撫でながら首を舐めるのってとても卑怯だろ。力が抜ける。もうだめだ。これ以上、触られると、いろいろつらい。なんとか、やめさせたくて、手を掴んでも、動きは止まらない。やめてくれ。どうにか。 「すぐる、俺、感じちゃうよぉ」 江藤の手が止まった。 なんだこれ、万能だな。こんなんで止まるなら早く言っとけばよかった。 「さあ、とっとと、ケータイ出せ。例の証拠写真とやらを消して終わりにし、ン、んん」 く、首が。 頬を掴まれて、キスされていた。体勢が無理やりすぎる。しかもさっきみたいな、キスじゃない。ガッツリと、舌が入っていた。 苦しくて、俺は自由に動かせる手であるものを探した。認めたくはなかったけれど、俺の腰に当たっているモノ。布越しに俺はそこに触れた。 握り潰してやる。 「!!あっ、く、ぁあ………!!!ふぅ…」 「え」 江藤の荒い呼吸が耳にかかる。 「…………」 「…………」 「い、いっ」 「……言ったら……殺す」 俺は口を閉じて、そーっと例のモノから右手を離した。そしてそーっと、江藤のあぐらの上から抜け出す。そーっとベッドから降りて、そーっと入り口まで移動した。 その間に、江藤はあぐらをやめてベッドの上で膝をかかえ顔を埋めていた。 今は、江藤の真っ赤な髪も、白く見える。 「忘れてくれ……」 「言われなくても忘れるけど」 「ああ?」 「忘れてほしいんだろ!誰にも言わねーよ」 「言ったら殺すからな。そして俺も死ぬ」 「無理心中!絶対に言わねーよ」 「どうせ忘れるだけだろ」 「……なあ、俺、お前に何かしたのか?」 ここで江藤はやっと顔を上げた。口を噤んだので、やはり教えてくれないのかと思ったら、わざとらしい溜息を吐いてぽつりぽつりと話し始めた。 「……去年の夏。オープンキャンパスの、ボランティアやった時。大雨降っただろ。俺、お前の傘に入れてもらって、一緒に帰ったんだよ」 またオープンキャンパス? つか不良なのにオープンキャンパスのボランティアかよ! 『一緒に帰った』それを聞いて、俺はあの時の記憶が蘇ってきた。そうそう、俺は中島くんにボロボロの折り畳み傘を投げつけた後、土砂降りの中、走り出した生徒を引き止め、俺の大きな傘に入れた。 しかし、俺が傘に入れたのは、こんな赤い髪をした、白いシャツの下に黒いTシャツを着るような男じゃない。身長だってもっと低かった。いや、身長は、伸びるんだって、学んだけど……。それに、もっとオタクっぽいやつだった。じゃないと俺は自分の傘に入れたりなんかしない。 俺が自分の傘に入れた男の特徴を話したら、江藤はひとつひとつ俺の疑問を解決してくれた。 「髪はまだ染めてなかったし、オープンキャンパスだからちゃんと制服着てたんだよ。身長は伸びたわけじゃなくて、お前が傘持ってたからちょっと屈んでたんだよ。オタクっぽいってのは、知らねーつか、そう思ってたんだな、お前……」 不良がオープンキャンパスだからって白シャツ第一ボタンまで閉めるなよ! そうだ、顔が思い出せないのは、雨に濡れた前髪で、ほぼ顔が見えなかったからだ。それで、俺はオタクっぽいイメージを持ったんだ。 俺たちは寮までの間、普通に会話しながら歩いていた。その時、俺が何かひどい事言ったとか……。何を話したんだっけ。思いだせ。俺はその時、こいつの琴線に触れたはずだ。 『クラスじゃ浮いててさ』 『なんで?無視されたりしてんの?』 『まぁ、そうだな。みんな俺に近寄らない』 『そんなの思い込みだって。俺もあったなーそんな時期。もしかして、俺嫌われてるんじゃ?みたいな』 『嫌われてるんだよ、俺』 『大丈夫、俺キライじゃないよ。もっと自信を持つんだ!背筋ピンとして、髪の毛も、いっそ明るい髪に染めちゃえばいいんじゃん!夏休み明けデビューみたいなやつ!転校生来たんじゃね!?て話題になったりして』 他人事だと思いやがって!俺!! そうだよ、そういう会話をした。だからこいつの髪の毛は赤いのか?もっと浮いちゃうだろ!?何やってんだ俺は……。 「俺のてきとうなアドバイスのせいで、悪かった」 「ちげーよ。アドバイスは別にいい。俺が許せないのは、またなって言ってわかれたのに、夏休み明けずっと俺のこと無視したことだ」 「いやだって絶対わかんないよ!」 「俺はずっと覚えてたのに」 「そ、それは、悪かったな」 「まー、忘れられてたのもムカつくけど、わざと無視してたわけじゃねーから、許してやるよ」 江藤は、立ち上がってベッドから降りた。 俺は一歩だけ後ろにさがった。 「ありがとうな」 後ろ頭を掻きながら、江藤はいつかの礼をのべた。 ああ、でも、お前ズボンにシミがついてるんだぜ? 俺は見なかった事にした。

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