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リナリアを胸に抱いて3

この頃の雷は中学卒業レベルの学力を身につけていたから、学校の勉強がつまらなく、休みがちになっていた。  あまり子に関心のない父は、それを優秀な兄と比べて雷が周りのレベルについていけないせいだと勝手に解釈していた。しかしそれで良かった。父に跡取りとして兄をも凌ぐ可能性があると知られては困る。それでは未来永劫、陰鬱に淀んだこの家に縛り付けられてしまうからだ。  『凡庸』でいること、それが雷にとって将来この家を出て自由を得るための戦略だった。一族のものや使用人たちも、優秀な兄とお荷物のような弟といった感じで明らかに態度が違っており冷遇されていたが、あまり他人に興味がない雷にとってはそれすらどうでもよいことだった。 「確認ですが、母さんは、父さんの事、好きでも嫌いでもないですよね?」 「そうだよ。ぎりぎり、嫌いではない。程度」  母は、雷を大人の様に扱う。普通の母親のような溢れる温かな慈愛に雷を浸すことがない代わりに、率直で嘘はつかなかった。 (僕たちの事は、愛していますか)  そう聞いてみたかったが、雷がそれを口にすることはなかった。   母はある目的の為だけに息子達に関心があると知っていたが、それを愛と呼べるのかはわからない。  上の息子は父の期待通りに育っていたから、下の息子の才能に気が付いても、表面上は『凡庸』でいることを理解してくれていた。  それはある種、罪滅ぼしなのだという。 「あんたと朔は、あたしが自由になるための、『供物』だからさ。その点では大事に思ってるよ」  母は時折、胸元に手をやる。そこには薔薇の細工が優美なアンティークのロケットがしまわれている。  肌身離さず母が身に着けているそれには、母が少女の頃から一途に愛情を捧げる相手が微笑んでいると、雷は知っている。  ふわふわとした栗色の髪に、お人形のように頼りなげな容姿の少女。アルファである母にとって唯一無二の相手は、姉妹の様に育ったオメガの従妹だった。 (母さんはやっと、あの人のところに行けるのだな)  母はかつて雷たちの父親と結婚をせねば、その従妹を別のアルファに無理やり番わせると一族総出で脅されたのだという。オメガは一度番になると、二度と他のアルファとは番ことはできない。  最愛を連れ去られ、若い頃の母はなすすべもなくなった。彼女を探し出すには自分自身力を持つしかない。母は自らの一族の願いを聞き入れ、要求を飲んだ。  将来離縁し、自由になる条件は『アルファ』の跡継ぎを産むことだった。  兄がアルファと判定を受けてから、母は本格的にこの家を離れる準備を進めるだろう。母自身の親族の手も届かぬ海外で『番』になるため、母を信じて待ち続けてくれた女性を伴って渡る。 「あんたもあたしと一緒に来るんでしょ? 来るなら来年卒業のタイミングで出ないと。幾ら凡庸なふりをしていても、バース検査受けたらもう、この家から出られなくなるわよ。あんた、アルファだろうから」 「分かってる」 (ここに居ても、どうせ僕の居場所はない)  しかし母にとってもまた、自分は不要な人間だということもわかっていた。  母には本来持ちたかった家庭が別にある。愛する番との間に子が生まれたら、それは雷にとって弟か妹にはなるが、望まれ愛を一身に受ける子と『供物』である自分とではまるで価値が違う。  母にとって『供物』であった自分を、罪滅ぼしから育ててくれはするだろう。だが真の意味で自分に愛情を注いでくれるわけではないだろう。  世界のどこにいたとして、雷を誰より一番に愛してくれる人には未だ会えていない。  兄はそれでも跡取りとして父からの期待は受けているのだから、それならば古い血の因習に囚われたこの家から自由になり、早く自立し、自分の足で人生を歩みたい。  幼い雷はただそれだけをぼんやりと願っていた。

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