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第801話 事なかれ主義の多忙なる芸能生活1

注意書き R18表現があります。 現実に存在する個人・団体とは一切関係はありません。 *** 『高校は共学だったんですよね!ぶっちゃけモテモテだったでしょう?』 司会進行のお笑い芸人が関西訛りで隣の男に質問する。 『いやー……モテモテでした!』 お世辞でもカッコイイとは思えない、フツーの容姿をした男が答えると、観覧客とADの笑い声がスタジオに響いた。 『笑います!?ゲストなんですけど、俺!!』 それでまた、スタジオは大爆笑。俺の共感性羞恥が爆発しそうになる。 『本当のところはどうだったんですか?』 若手の人気女優がど真面目に聞いてきた。 『1人、いい感じの女の子がいたんですけど、連絡取れなくなっちゃいましたねー』 『えーーー!!それ言っていいんですかー!!めっちゃ気になるーーー!!!!』 『という事で、11月30日公開の映画赤い花火、みてねー』 「着きましたよ」 「え、もう?」 動画を止める。ケータイをポッケにしまって、車を出る。運転をしてくれていたマネージャーの野江(のえ)くん(26歳)が俺の鞄を持とうとしてくれたので奪い返す。 「さっき的居(まとい)さんが車の中で観てた番組、評判がすごい良かったみたいですよ。Dがまた呼びたいってすぐ電話くれました。ということでクリスマスの特番に呼ばれましたー!イェーイ!」 ハイタッチを無視する。その報告はそんなテンションでは受け入れられない。 「あの番組、苦手なんだけどな…。つかバラエティ出たく無いんだけど……あんまプライベート切り売りしたくないし」 「そんな事言わないでー、切り売っていきましょーよ。まあ、謎めいてるからこそ、視聴率が上がるってのもアリますけど……つか女の子好きだったんですね。社長から的居さんはアッチ系ってきいたんですけど」 俺は、親指をおっ立てる野江くんを壁に追い詰めて手で口を塞いだ。 「ばか!だれかがきいてたらどうすんだよ!」 深夜2時。ここが人気のない駐車場で良かった。危うくネットニュースは『的居あおゲイ疑惑!』で持ちきりになるところだった。 「カマかけたんですけど、マジだったんですね……!」 「カマかけてんじゃねぇよクビにすんぞ」 「とか言ってクビにしないくせに!いやー俺、ちょっと感動!やっとひとつ的居さんの真実を知れた……!過去のコトきいても、いつもテキトーでころころ変わるんだもん」 一応設定はある。けど、すぐ忘れる。 地元、よりちょっと遠い共学の高校に通い、一人だけいい感じの子が居たけど、その子とは疎遠に。そんなほろ苦い可愛らしい過去を生きていた。 設定だ。 的居アオは全寮制男子校なんてかよってないし、男と付き合ったこともない。 野江くんと二人でエレベーターに乗り込み、本日最後の仕事現場へ向かう。雑誌の取材。俺が行ってみたいと言った、最近できた映画館で行われる。営業時間終了後だし、映画は観られないけど、映画館の空気を吸えるのはいいな。 「公表すればいいのに。金になりますよ。あ、でも男もいけるって公言してるどっかの俳優とキャラかぶっちゃいますね」 「そーそー、つか、違うけどな」 「えー!嘘なんすか?ホント的居さん意味わかんないス」 男がイける、なんて言ってみろ。権力おばけの餌食にされる。そういう業界なんだって。 エレベーターが目的の階に到着して、フロアに一歩踏み出す。 「……ケツ何時だっけ?」 「あ、えっと、4時です。で、明日はスタジオベータに9時入りですね。ちゃんと寝てくださいよ。今日1時間しか寝てないでしょ」 そう言って目の下を指さされる。そんなに目立つかな、クマ。 「意味わかんないって言う割にはよく気がつくよな、お母さんみたいに」 「ありがとうございまーす」 「褒めてないんだけど」 「それじゃあチャチャッと仕事して、いっぱい寝ましょう!」 いっぱいって言っても、3時間だけど。それでも寝られるなら贅沢な方か。 より良い睡眠を確保する為に、俺はケータイを取り出して、『鍵開けといて』とメールを送った。 「ただいま」 返事がないのは当たり前か。早朝5時だ。 高級なマンションの3LDK。一人暮らしでそんなに部屋要らなくないか?と思うけど、こうやってここに通いはじめてからはとても助かっている。 この部屋の持ち主が、風呂場からパンツ一枚で出てきた。テーブルに置いていた眼鏡をかける、眼鏡。 「うわあ!!!来てたのか」 「え?見えてなかったの?つか行くってメールしたじゃん」 「見てない」 「うそだろ、じゃなきゃあ、神経質のお前が家の鍵開けっぱなしにするかよ」 「最近俺の家を便利なホテルがわりに使う奴がいるからな」 「優しいのね、メガネくん」 野江くんが選んでくれたオシャレな私服を脱ぎ捨てて、俺専用のソファーベッドに転がり込む。体力の限界だ。アラームセットしなきゃ。めんどくせえ。 「しののん、2時間後に起こして」 「これから仕事だから無理だ。野江さんにメール入れておく。鍵はポストの中に入れて置いてくれ」 「はい、おやすみ、あ、服出しといて」 「俺はマネージャーじゃないんだが」 とか言って、用意してくれなかったことは一度もない。 *** 「むっちゃ眠いっす。やばいっす」 「死にたくないから俺が運転するわキー貸して。寝てていーから」 俺のせいで野江くんまでもが睡眠不足なのがかわいそうだなぁ。しかも送り迎えをしてくるから、俺より絶対睡眠時間少ないハズ。野江くんを後部座席に乗せて、俺は運転席に。エンジンをかける。 「あ、的居さん、今日のドッキリなんですけど、楽屋にカメラあるから鼻ほじったりしないで下さいね」 「へーい。内容は?」 「言えないですよ。自然な反応欲しいんで」 「俳優だぞ?自然なリアクションとってやるから言えよ」 「無理っすよー。ドッキリあるってことも伝えちゃダメなんですからね、ちょっともうマジ眠いんで、寝かせてもらいます。マネ寝かせてくれるの的居さんぐらいですわ、マジ感謝。おやすみなさい」 寝ぼけ眼のマネージャーを彼の自宅前でおろして、スタジオに向かった。今日も一日同行予定だったが、ドッキリの仕返しだ。何が何だか分かっていない野江くんを残して走り去るのは楽しかった。 ……過酷すぎてやめてくマネージャーが多い中、よく頑張ってると思うんだ。だから、眠たいのは俺ひとりで良い。 8時45分。楽屋に入る。 旅番組の打ち合わせとコメント撮りという名目で呼ばれたけど、本当はドッキリ。 1件だけ、野江くんに今日はしっかり寝るんだぜという内容のメールを入れると、鞄から、文庫本を取り出して読む。フリをして、神経を尖らせる。さあ、仕事だ。 コーヒーが、クソまずいっていうレベルのものだったら良いなぁ。前しかけられたドッキリはソレだった。でも、どうせドッキリさせられるなら、嬉しいコトがいい。海外行けるとか。あー、それいいーな。突然目隠しされて、飛行機にのせられて。そしたら移動時間寝れるな。ヨーロッパとかならいっぱい寝れる。なんか海の見える部屋とかに泊まって寝たいな。ねみい……ねむ…… ……… 「ヤッベ!!!」 寝かけた。 本を閉じて、楽屋内にある洗面台の前に立つ。ドッキリ待機中とはいえ、仕事中だぞ。起きろ、俺。生ぬるい水で顔を洗う。 顔を上げて、備え付けの紙タオルで顔を拭く。鏡越しに人が見えた。 時間と空間が歪む。 なにこれ。 現実? ドッキリ? ……そうだ、ドッキリ。仕事中たぞ、俺。 「え…あ…は、はじめまして、的居あおです。すみません、びっくり、しちゃって。あの、俺、楽屋間違えましたかね、すみません」 「あ、えー、俺が間違えた、カモ、あ、早川ヒカルデス。……ハジメマシテ」 「えっと、俺、確認してきますね!」 「おめでとうございまーーーーーーす!!お二人には、年始のスペシャルドラマの主役を演じていただきたいと思います!!」 テッテレー! 今、局で一押しの、アナウンサーがロッカーの中から飛び出して来た。 「へ?え?……えっ?えええええ!?マジで?え?」 自分が演じてるのか心から驚いてるのか分からない。は?今俺なんつった?ドラマ?ふざけんな!って、言ってないよな。 「うわー!めちゃくちゃ良い反応!!!対して、早川さんの方はクールなんですけど」 「いや、本当にびっくりすると、何も言えなくなるんだと思って」 「ちょ……ちょっとぉ!俺が本当にびっくりしてないみたいじゃないですか!俺も本当に心から驚いてますからね!うわーまじびっくり!!え?主役?ふたりで?えー!楽しみ」 なわけねーだろうがと思いながらも、上部だけ取り繕う。心から驚いてるのだけは、本心だ。驚きすぎて、吐くかと思った。 「いやー、今をときめくお二人がまさかはじめましてだったなんて」 「そうそう、早川さんに共演NG出されちゃってたんで」 「いやいや、的居サンが共演NG出してたんですよ」 「そんなそんなー!もー相性バッチリじゃないですかー!!」 あははは。 あははははは。 アナウンサーの笑い声がどこまでも響いていく。 はやく、カットのサインを。 一刻も早くここから立ち去りたい。 「ハーイ、オッケーでーす。Cスタ移動します。早川さん、的居さん、めちゃくちゃ面白かったです!!最高です!!マジでびっくりしてましたねー」 ディレクターが、台本を持って楽屋に入ってきた。この番組の、ではなく、スペシャルドラマの台本っぽい。おいまて、誰もその話受けるなんていってねーだろうが。 「こういう、発表のされ方初めてなんで、一生忘れられなくなりましたよ」 覚えていろよ、という意味だ。ディレクターから台本を受け取りながら言った。 「このあと、30分後からCスタで本読み風景の撮影入りますんで、チェックお願いします」 「はーい」 早川ヒカルが気の抜けた返事をする。部屋に、何人かスタッフが入ってきた。 ディレクターの横に立った男に、既視感を覚える。 なんだかとても懐かしいような。 「作家の南雲あきらさんにも立ち会って貰うから。今回はなんと、先生の脚本です!実はね、このドッキリ規格も先生発案で!恨むなら先生を恨んで……って恨むことひとつもないか!あ、これカメラ回しとけばよかったー!Cスタでやろ、おいAD今のやれよ」 「南雲、あきら?」 「久しぶり、的居くん。背、ちょっと伸びた?」 南雲あきらって、アレだろ。高校の時、同室だった、寮内ニート。黒髪で、顔が隠れてて、オドオドしてて。だけどこの人は金髪だし、オドオドしてないし。同姓同名?でも、『久しぶり』って……。ここまで変わるか!?髪は染めればいいけど性格は……変わるのか……10年も経てば。なんか、胃が、いてぇ。 「身長は、ちょっと、伸びたけど、お前は変わりすぎだろ……」 「元からだよ」 「え?」 にこっと笑う南雲あきら。元からって、俺お前のそんな顔初めて見たぞ。 「え!?何?先生と的居さん、知り合いなの!?何だーはやく言ってくださいよお!」 「そうそう!!高校の時に、学校は違ったけど、配達のバイトしてた南雲くん…さんと、知り合って!学校は違うんですけどね」 チラッと南雲を見ると、俺の作り上げた設定を指摘することなくニコニコしていた。 「久しぶり、早川くん」 「久しぶり、南雲…センセ」 「えっ、早川さんも先生と知り合い!?え、ヤバイヤバイ、なんだよこれ、逆ドッキリかよー!!」 ディレクターが手を叩きながら爆笑してる。おもちゃかよ!少し黙れ! 「的居さん、仲良くやっていきましょーね」 「え、ええ」 差し出された早川の手を握る。10年ぶりの感触。 10年前、早川と別れて、無かったことにした過去が蘇る。 ささいなことだった。 偶然が重なってデビューして、人生が変わって、ファンも出来て、慣れないことばかりで、頑張って、眠れなくて、ストレス溜めて、そんな時に早川に「芸能界なんて向いてないからやめなよ」なんて言われて、切れて、出て行って、そのまま10年。 10年、なんで一個も連絡よこさず、どのツラ下げて仲良くやっていきましょーね? ふざけん 「はっ、今何時?野江くん?野江くーん」 ドッキリの後。ゲボを吐きながら(比喩ではない)読み合わせをしたので時間が押し、遅刻はしなかったもののギリギリ次の現場に到着しそこでもゲボを吐き、その次も。頭下げながらようやく終わって帰るタクシーの中で仕上げのゲボを吐いて酔っ払い扱いされて降ろされて、朦朧とする意識の中で、結局野江くんに電話して助けを求めた。 車で迎えにきてもらって、自宅まで送ってくれた。 もう帰ったのかな。 ちょっと顔の向きを変えると、時計が目に入る。 深夜3時。良かった。今日はたしか13時入りだ。 ようやく眠れる。 なんとか乗り切ったぞ。だれか、俺を褒めてくれ。 どろどろになるまで頑張ったんだ。 『偉かったね、まといちゃん』 そう言うのならご褒美をくれ。 『何が良いの?』 分からない。 とにかくどこか。 『海?』 西の、ほうに。 『いいね』 笑い声が聞こえた。 吐きそう。 朝10時。目覚めは最悪だ。夢ばっかり見た。寝た気がしない。何度も起きたし。とりあえず、1年前くらい前に病院でもらった吐き気止めを飲む。 シャワーを浴びて、目を閉じると思い出す。なんであんな夢。そりゃ、10年ぶりに会えば夢にでも出てくるか。 風呂から上がると、ケータイで今日のスケジュールを確認した。 13時入り、20時終わり。移動30分。……移動!!その文字を見て、昨日スタジオに置いてきた車のことを思い出した。ヤベー!昨日は当然運転できる気しなくて、タクシー移動しまくった。いつもなら借りたらちゃんと野江くんの家に返しに行くのに。 ……ん? 野江くん、どの車で俺を迎えに来てくれたんだ?野江くんの車はスタジオに置きっ放しだし。タクシー?いやでも、野江くんが運転してたような。記憶が混濁してる。あーもう、過去のことはもういい、とにかく、今すぐ野江くんに電話して、車の場所告げて、迎えはいいからタクシーで行くって伝え…… ケータイ画面を動かす指が止まった。 「ん!?」 通話履歴の一番上から3番目まであり得ない名前で埋まっていたから。 どういうことだ? なんで、『早川ヒカル』? このケータイに入っているはずのない連絡先に、なんで俺は電話してるんだ!? 11時43分。0時16分。0時18分。三回、早川に、俺から電話をかけている。 思い出せ思い出せ。 11時って仕事中だろ……ゲボ吐きながら読み合わせしてた時。 連絡先交換の話になって、そうだ、仕方なく、仕方なく、登録した。断われるような雰囲気は無かったし、気分が悪くて、言われるがまま。 0時の、やつは…………。 野江くんだよな。 車で、迎えにきてくれたの。 ベッドまで連れてきてくれたの。 「野江くんだよな!?」 「いいえ、ちがいますよ。さっきから言ってるじゃないですか。迎えに行ってませんよ。的居さんがお休みくれたんですよ?なんか、あったんすか?つかありましたよね?」 「なんもない!!なんもなかった!!!うん」 現場で会った野江くんに再度確認する。電話で何度も確認したが、もしかしたら電波のせいで聞き間違えたかもしれないと思ったから。 「本当に何もなかったんですか?的居さん、顔色悪いですよ」 「何もなかった。なかった。なかった。なかった。絶対。あったら死ぬ」 「マジで大丈夫ですか……あ、ドッキリどうでした!?早川ヒカルとダブル主演、驚きました?」 「それについては野江くん。俺、アイツとだけは、死んでも、絶対、共演しないって、言ったよな?どういうこと?ねえ、野江くん?」 野江くんの両ほっぺたをつまむ。もちろん、優しくではあるが。答えようによってはどうなるかわからない。 「ギャラが良いんすよ。っていうのは、社長を説き伏せた時に使った言い訳で。脚本読んだんですけど、的居さんのために書かれた本じゃないかってぐらい、主人公が合ってるんですよ。早川ヒカルがかっこよすぎて一緒の画面に収まりたくないって気持ちもわかりますけど、それでこの話逃すと、損しかないです。もし、ほかの役者にこの役とられたら、的居さんのこの業界におけるポジションまでとられるって思ったんです。この話は、的居さんのために絶対受けたいと思いました」 「ぐう」 言い返したくても、言い返せない。野江くんの言いたいことがすごくよくわかるから。早川に対してのNGのために逃がす話じゃない。本読みした時も、ぶっちゃけ俺のために書いたのかと思った。高校時代の同室者が脚本書いてるだけに、余計そう思ってしまう。 でも俺がなんのため早川ヒカルに共演NGを出していたのか思い出せ。 NGにして10年。 10年経って、未だ俺は。 「言っておきますけど俺はもう何となく察してるんで」 「……なにを」 「何をって、つまり元カヘいひゃいいひゃい!まままといひゃん!」 「マネージャーさんいじめちゃダメでしょ」 グラサン、マスク、帽子の、男が俺の肩をそっとたたく。声で誰だか分かってしまった。さっと野江くんの隣に並ぶと、男がグラサンをとって胸ポッケに収め、マスクをずらす。局内でそんな怪し格好してんじゃねーぞ。調子のりやがって、とは言わない。誰が見てるかわからないから。 「いじめてませんよ、コレが俺の愛情表現なんです。ネ、野江マネージャー」 「ま、まぁ、そうとも言えますね。Kプロマネージャーの野江です。早川さん、ドラマの件おめでとうございます。うちの的居をお願いします」 「野江さん、ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします。的居さんは、大丈夫でしたか?」 「…何がです?」 「昨日吐き散らかしてましたケド」 そのことは野江くんに伝えてない。余計な心配かけるし、きっと仕事をセーブしはじめる。それは周り巡って、色んな人に迷惑をかけることになる。 「ドッキリだったから!!ビックリさせられて、オコ!みたいな!ちょっとキツイ発言、吐いちゃったかなー!」 「いや、ずっとマーライオンのようにゲロ吐いてましたよ」 「え!?的居さん!?」 「そうそう、ちょっと食あたりで、吐いたけど、もう大丈夫!!」 「ありがとうございます!早川さん!この人全然、自分から教えてくれないので!それよりも、大変、失礼しました!!」 「いえ、俺は全然大丈夫なんで。的居さんのことが心配で心配で、見かけたから思わず話しかけちゃいました。時間をいただいてありがとうございました。的居さん、またいつでも、連絡くださいね」 早川は爆弾を落として行った。 「うっ」 直視できない何かをすごい勢いで押し流す水みたいに、そうやってなんでも過ぎ去っていけばいいのに。 うがいをして口をゆすぐ。 トイレから出ると、虚ろな目をした野江くんが深く長い溜息つきながら、ケータイを弄っていた。 「はあ、的居さん……ホントのコト言ってください……実は的居さん女の子で早川に」 「殴っていいか」 「冗談ですよー!!的居さん死にそうな顔してるんで!笑って!ハイ、笑顔!」 死にそうな顔してるのは俺だけじゃなかったけど。マネージャーに言われたとおり、口角を上げる。 「どう?普通?いつもと変わらない?」 「顔色と目の下のクマは化粧でなんとかなるし、まあ、なんとかイケますね。ちょっと痩せました?これ以上痩せないでくださいね、身長も伸ばさないでキープでお願いします」 「もう伸びねーよ!……さて、行くか。あ、野江くん。車ごめんね」 「いっーす、車の中でゲロされるよりマシですもん!車回収したらまた来ます。終わったら病院いきましょう、予約しておきました。ドライブスルー並みの速さで診察してもらえると思うんで」 「それはありがたい。ありがとう、野江くん。んじゃ、また」 スタジオのぶあつい扉を開ける。 中で親しげに俺に向かって手を上げる早川を見て、扉を閉めたくなった。 「ただいま」 返事はない。部屋の電気も全部消えてる。多分寝てる。 「お前、何で自分の家に帰らないんだよ」 と思ったら起きてた。 月明かりの中ソファーの上で体育座り。机の上にはワインと眼鏡と週刊誌。異様だ。 眼鏡に何があったか、思いあたる節がない事もない。 今日は、あのドラマのプレスリリースの日。 明日、夜7時からはドッキリオンエア。 つまり、2週間前から早川と交流があったのにずっと黙ってたから、落ち込んでるんだろ。 眼鏡は俺が好きだったから。でも、今でも好きなんて、そんなそぶりは見せなかったじゃん。それとも、俺が見なかった事にしたのか? 「眼鏡んちの方が、キレイだし、洗濯物はしてくれるし、ご飯もでるし、野江くんちに近いし……それに俺のこと分かってくれるし、楽だし」 「襲ったりしないから?」 そう言いながら、机の上の眼鏡を手にとってかける。 「10年でも20年でも、ずっと昔のことにウジウジしながらでも、俺のとこにいれば、一緒にくらせば、別にキスしなくてもセックスしなくても、正式なパートナーになれるって考えてたんだ、俺」 「正式なパートナーって……」 「ただ、この先もずっと一緒に居たいと思えるか思えないかってだけの話なんだ。好きか嫌いかじゃない。キスできるかできないかじゃない。俺と一緒にいられるか、居られないかで考えてくれ。居られるんなら、俺と結婚してくれ」 急すぎる、と思う自分と、妥当だろ、と思う自分。ここに至るまでの年月はちゃんとあった。 どれだけ考えたのだろうか。 どんだけ思われていたのだろうか。 「泣けるな、お前」 「健気だろ?そろそろ俺に決めろよ。頼むから」 「……考えさせて欲しい」 「考えてくれるなら、有難い」 東雲センパイは瞳を潤ませながら笑った。 布団の中で、眼鏡の言葉を、何度も何度も頭の中で繰り返した。 結婚、てなんだ?役所に婚姻届を提出……するのは男女で結婚する時のハナシで。男同士なら、パートナーシップ?それとも養子…とか。あ、事実婚?いや、眼鏡が言いたいのは、そういう、カタチの話ではなくて。 一緒に居られるか、居られないか。 その先を考えようとしても靄がかかってしまう。 考えるって言ったけど、考えたくないなぁ。 布団の中からカーテンを閉めわすれたことに気づいた。 窓から煌びやかな街の夜景がみえる。でも俺は、こんな夜景よりも、満天の星空とか森林とか海とか自然の方がみたい。そういう景色が見える窓の部屋で、ねむりてぇ。 疲れているからか、その日は久しぶりにぐっすり眠れた。 「結婚願望ですか?有りますよ。実際プロポーズしたんですが、振られちゃいました。それがトラウマになっちゃって」 早川が爽やかにインタビューを受けてる横でアイスコーヒーを、こぼす。こぼすどころじゃ無い。グラスごと落下させた。コーヒーが飛び散ったが、運良く衣装には染みていない。 「あ、え、ああ!!すみません!」 椅子からおりて砕けたガラス片を拾おうとする。 「的居さん、いいですよ!我々で綺麗にするので、少し隣の部屋で休憩してもらってもいいですか?」 「でも」 編集さんが明るく俺の手を止めさせた。 野江くんが、俺だけに見えるように隣の部屋を指差す。 「気にしないでください!セッティング終わったら呼びに行きますね!」 「本当にすみません……!お言葉に甘えて」 俺と、野江くんと、早川が隣の部屋に移動する。 「早川さん、すみません、インタビュー止めちゃって」 野江くんが早川に頭を下げる。そうだ、早川のインタビュー中だったんだ。結婚願望の。 知らなかった、俺。 早川にプロポーズするような相手がいたんだ。 だって、そりゃ、そーだ。 10年。 ただ時が流れてたってだけじゃない。 みんな、ちゃんと考えながら、前に進んできたんだ。 俺だけずっと、18歳の、塩谷まといのまま、今ここにいるんだ。 「帰りたい」 「は、はああああ!?え、どうしたんですか?気持ち悪い?救急車呼びます??」 「ちがう、帰りたい。帰りたい」 「えええ?どうしたんですか?何かあったんですか?」 「かえりてぇ」 どこに、あの頃に。 あの瞬間に。 「まといちゃん」 ハッとする。 幻聴?ちがう。 「まといちゃん、喉乾かない?」 「は?」 「喉かわいたなー。ねえ、喉乾いたよね?」 「あ!あの、俺、何か飲み物買ってきますね!!!」 「え、待って野江くん」 一瞬たりとも待たずに野江くんが部屋を出た。 早川とふたりきり。 「気が効くマネージャーだよね、ノエくん。ほんと、気が効きすぎるぐらい」 「……………勝手に使うなよ、俺のマネージャーだぞ」 「付き合ってるの?べったべたじゃん」 「付き合ってねーよ、仕事だろ」 「じゃあ誰か付き合ってる人いるの?」 「別にいないけど……そうだな、東雲センパイにプロポーズされた」 どういうつもりか俺ですら分からない。対抗心?何に対して。駆け引きをしてるのか?何のために。だってそうでもしなきゃ腹の虫が収まらない。 「……はあ。好きなの?あのメガネのこと」 「わからない。好きか嫌いかじゃなくて、一緒にいられるかいられないかで、考えて欲しいって言われた」 「ナニソレずっる。メガネもまといちゃんも」 早川が正面切って向かってくる。肩に力が入る。にらみ合ったまま、早川が俺の一歩手前で止まった。 「お前こひょ、いへい、はやああ」 両の頬っぺたを摘まれる。それはもう力強く。 やめろ、お前のように整ってなくても俳優の顔だぞ!! 「ひゃえろ!!」 「好きじゃなくてもずっと一緒にいられるっていうなら、なんで」 ノックの音で、早川の口は閉じられた。 何か言いたそうに、察しろと言わんばかりに、強く口を結ぶ。 「あのー、準備できたそうですー!」 野江くんのおずおずとした声が、扉の向こう側から聞こえてきた。 「あのお、だ、だぁいじょうぶですかあ?」 そっと扉が開けられて、野江くんが覗き込む。 早川が俺のほっぺをつねっている姿を見ると、顔面蒼白になり、駆け寄ってきた。 「は、早川さん!困ります!!それはやめてください!」 野江くんが早川の手を掴むより早く、早川が俺のほっぺを解放した。 「今夜行くね」 早川は俺の上手くセットされた頭をくしゃくしゃにして行った。俺はすぐに手櫛で整えながら早川の後ろを追う。 「的居さんのほっぺ赤くなってるじゃん、クッソ」 移動するちょっとの間に、野江くんが聞こえるように、愚痴を漏らした。 『本当のところはどうだったんですか?』 『1人、いい感じの女の子がいたんですけど、連絡取れなくなっちゃいましたねー』 『えーーー!!それ言っていいんですかー!!めっちゃ気になるーーー!!!!』 『という事で、11月30日公開の映画赤い花火みてねー!何故連絡が取れなくなったのか、衝撃の真相が!!』 『えっ!宣伝!?的居さんの話じゃなかったんですかー!!』 『いやいや、俺も、ひとりね、いい感じの』 「また観てるんですか?ソレ」 仕事終わり。野江くんが運転する帰りの車の中で、自分が出たバラエティ番組を見返す。的居あおが話す過去を定期的に確認する。 「明日ドラマの後まーたバラエティだろ?矛盾無いように予習しとかなきゃな」 「仕事熱心ですねー。…デモ、今日は突然帰りたいとか言ってまじ焦りましたよ」 「あー、ゴメンね、許して野江くん。いっぱい仕事するから。……アレ、今日俺んちでいいんだけど」 もたれかかった窓から見える景色がいつもとは違った。眼鏡んちへの道とも違う。 「……今夜行くって言ってましたね。帰ったら、あの男に何されるか分かりませんから。ホテルとりました」 「え?あ、早川?こねーだろ。あんなのオドシつーか、来てもいれねーし。ねえ、家帰ってよ。明日の台本家にあるし、着替えもないし。ホテル取ってくれたのはありがたいけど」 「イヤっす。的居さんは、あいつが来たら絶対入れるでしょ。こんなとこで、潰されないでください。早川は踏み台です。なぁなぁな関係になって、あろうことか恋愛とか、スキャンダルとか、ほんとやめてください。溜まってるんなら俺が相手しますから、早川だけはやめときましょう」 「何、言ってんだよ。俺別に、早川に潰されたりしないし、つか、お前のその言い方だと、俺に恋愛すんなって言ってるみたいだぞ、言いたいことわかるけど、でも、仕事とプライベートは別だろ」 赤信号で車が止まる。脳内にも信号があればいい。黄色信号。これ以上言い争ったら、上手くいかない。 「俺は的居さんに人生かけてるんですよ。俺だけじゃなくて、的居さんに人生かけた人が何人いるか分かってます?もう塩谷まといじゃないんです。俺にも、人生かけてください」 「あーもーちょっと黙っててくれ!俺、今いっぱいいっぱいなんだって!!」 野江くんが振り向く。 「この機会に捨ててください、過去は全部」 「いやだ!!」 こんなにも強く拒否するなんて自分でも驚いた。 あんなに捨てたいと思っていたのに。 信号が青に変わって、車が走り出す。 家に帰らなきゃ。 そう思いながらも、遠ざかっていく。何もかもが。 *** 「よりによって」 高級ホテルのロビー、ソファーに深く腰掛ける。 遠ざかったていうか一周してきたって感じだ。 「チェックイン終わりましたー。ホテルの人が的居さんに気付いて部屋をアップグレードしてくれたみたいですよ。オーシャンビュー」 「ハハ、ソウ、アリガテーナー」 二人でエレベーターに乗って、45階までひとっ飛び。45階のスイートルーム。その扉の前に立ち、野江くんからカードキーをもらう。 「明日、同行いらないから」 反抗心。ちょっとひとりになりたい。お疲れ様の言葉もなく、扉を開けて入った。 「おい!なんで野江くんまで入ってくるんだよ」 俺の後ろについてスイートルームにズカズカと入り込んできたマネージャーに通せんぼする。 「だってスイートルームですよ、俺だって泊まりたい!」 「いやいや、気を使え!明日は同行ないんだし自分の家に帰れよ!」 「えー!!ヤですよ!今から家帰ったら何時になると思ってるんですか?明日的居さんの同行無くても営業とか他の子についたりとかあるんですから、俺もここ泊まりたいですー!」 「じゃ、別の部屋とれ!ツインじゃなくてダブルだから、ここ」 「えっ、まさか的居さん、俺のこと意識してるんですか?やめてくださいよー!俳優に手は出しませんから!お願い的居さん!」 「うるせー!帰れ!」 「帰り居眠り運転しちゃうかも!もう眠くて眠くて死にそうなんです。ほんとに」 「っくそ、勝手にしろよ!」 事故なんて起こされたらたまらない。 俺は自分の鞄を放り投げて、シャワールームに向かった。 シャワールームから出た時に、着替えが無い事を思い出した。コンビニでパンツぐらい買っとけば良かった。 とりあえずバスローブを着て、ベッドルームに向かうと、ベッドでケータイをいじっていた野江君が俺に気付いて、コンビニ袋を差し出した。 「的居さん、パンツ買ってきました」 「……ありがとう」 「さて、俺もシャワー浴びて寝よー。明日も早いですからね」 気がきかないんだか、きくんだか、ききすぎちゃうのか。お前がいなけりゃ裸で寝たっていいんだけど。 でも、どうせ朝には昨日のパンツを履くことになる。だから、野江くんがいてくれて良かった……のか……? いや、そもそも、ホテルなんかに泊まらなければよかったのだ。そしたら俺は家に帰れて、そして。 多分、俺は早川を待つ。『好きじゃなくてもずっと一緒にいられるっていうなら、なんで』その言葉の続きがききたい。なんで、家を出たのか?ケンカしてムカついたから。それだけなんだよ。これだけ伝えて、後はもう、どうにでもしてくれ。もしかしたら、そうだったのかの一言で終わるかも。あるいは。 あるいは、やり直そう……なんてことねーよな。 こんなこと考えるってことは、そうなってほしいからか?ただの予感?分からない。わからないから、早川に合わなきゃ。 行かなくては。 話したい。 早川と話したい。 「大丈夫ですか?パンツ握りしめたままボーッとしちゃって」 顔をあげると上半身裸の野江くんが目に入った。咄嗟に目をそらす。別に逸らさなくても良かった。 「……シゴトのこと考えてた」 「思ったんですけど。仕事とプライベートは別だと考えていても、結局プライベートな事が仕事に影響しますよね。プライベートも、仕事にイイ事しましょうよ、的居さん」 「え?」 全く予想だにしなかった、野江くんが俺にキスしようとするなんて。ドッキリ?いや、ちがう。 触れるか、触れないか、ギリギリのところで、避けて、尻餅をつく。そんな俺を見下ろす野江くんが別人に見えた。 「ねえ的居さん、枕営業してくださいよ。一応、俺がとってくる仕事だってあるんですから」 「お、お前、俺が好きなのか、仕事が好きなのか、どっちなんだよ」 何言ってんの?お前、みたいな顔で俺を見る。俺も同じような顔してると思う。野江くんがしゃがみこむ。 「……考えたこともないですケド、それ、難しい質問ですね」 「なんかこわいよ野江くん。てか疲れてるんだって」 「俺は的居さんのが怖いです。ここまで来たのに、後もう少し頑張ればいいのに、ある日突然、無かったことにして、どこか、遠くの方へ行っちゃうんじゃないかって。俺の人生まで、無かった事になるんですよ」 「ならねーよ。お前の人生はお前のもんだろ?大丈夫だから」 「人生かけてるって言ったでしょう!?お願いだから、ここにいてください。帰りたいなんて言わないでください。俺には的居さんだけなんです。どうやったら、俺の言う事きいてくれます?どうしたら、これからも一緒にやっていけるんですか?どうしたら、ずっとココにいてくれるんですか?どうしたら……俺、結構頑張ってるんですけど……」 野江くんの瞳からポロッと涙がこぼれ落ちた。 俺がいっぱいいっぱいになってる間に、こいつもいっぱいいっぱいになってしまっていたんだ。 俺のパンツを握り締める手に縋り付く野江くん。 「よし!野江くん、おいで。寝よう」 俺は野江くんの手を払って、立ち上がり、ひとりベッドの中に入った。キングサイズの端の端の方に陣取る。 「寝て、起きたら、朝になる。んで、また朝話し合おう」 「こんな状態で眠れるわけ無い、です」 「うん、でも、赤信号を突っ走るのは良くないから」 野江くんは、言うことを聞いてくれて、反対の端の端に横になった。 後悔が先に立つこともある。 10年前もこうしていればもっと違う未来があった、のかもしれない。 こんな大きなベッドの隅っこで寝るような未来じゃなく。 朝。久しぶりに人の腕の中で目を覚ます。 ん!? パンツも履かずバスローブのまま眠ってしまったので、着崩れて大変な状態になっている上、野江くんが背後から抱きついていた。 「野江くん、起きて」 起きる気配がない。規則正しい呼吸が耳をかすめる。眠れるわけねーつっといて、すやすやじゃねーか。野江くんの肢体を無理やり剥がし、かすかに聞こえるアラームを止めようと、ベッドを降りた。 「オハヨ」 「ヒッ」 本当にびっくりすると、何も言えなくなる。 最近、どこかで聞いた言葉だ。 リクライニングチェアーに腰かけた早川が、顎を上げて、薄ら笑ってる。キモが冷える。 「えっ、なんで、ど、どうやって」 「父親のホテルって、言わなかったっけ、ココ。こー、ちょっと、頼めば、ほら」 手に持っているのはカードキーだった。 父親のホテルって、そんなの初耳だし。 「でも、なんで場所が」 「盗聴器つけてるから。10年間ずっと」 「え!?」 「ウソだよ。俺今ここに住んでるから」 「え、マジで」 「これはマジ。まといちゃんち行ってピンポンおしても反応ないし、仕方なくココに帰ってきたら、じゅーぎょーいんがオトモダチがキテマスヨって教えてくれてサ。んで、ソコのタヌキくんに抱かれたまといちゃんを鑑賞してたワケ」 「だっ、抱かれてねーよ!!断じて!!!」 言ってから自分の格好の説得力の無さに気がつくと。後ろ手で掴んだ布を引っ張って、体を隠す。ホントは着ていたバスローブが良かったけど、掴んだのシーツだった。 早川がわざとらしくため息をついて、立ち上がった。 「確かめていーい?」 「だ、だめだ!」 「ますますアヤシー」 「やってないって!!」 「やってないなら、確かめても平気だよね」 早川が手がすっと伸びて、俺の手を握る。指を一本ずつ、シーツから外されると、俺はまた裸に逆戻り。時間の流れが遅い。なのに鼓動は速い。耳の奥で、ドキドキしている。 頬をつねられた時よりも近く、早川が俺の目の前にいる。 早川の両手が腰を撫でる。 「もしかして期待してくれてる?」 言うまでもなく、身体はそうだった。 この、突き上げてくるような、気持ちは。 「早川っァ」 早川に抱きつこうとしたら、逆方向へ倒れた。 後ろから引っ張られて、背中からベッドへダイブ。 「何してるんですか?仕事の用意は?」 野江くんが俺の顔を上から覗き込む。 ナニしてるかって?説明できるわけがない。俺はいったいなにを……!! 「じゃーまといちゃん、着替えたら一緒にでよっか。今日は一日ずっと一緒だネ」 早川が、脱ぎ散らかして居た俺の服を、俺に投げつけてきた。それに乗じて野江くんからは昨日履き損ねたパンツを投げつけられる。 「的居さん、スタジオまで送りますヨ」 「まといちゃん、俺の車にのるでしょ?」 「すいませーん、はやかわさーん。的居さんは俺とおシゴトの話をしなきゃいけないので」 「メールでしたら?その方が忘れないし良いよー」 「いやいや、本人に直接、口頭で伝えなきゃいけない内容なんで」 早川と野江くんがモメてる間に服を着て仕事に向かう準備をする。仕事。そうだ!仕事だ!! 俺は大事な事を思い出した。 「野江くん車出して!で、早川も一緒に!三人で行こう!!」 「はい?」 「いーよー」 早川だけが、にっこり頷いた。 野江くん(不機嫌)の運転する車の後部座席に乗り込み、早川の台本を借りて予習をすることが出来たおかげで、朝のドラマ撮影は順調に進んでいた。 出番がおわり、待ちの時間になったので、スタジオの、暗い所でケータイをいじっている野江くんのそばに行った。 「いやぁ、ピンチがチャンスになる事ってあるもんだなぁ」 「そーですか」 「練習相手にホンモノの役者使うって我ながら良い案だった!」 「だから、あの男とこれから毎日一緒に仕事行きたい!とか言いだすんですか?」 「言いださねーよ!つか、そんなこと、ココで言うなよ。あと、不機嫌そうに突っ立ってたら、スタッフがかわいそうだろ」 「的居さんは機嫌良いですね。あ、そっか。朝から早川に会えてハッピーみたいな?」 違うくて。仕事だから、ちゃんとしてんのに。今の野江くんには何言っても反論されそうだ。 しかしこのまま今日一日同行だとしたら、この状態はキツイだろ。俺もだけど、野江くんも。 「野江くん、帰る?」 「は………え…………かえりません、けど」 気を遣ったつもりが、とんでもなく傷つけてしまったらしい。この世の終わりみたいな顔をして、絞り出すような声で俺の提案を否定した。 「いや、ちがくて!別の仕事しても良いけどどうする?みたいな……」 「……別の仕事して欲しいんですか?」 「いや、そうじゃなくて……」 「ハッキリ言ってください!!俺はクビだって!!!」 野江くんの大きな声がスタジオに響く。脳内にひぇ〜〜と叫んだ。いっきに注目の的だ。 「の、野江くん、少し、外行こうか、ね!」 野江くんの腕を引っ張って、コソコソとスタジオを出た。 人がいない別のスタジオを見つけて、こっそり2人で入る。 「あんな大声出しちゃダメじゃん!カメラ回ってたら打ち首で馬引きずりで股裂きの刑だったぞ!」 二人きりになった途端、プッツリと糸が切れたように俺は説教をかました。 「逆に聞くけど!!クビにされたいの!?だからずっと不機嫌そうにふるまってるとか!?昨日から野江くん変じゃない!?やっぱ俺のせい!?」 俺のせいだろ。 自意識過剰じゃない。多分、野江くんは。 「よーし、言ってやる!自覚が無いなら、自覚させてやる。いいか!野江くん、キミは俺の事が好きなんだろ!そんで早川にヤキモチやいてんだろ!?」 ……やっぱ、自意識過剰かな。言い切った途端自信が無くなる。 「……いや……違います……そんなんじゃ、ない」 違った。 恥ずかしくて顔が熱くなる。 「オーケー、うん、そうだよね!あ、逆に?早川が好きなの?」 「絶対無い」 「そうだよねー」 じゃあ、なんなんだ!勢いを失ったイライラがまた募り始めた。だめだ。今日はもう終わろう。部屋から出ようとドアノブに手をかけた時。 野江くんが、背後から抱きついてきた。 「やっぱ好きなんじゃん!?」 「俺は……的居さんになりたかった」 「あっ、憧れ?憧れちゃうよねー、わかる!さ、離して!」 「俺が的居さんなら、もっと、上にいける、し、早川なんかと、スキャンダルも起こさないし。つか、どんな奴より、この有能なマネージャーを選ぶし……好きとかそんなんじゃ無い。的居さんを俺の物にしたい、だけなんですけどおー!!」 そう言われても。 抱きつかれたまますごい力で背後に引っ張られる。 踏ん張って、ドアノブを離さないように必死に両手で掴む。 「お前は、良いマネージャー、だけど、だったけど、俺はお前の物にはならない、から!!」 「そんな事言わないで下さいよぉ〜。好きになれば良いんですか?好きです愛してます」 「うるせー!引っ張んな!離せ!」 「離したら逃げますよね?で、もう一生帰ってこない。だからいまここで、仕留めないと」 「仕留めるって何!?え!?殺すの!?ちが」 口と鼻を片手で覆われて、喋るどころか息も出来なくなる。ドアノブを離せばスタジオの奥で仕留められ、離さなければココで仕留められる。結局仕留められることに変わりは無い。なら息が吸いたいと思い、ドアを開けるのを諦めて、背後へと引き摺られながら両手で呼吸器官を塞ぐ手を剥がそうとした。 「俺の言う通りにしますか?」 頷く。嘘も方便。 「これからもずっと一緒に仕事しましょうね」 大きく頷く。人命が最優先だろ。 「そうだ、早川をはやく潰さなきゃ」 さらに大きく頷いた。潰せ潰せ、どうせ俺なんかじゃあいつのキラキラは消せないんだ。 「わかってると思いますが今後恋愛はNGです」 頷く。 「俺が相手してあげてもいいですし」 首を振りかけて頷く。 「しのさん家に行くのもやめましょう」 頷く。 「俺と一緒に住みます?」 頷く。 「なら、ちゃんと部屋片付けて下さいね。あ、部屋にカメラ入れたりしてプライベート初公開もしましょう。バラエティにもバンバン出ちゃって。でもドラマもちゃんとこなして下さいね。映画もたくさんとってきますよ。基本NGはない方向で。あまりにもアレなのは俺が何とかしますけど。もっと多くの人に的居さんのこと知ってもらいましょう。好感度あげて、お偉いさんにゴマすって、時には身体もうって」 頷く。頷く頷く頷く頷く。 「じゃあ、スタジオに戻りましょう。いいですか?ココでは何も無かった」 トドメに深く頷くと、野江くんが背中から離れた。 口と鼻を覆っていた手も無くなって、やっとたくさん息が吸えた。ふらつく。前屈みになって、膝に手をついて、呼吸を整える。 死ぬかと思った。 ああ、もう。 無事にココから出たら、監督に、もうこれ以上やれないって伝えて。事務所もやめて。引退して。 貯まったお金で、どこか、外国で暮らそう。 大きな窓をあけたら、キラキラ輝く海が見える、そんな家を買って。 頭の中で描く綺麗な景色には、当然のようにイケメンが描きたされていた。 笑えてくる。 いや、笑ってる場合じゃない。 「次のバラエティも頑張りましょうね」 後ろから声をかけられて気合いを入れて、背筋を伸ばす。 そして、大きく頷く。 頑張る。 まだがんばれる。 俺は決めたんだ。

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