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リナリアを胸に抱いて2
「僕も、ですか」
「……これでもう、どこにでもいける」
母は背ばかり高く痩せぎすで、眼光の鋭い人だった。しかし振り返った母の顔にはそれまで見た中で、一番華やいだ笑みが浮かんでいた。
(この人でも、こんな顔するんだ)
長年持たされた荷物をやっと下ろし、ふと空を見上げたような、そんな晴れ晴れとした表情だ。
だがその顔が美しければ美しい程、雷は胸に小さな疼きを感じた。
「こんなところに縛られている必要は無い。あたしはあたしの好きにする」
「……」
(あたしの、好きにするか……)
それまで雷は多分、まだ心のどこかで母にも一欠片ぐらい、自分が生んだ息子への愛情を持ち合わせているだろうと、そう信じていた。
しかし今はそんな自分の最後の幼さに嫌気がさす。
(母さんの心の中心にいるのは、僕らじゃない)
そしてそれは父も同じだった。妻子であっても自分にとって役に立つか立たぬかでしか人を量ることをせぬ人だ。
再び目線を足元に落とした雷の頭に、母は目を細め手を伸ばしかけたが、しかしすっと腕を引いた。
「で、どうすんの。あんたはそれ、続けんの?」
「……それ?」
雷は顔を上げると母の隣に歩み寄る。そして古めかしい両手窓をぐっと引いて閉めた。
「『凡庸』のふり」
「……さあ?」
雷はずっと幼い頃すでに、自分はどこか周りの子供達とは違うと気がついていた。
大抵の事は何の労もなくこなすことができる。一度見聞きすれば大体の物事を捉え覚えることができるし、熟達するスピードも早い。身体の大きさは周りとあまり変わらなかったが、運動も苦もなくできた。
何かやるたび周りの大人たちは、お兄さんも素晴らしかったが君も優秀だねと褒めそやされた。
ごく幼いうちはそれでもよかったが、そのうち良いことばかりではないと気がついた。
代々一族のものが通ってきた学校は名門ゆえ、周囲もプライドばかりが高い者が多く、目立てば羨望ばかりでなく妬みも嫉みもうけた。無駄に突っかかられ、面倒で相手にしないと生意気だと疎まれる。それで雷は兄の様に常に周囲の上に立つことに血道をあげることもなく、徐々に手を抜くことを覚えたのだった。
生まれ育ったこの家は何世代にも渡りアルファ同士での婚姻を繰り返してきた。そのためか世間一般よりもアルファが生まれる確率が著しく高かった。家を継ぎ、一族を繁栄させるにはアルファ性を持つものを頭に据える。ずっと繰り返されてきたことだ。
もちろん長い歴史の中ではベータやオメガが生まれることもあっただろう。実際父の兄はベータだった。しかしそういった人間はふるいにかけられ、『いなかった』ものとして伯父の様に他家に養子に出された。
雷の両親もアルファ同士、家の繋がりで婚姻に至った。そして母は契約を履行するように男児を二人もうけた。それが兄の朔と弟の雷だった。
聡い雷は幼いながらも、我が家には普通の家庭に当たり前にある、互いに対する『情愛』というものが欠落しているとも知っていた。
(つまらない家、つまらない学校。僕だって母さんと同じだ。この場所に縛られることに、なんの喜びも意味も見出せない、誰も僕を知らない場所で、一人で生きていきたい)
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