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第10話 闇痴漢冤罪
「え?」
放課後。
寮に戻ると、俺の部屋の前に佐伯が立っていた。普通にビビるし、こんなの嫌な予感しかしない。
「おかえり、塩谷くん」
戸惑う俺を見て、眉毛を下げて笑う、優男。
ーー佐伯 影 。
影と書いてヨウと読む。暗そうな名前とは裏腹なさわやか体育会系男子。元バレー部。中島くんの先輩。
1年前に失くしたはずの体操服を、見知らぬ学生から返されたことがあったが、その見知らぬ学生がこの男、佐伯影。
俺と彼は、先日、食堂にて再会を果たした。
思えば、あの日。佐伯から体操服を返されたあの日から、俺の学園生活は多忙を極めている。
さて、どうするか。答えは簡単だ。俺は回れ右をして駆け出した。というのに、10メートルも走らないうちに捕まった。彼は足が速かった、忘れていた。
「ごめん、塩谷くん、変なことをするつもりはないから!」
「だったら、離してください!!」
と言うと、すぐに掴んだ手を離してくれた。ので、俺はまた逃走を試みたが、今度は、1メートルも動かないうちに、捕まって、廊下の隅に追いやられた。気付いた時には背中に壁、正面に佐伯。血管の浮き出た両手で綺麗な壁ドンをされていた。サマになるけど、こわいだけだ。
「ど、どいてください」
「どうして逃げるの?」
「俺に……俺に壁ドンするような奴からは、逃げるようDNAに刻まれてるからだよ!」
「大丈夫。安心して、俺はあいつとは違うから」
あいつってどいつのことだ。
ふと、頭によぎったのは、赤い頭の不良か、イケメンの変態か、頭の良い変態か、それとも、俺を視聴覚室に連れ込んだあの男か……。少しだけ、こいつの話を聞きたくなってしまった。
「…………何しにきたんですか?」
「謝りに来たんだ、日生のこと、あと」
やっぱり。
一件落着したと思ったのに、またか。ここでまた何か起こるのか?こいつら、グルだったのか?じゃあやっぱ、逃げないとじゃん。いっそ、大声出して。
「なにもかも全部話すから!ごめんね、塩谷くん、ごめんなさい。俺……、君の親衛隊隊長なんだ。正確には、だった。あ、いわゆるファンクラブみたいなもんだよ。もちろん、公認ではないけど……!」
「…………………………………………そ……………………れは、そうでしょうね?」
親衛隊?ファンクラブ?
なに言ってんだ、このタレ眉毛。目の前の男以上に、俺の眉毛は垂れ下がり、ひどく間抜けな顔をしてるとおもう。いやいやだって、親衛隊?ファンクラブ?何じゃそりゃあ。
「そんな大きなモンじゃないよ。俺と、日生と、あと如月で作ったんだ。隊員もその2人だけ」
「は?え?如月?如月って」
「如月シモン。映画部の、通称監督」
「ま、じかよ」
驚きのあまり、それ以外のツッコミが思いつかなかった。だって監督だぞ?はぁぁあ!?じゃあ何か、あの映画も、セーラー服も、全部あいつの差し金で……なんだか寒気がしてきた。
「如月は、塩谷くんのシルエットフェチで」
「ひい!!!」
「日生は身体フェチ」
「あああ!!!」
「俺は」
「言わなくていい!!!」
「で、あの体操服は」
「盗んだのか?俺の」
「違うよ!1年前、盗んだのは、別のヤツで、俺はそいつから取り返したんだ……けど、返したくなくて」
「返せや!」
その、盗んだ別のヤツが本当に存在するかどうかわかんないけど、ずっと持ってたんなら、同罪じゃね?お前に盗まれたと言っても過言じゃなくね?……逃げねば。とにかくこいつとはふたりきりになってはダメだ。ヤられる。先日から様々な刺客が俺のところへ送り込まれてきているが、ラスボスがこいつだったとは。親衛隊、隊長って……。
そんなもん、認めてねーし、意味わかんねーし!!ヤられる前に、やる。山本くんが言ってたじゃないか。『殺す気でいかなきゃ』と。
俺は大きく息をすった。
「キャーーーーーーー!!!!!!痴漢よーーーーーーーーーーーー!!!!!ここに爽やかな青年の皮を被った痴漢がいるわよーーーーー!!!!!誰かーーーーーーー!!!助けてーーーーー!!!」
「えぇ!?なにそれ」
廊下中に俺の甲高い叫び声が響き渡った。
まさか、俺が叫ぶとは思わなかったのだろう。先ほどの俺以上にマヌケな顔になった佐伯は慌てて俺から離れた。
これだけ叫んだんだ、きっと、この階にいる学生全員が痴漢からか弱い女子を救う為に集合するだろう。その為に女性のような言葉遣いをした俺は頭が良い!決して、つい出ちゃったワケではない!さあ、来い!!勇敢な戦士たちよ!
「っ………」
「……………」
「……………?」
「………………………?」
「何で誰も出てこないんだ!?まさか、お前、ここにいる学生全員を殺し……なんて奴だ!!悪魔め!!」
「何もしてないけど……。うーん、みんな冗談だと思ってるんじゃないかな。あんな面白い声で叫ぶなんて……。でも、たくましくなったね、塩谷くん」
「はっ、お前らみたいな変態のおかげだ。自分の身は自分で守る。だから、俺に指一本でもふれると、今度は火事だって叫ぶから」
眼球と脳みそが繋がっている筋肉に力を入れて、色素の薄い瞳を睨みつける。
「駄目だよ。もし俺が、危ない人だったら、今君が話している間にその口を塞さいでるし、もっと危ないヤツだったら、塩谷くんの跡をつけて部屋に入り込んでいたかも。でもそんな事はしないよ。だって俺は」
「塩谷から離れろ」
佐伯の背後右側から、赤い頭の不良が。
「ハイ、現行犯ねー」
左側からは、イケメンの変態が出てきた。
「な、なんで……お前らが来ちゃうんだよ」
「呼んだだろ?」
「呼んだでしょー?」
「「俺のこと」」
江藤は佐伯の首を掴みながら、早川は佐伯の腕を抑えながら、同時に答えた。
突然現れた助っ人が、まさかこのふたりとは。呆気にとられている中、横から腕を引かれた。この手の感触は知っている。
「し、失恋眼鏡まで」
「まだ失恋してない。で、何なんだこれは」
「えーと……」
「とりあえず、場所変えない?」
提案してきたのは現行犯逮捕されている佐伯だった。
「それじゃあ、うちでどうですか?みなさん」
答えたのは、最後にやってきた頭の良い変態、成田くんだった。
「親衛隊ー!?何それ、俺も入ります!」
「脳みそがお砂糖でできているのか?仲良しクラブじゃねーんだよ、お前は自分の部屋に引っ込んでな!」
成田くんがわくわくしながら楽しそうに言ったので、ついつい厳しい言い方になってしまったが、まあ、妥当だろう。
……これでひとり減った。窮屈感は少しマシになったか。東雲センパイの部屋は学年主席の特典で俺の部屋より断然広いけど、それでも男4人がひとつの部屋に集まると、こう、何とも息苦しい。
ソファーを早川が陣取り、俺、東雲センパイ、江藤、佐伯がダイニングテーブルについている。江藤が佐伯の隣に座っているのは、とりあえず、この中で一番強そうだからだ。
息苦しいのは、人数の問題だけでもない。
このメンツ。俺の琴線大集合みたいになってるぞ。
そんな中、東雲センパイが咳払いをした。
「そもそも、なんで親衛隊なんか作ったんだ?佐伯」
「……約束したから」
約束?それは何の?誰と?まさか俺って言うじゃないだろうな。
東雲センパイと江藤が俺を見つめる。
あらぬ疑いだ。してない。してないぞ、俺は。首を横にふった。
「んなことより、コイツにナニされたんだ?」
江藤が佐伯の茶色い頭を片手で抑えつけようとした。佐伯が凶暴な江藤の手をするりと交わせたのは、江藤が本気じゃなかったからか、それとも佐伯の運動神経が良いからか。
「なにも、してない」
いつもは下げてばかりの眉毛も、今は少しだけ釣り上がってる。怒ってる。
「未遂ってことか?」
江藤に続き、東雲センパイが追い詰めるように佐伯に質問した。佐伯は首を小さくふった。
「なにも、してないし、しようとしたわけじゃない。俺はただ、話がしたかっただけだよ」
否定を続ける佐伯に訊いても無駄だとわかったのか、江藤と東雲センパイが俺を見る。仕方ねー俺が答え……。……あれ、ちょっとまて。
「なにもされてないわ。ん?いや、壁ドン!壁ドンされた!!」
「それは、塩谷くんが逃げるから……」
「いーや、お前が追いかけるからだろ!」
「その前に逃げたのは塩谷くんだよ」
「いや、まあ、確かに……でも」
「冤罪……」
ソファーの上に寝転がっている早川が言い放った。
「え、冤罪……!?でも、だって、こいつ、変な組織の隊長だって言って」
「でも、何もされてないんでしょー?早とちりじゃん。それとも何かあった方が良かったの?」
「で、でも、でもお!!!」
「でもおじゃないでしょ、何歳なのまといちゃん」
なんで早川に責められなくちゃならないんだ。カチンときた。お前は、俺の、味方だろ。
「おまえ、どっちの味方なんだよ!!俺がどんな目に遭ったか知ってるくせに!!!」
「おい、どんな目って、なんの話だ」
ここに集まっている人のなかで唯一、江藤だけは日生との件を知らない。江藤がひとり立ち上がった。説明、した方がいいよな。
「えーと、それが、江藤、実はだな、うん、そうだ、それは、つい先日のことで、えー、それで」
「知らない人はそのまま出ていってくださーい」
「ああん!?テメェが表出ろやオラァ」
俺がちゃんと説明しようとしているのに、早川が江藤を煽るもんだから、江藤のスイッチが入ってしまった。完全にオラオラモードだ。そして江藤に煽られ、早川も立ち上がり、視線を合わせる。最悪の空気。
「喧嘩するなら出ていけよ。ふたりとも」
この中で一番まともな眼鏡が、眼鏡を中指でくいっとあげながら、静かに言った。不良にもモデルにも臆する事なく切り込んで行ける。さすが学年主席眼鏡だ。やはり、初めから頼るべきは眼鏡オンリーだったか。そうだよ、早川も江藤も、前科持ちじゃん。それなのに、なにを、俺は。
斜め前に座る佐伯に視線を合わせる。
「佐伯さん、すみませんでした。佐伯さんが話したかっただけという事は分かりました。でも、いきなり部屋の前に立たれると俺だって警戒します。だって、佐伯さんは、謎の組織の隊長なんでしょ?今度から俺と話したい時は、そこの眼鏡を通してください」
「「はあ?」」
江藤と早川の声が被った。佐伯は恐ろしく真顔で、俺と東雲センパイを見比べた。
「彼は、塩谷くんの何?」
「東雲センパイは……マネージャーみたいなものです」
「………………俺は、君のマネージャーなのか?」
東雲センパイの声が震えていた。どっちだ。歓喜で震えているのか、それとも怒っているのか。前者では無さそうだな。俺、地雷踏んだ?でもこの間は、代理人になってくれるって言ってたじゃん。なんなんだ?やっぱり情緒不安定なのか!?まったく。
「に、なってくれたらうれしいーなー!」
「………………」
黙り込む東雲センパイ。口を閉ざしたのは東雲センパイだけではない。佐伯も、江藤も早川も、誰一人何も言わない。無言の時が流れていく。
今までで一番息苦しい。
「えーと……。それで、佐伯さん。今日は、特別に、俺と直接話すことを許可しますよ……」
「お前、どんだけ上からなんだよ……」
柄にもなく江藤がひいている。ひくなよ!お前は!
「だってこの人、俺の親衛隊なんだろ?じゃあ、ほら、アイドルとファン!教祖と教徒みたいなもんじゃん!俺、アイドル!教祖!」
「まといちゃんさー、ホントはまんざらでもないんでしょ?」
「はぁ!?まんざらだし!俺は、自分の身を案じてる、だけで…………。だけ、なのに、なんか、俺、からまわって……なんだよ」
疲れた。
俺はおでこから机に突っ伏した。
そりゃ疲れるよ。立て続けにいろいろあったんだし。
夜はうまくねむれないし。うまくやろうとすればするほど、駄目になっていく。
無かったことにもできない。
自分なりに頑張ってるのに。
次から次へと、俺は忙しいよ。
「大丈夫?」
「大丈夫?しおたにくん」
顔を上げると、色素の薄い瞳に覗き込まれた。誰だこいつと思って身体を引こうとしたけど、思うようには動けなかった。あ、そうだ。思い出した。オープンスクールで案内してくれてるお兄さんだ。
「熱中症かな?」
冷たくて大きな手が俺のひたいに触れる。気持ちいい。もっと欲しい。
「あの……」
気付くと俺は、お兄さんの両手に自分の顔を擦り付けていた。動物か。
「あーすいません、つい気持ちいくて」
「……動ける?保健室いこっか?」
廊下で体育座りをしていた。動けるかといえば、動けない。きっとこれが、あの立ちくらみというやつだろう。こんなにしんどいんだ。
「動かしていい?」
動かしてくれるのならそれはありがたい。俺はこくりと頷いた。
お兄さんは、俺を抱っこして歩き始めた。15歳にもなって、だっこされるとは。案外楽しいものだな。こう、アトラクション感覚ってやつだ。俺はお兄さんにしがみついた。
「……かわいいね」
「……よく言われます」
嘘だ。かわいいなんて言われたこと一度もない。いや、赤ん坊の頃は何度も言われていたかもしれない。でも、俺が自我を持ち始めてからは聞かなくなった。よく言われるのは、小賢しいとか小生意気とか小憎たらしいとか。あれ?ひどくない?
「かわいい子は、気をつけないと」
「そうっすねぇ。気をつけます」
「心配だなぁ」
かわいい子は気をつけないと、か。けど俺はかわいくないので気をつける必要はナッシング。連れてきてもらった保健室は、中学の保健室みたいに変な匂いはしなかった。真っ白いベッドが4つ。そのうち、左端は誰かがつかっているようで、カーテンが閉められていた。俺は右端のふかふかなベッドに降ろされた。ふかふか。あ、この学校、良いかも。
俺を降ろすと、すぐに帰ろうとしたお兄さんをとっさに捕まえて、
「ありがとうございます」
といった。お兄さんは、こまったように笑って、カーテンをしめて出ていった。かと思えば、その手にスポーツドリンクを持ってまたここにやってきた。
「いっぱいのんで」
「これはこれは、かたじけない」
寝ながら飲んだため、結構な量を枕にこぼしたが、気に留めるほどのことでもないなと思った。俺のベッドじゃないし。お兄さんが、俺のひたいを触る。そのまま頬を撫でていって、唇についた液体を拭い取る。
「……かわいい」
「うーん、本当は言われないんだけどな、かわいいなんて。……お兄さんは、もしかして、危ないひと?」
さっきの手つきが、そしてかわいいが、俺に妙な不安を抱かせた。いぐさが、弟が、言ってた。あぶねーやつばっかいるぞって。んなわけねーだろとおもってたけど、彼はもしかしたら。
「ははは、あぶないなんて、そんな、ははは」
笑っていたけど、明らかにショックを受けていた。とても真面目で兄貴肌なんだと思う。じゃなきゃ、オープンスクールで案内係なんかしないし、ここまで運んできてくれたりしない。あ、でもこういう良い人に、限ってよくニュース番組とかで同級生に『信じられません、まさかあんなことをするなんて……とても良い子だったので』とか言われてるのよく見る……。
「俺は信じるよ、お兄さんはあんなことはしないって」
「あんなこと……?ありがとう……ちょっとよくわからないけど。家族の方に連絡して迎えに来てもらうようにするよ。とりあえず、先生に報告しなきゃ」
お兄さんは、カーテンの外へと出て行った。かと思ったら再びカーテンが開いた。だけど、入って来たのは、全く知らない学生だった。ポカンとしている。
「ふつーじゃん」
「ふつうですけど!?」
なんだ、この男。堂々と不法侵入してきたあげく人を見て普通じゃんって!俺の方がポカンとしたいわ。
「なーんだ。かわいいって聞こえたからどんなエロカワな子がアイツ誘惑してるのかと思ったら、ちょーザンネン」
「ちょー残念なのはお前だ!それでマジでかわい子ちゃんが横たわってたら何する気だった変質者め!」
「なにって、可愛がってあげよーとおもって。でも、ま、いっか。普通でも」
「おいおいおいおい、なに人の上にのってんだよ」
変質者が俺の上に跨る。なんのつもりだ。期待外れだったから殴る?とか?やばくない?俺は両腕で顔を覆った。頭はガード。身体は布団が守ってくれ。
「乱暴はやめてくれ。こちとら病人なんだぞ。おかーさんに言うぞ」
「ふっ。かわいーねー」
「はっ!?」
「おかーさんに言われるとこわいし、今日は許してあげるよ」
いそいそと、変質者がベッドの上から降りた。
「はあ!?なんだよお前」
「……したかったの?」
「喧嘩なんかする気ねーよ!殴るのも殴られるのもヤダし!ほらほらさっさと出てけ。顔覚えたからな。先生にはチクってやる。この夏休みは反省文でも書いて過ごしな」
「ざーんねーんでーした!俺はここの生徒じゃないんでネ」
綺麗な指でつくられたピースサイン。それがそのまま俺の目めがけて、近づいてきたものだから俺はぎゅっと目を瞑った。
「目潰しはねーだろ!このや………あれ?」
俺の手が空を切る。そこに指もなければ、人も居なかった。え?なに。幻影?妄想?え、幽霊……?上に乗られた時重かったし、居たよな、男。変質者の行方を確かめようと思い、ベッドから降りようとした。しかし足が思うように動かない。立ちくらみなんかじゃなくて、もしかして金縛り?あいつが幽霊ならば、追わない方が良いだろう。
「あれ、起きようとした?」
俺の鞄を持ったお兄さんがカーテンをくぐり帰ってきた。
「したんですけど、金縛りにあって動けなかったんです」
「金縛り?」
「この保健室で、欲求不満で自殺した顔の良い学生の噂とかないですか?」
「……ないね。もしかして、誰か、来た?」
「……いいや」
ならば、あれは、夢だったのだろう。本気でそうは思わないがそうしたほうが楽だ。
「大丈夫?お母さんが迎えにくるって。あと1時間ぐらい。俺、ここに居てもいい?」
「いいですけど、逆にいいんですか?ここに居ても」
「いいよ。案内役はいっぱいいるし。心配だからここに居たいんだ。体調もだけど、ほら、危ない人が来たら、危ないでしょ?」
「ありがとうございます」
危ない人?なんて、聞いて悪かったなぁと反省した。あの時感じた妙な不安は勘違いだ。恥ずかしい。こんなにいい人が、危ない人なわけがない。あ、でもやっぱそういう人に限って。
「寝てていいよ」
ふっと、笑いかけられた。
それはないか。
ふんわりと大きな手がひたいと目を覆う。手は冷たさを失って、生暖かくなっていたが、これはこれで気持ちいい。ホットアイマスクみたいだ。
「俺が守ってあげるね」
「じゃあ、よろしくおねがいします」
「……おやすみ、しおたにくん」
しおや、なんだけどな。
目を開ける。
いつの間にか、ベッドの上にころがっていた。目に入って来たのは、参考書がギッシリと詰まった本棚。俺、あの状況で寝たんだ。どんだけ疲れてたんだよ。まだ日差しが差し込む前らしい。暗い。
ベッドから抜け出し、そーっと扉をあける。机に突っ伏してるのは、佐伯と、東雲センパイ。ソファーに江藤と早川。全員爆睡している。マジでどういう状況だよ。薬でも盛られた?起こしてやるか?いーや寝かせて置いてやろう。思い出したことがある。佐伯との出会いだ。佐伯が何者かわかった。それでもういいじゃん。それと、きっとあの幽霊の正体は。
音を鳴らさないよう、泥棒みたいにつま先で歩く。途中で鞄を回収した。扉を開ける音も細心の注意を払った。思いの外、簡単に東雲センパイの部屋から抜け出すことが出来た。
非常用蛍光だけが足元で小さく光る廊下をまっすぐ歩く。
「置いてかないでよ、まといちゃん」
「でたな、幽霊」
背後に立っていたのは、保健室で出会った男の幽霊だった。軽い足取りでこちらにやってくる。
「……幽霊?なんのこと?」
「中学生の時オープンキャンパスで、会っただろ?保健室で」
「……覚えてないんだけど」
「え、あ、そう」
覚えてるんだと思っていた。なんか、ちょっとショック……………。ショック?何故俺がショックを受けないといけない。つーか俺も忘れてたし。つーか、思い出したところで何なんだって話だし。ああ、もうめんどくせえ。
「口説いてるの?」
「口説いてねーよ。つーか、ついてくんな。離れろ変質者」
「うそうそ覚えてるよ」
「へ、覚えてるのか?」
「あー、ごめん、ウソ、覚えてない」
「覚えてないのか……」
「……まといちゃん、マジで」
早川が立ち止まった。俺は振り返らない。変質者は巣に帰れ。俺は帰ってシャワー浴びて寝なおす。
「かわいすぎじゃね?」
「普通なんだろ、俺は。こっち来んな。俺は疲れてるんだ」
再びスキップで近づいてくる早川を突き放そうと、俺は競歩スタイルで歩く。
「まといちゃんも大変だよねー、厄介なヤツらに気に入られて」
「筆頭のお前に言われたくねーよ」
「ねえ、まといちゃん、良い提案があるんだけど」
なんでスキップしてる人間に、競歩の俺が追い越されるんだよ。目の前に立ちはだかった悪霊が、俺の顎を掴む。
「今夜、俺とひとつになるのはどうかな」
「ああ、そうだな。それも、ひとつの手かもな!」
「本気なんだけど」
「前みたいに、ふつーに過ごしたいと思う、俺が間違ってるのかな。争うからもっと大変になるのか?」
「じゃあさこのまま一線超えちゃおっか」
「…………お前と」
一線どころで済めばいいけど。
いっそ抗うことをやめてみる。
早川の息が唇にかかるのを目を閉じて感じている。
キスぐらい、別に。……別に。……べつに…………。
「早くしろよ!」
「まといちゃんからシテヨ」
「はっ、俺からするわけっ、ン」
してよと言っておきながら、不意打ちでかぶりつかれた。さっきまで唇にかかっていた早川の息も、舌も、もう、全部俺の口の中だ。なんでこんなに早川の唇は柔らかいんだ。ムカつくほどキスが上手い。立つのもやっとだ。廊下で何やってんだ。
「ん、はや…ちょ、ま」
早川の手が俺の尻を撫で回す。身体を抱き寄せられて、2人でそのまま廊下に倒れた。まさか、ここでヤるわけ…!?やっぱり、無理だ、こんな場所で、早川と、やるなんて。俺、なんて事を。
「まって、早川っ、お願い」
「声抑えて、人来るよ?あ、見られる方が良いの?はは淫乱だね、まといちゃん、そういうのも好き」
「やだ、はやかわぁ」
気持ちが良いことは気持ちが良い。だってそういう風にできてるんだから。キスをされながら制服の上から、ごそごそと色んなところを触られる。
「塩谷くんに、何やってるの?」
非常用蛍光に照らされた足元。顔までは、暗くてよく見えないけど、それだけそいつの背が高いって事だ。声で、もうだれがそこにいるのかわかったけど。
「…………言っておくけど、合意だから」
「いやいや、ごうっ、ごういっ、だったようななかったような……ととととにかくこんな」
「付き合ってるの?塩谷くん」
佐伯が、しゃがんで、早川に押し倒されている俺の顔を覗き込む。身体中の血が顔に集まる。
「告白はした。それで、合意だって言ってんだから、そーゆーことじゃん?」
「えっ、いや俺は、そこまで考えてな……」
「好きなの?こいつのこと」
「いや、ちが、すきとか……これは、俺、俺」
「もーはっきりしてよまといちゃん!じゃなきゃ、俺、こいつにしょっぴかれて退学に追い込まれちゃうよ。日生みたいにさあ」
早川が退学……!?それは嫌だ。嫌だけど、どうしよう。なんて答えるのがこの場を上手く収められる?もう。俺、本当に、わからないんだ。いつも選択を間違える。
オープンキャンパスに行ったこと。佐伯から体操服を返されたこと。早川の頬を殴ったこと。映画に出たこと。日生についていったこと。
一生のお願いだ。
ぜんぶ、ぜんぶ、無かったことにしてくれ。
「俺も言っておくけど。ヒカルが、塩谷くんに近付いたのは、俺への嫌がらせだよ」
「……は」
ヒカルって、早川ヒカルのことか?ここにいる。
俺に近付いたのは、佐伯への嫌がらせ?てなんだ。
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