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4.星をかずく
「師匠、またこんなに遅くまで起きていらっしゃるのですか?」
「テオバルド」
またか、と言いたい気持ちを抑え、アシュレイは顔を上げた。居間の丸テーブルに置いたランプが、見下ろすテオバルドの顔をこうこうと照らしている。
テオバルドが弟子入りをして、早半年。季節は肌寒い秋に移ろいつつあった。ずり落ちそうになっていた肩かけを直し、静かに問い返す。
「なんだ。また眠れなくなったのか?」
「違います」
からかわれたと気づいたらしく、テオバルドが柔らかい頬を染める。
「師匠は本当に人が悪い」
気恥ずかしさを誤魔化す調子で責められて、アシュレイは小さく肩を震わせた。いつのまにか生意気なことを言うようになったものの、所詮は子どもである。
――イーサンの冗談を真に受けて、あれこれと口を出してくるところは、かわいいと言えばかわいいが。
生活能力の低さが云々という話のことだ。まったくの嘘とまでは言わないが、あの男は話を大袈裟に盛りすぎる。
不精がたたって倒れるような生活を送った覚えはないし、気ままなひとり暮らしが性に合っていたのだ。
テオバルドを弟子に取って以降、家が小綺麗になった事実は否定しないが。本来の家主であるルカが知れば、泣いて喜ぶに違いない。
「なにをされていらっしゃったのですか?」
いまさらながら気になったのか、拗ねを引っ込ませたテオバルドが興味津々とテーブルを覗き込む。
「杖だ」
「杖。師匠の、ですか?」
「おまえのだ」
苦笑して、アシュレイはつくりかけの杖を手に取った。アシュレイの魔力をたっぷりと吸って育ったトネリコの木でつくる、テオバルドの杖。
修業を始めて日の浅いテオバルドは、簡易な杖を使っている。これはもう少し育ったら渡してやるつもりだったものだ。
「俺の……」
どこか呆然と呟いたテオバルドに、「そうだ」とひとつ頷き返す。魔法を媒介する役割を果たす杖は、魔法使いにとって大切な相棒のようなものだ。
「職人に指示書を渡す手もあるが、俺は自分でつくるようにしている。そのほうが魔力がよく馴染む」
幼いテオバルドが扱いやすい大きさになるよう丁寧に調整をかけながら、そう続ける。木を削る音が静かな夜に響いていた。
「俺もつくれますか?」
「いつかはな」
あたりまえの事実として告げて、刃を滑らせる。
「はじめのうちは俺が用意をするが、できるようになるさ」
杖を扱う職人の店にも、連れて行ってやらないといけない。王都までは少し距離があるが、たまにはいいだろう。テオバルドは森に引き籠もっているから、なおさらだ。
まじまじとつくりかけの杖を見つめるテオバルドの様子に、アシュレイはふっとほほえんだ。
この国に住む子どものほとんどは、七つになる年の夏に学校に通い始める。つまり、本来であれば、テオバルドも通うべき年なのだ。
アシュレイ自身は通わなかったが、その結果として、王立魔法学院で散々な変人扱いを受けている。通ったほうがテオバルドのためと思うのだが、不思議なほど本人に行く気がない。
――つい一昨日、改めて確認したときも、「師匠に学べば事足りますから」などとすまし顔で言っていたが。まったく、学校のなにが気に食わないのか。
弟子を取るということは、気苦労の連続である。師匠たることの大変さを、最近のアシュレイは痛感し続けていた。
「だが、まずは勉強だ。正しい知識がないと、どういった魔石を選べばいいのかもわからないだろう」
材質と埋め込む魔石の配合如何で、杖の属性は細かく変化をする。自分に合った杖を保有することは、能力を向上させるためにも重要なことであった。
日中に、このテーブルで。魔法について教えているときと同じ調子で、アシュレイは言い諭した。魔法学院でも多くを学ぶだろうが、早いうちに学んでおいて損はない。アシュレイも、師であるルカからそうやって学んできたのだ。
正しい知識は力になる。そう信じるアシュレイは、テオバルドに惜しみなく知識を与えようとしていた。魔法の成り立ち、原理。そうして、禁術についても。
――もしそこに踏み込んだら、どうなるのですか?
子どもらしい好奇心に満ちた声が問う。
まだ夏と言える時期だったころのことだ。きらめていた夜色の髪を、アシュレイははっきりと覚えている。窓から入る光に照らされた色が美しかったからだ。
魔法には踏み入ってはならない領域がある、という話をしていたのだ。魔法にも不可能はあり、不可能のままにしておくべき事象はあるのだ、と、そう。
先人によって正しく禁じられた術があるのは、そのためだ。その術を使おうなどということは、決して考えてはならない。とりわけ、人の生死に関わるものは。
もし、そこに踏み込めば。純粋な知識欲に染まった瞳を見下ろして、アシュレイは答えた。
――人ではなくなる。
テオバルドの表情が驚きに固まる。その驚きに触れることなく、アシュレイは淡々と続けた。
――対価は、それほど大きいということだ。
魔法には必ず対価が必要となる。そういうものだとアシュレイはルカに教わった。身を持って痛感もした。
――だから、おまえはこの道を開いてはならない。いいな、テオバルド。
はじめて得た弟子に「わかったな」と真摯に念を押す。良い機会だと思ったのだ。このことは、しっかりと伝えなければならないと決めていた。
――はい。
真剣な表情でテオバルドが頷く。
――はい、わかりました。師匠。
胸に了承が届いた瞬間。覚えた安堵の深さに、自分で考えていたよりもこの弟子を愛していたらしいことをアシュレイは知ったのだ。
師匠、と自分を呼ぶ声に、アシュレイは手を止めた。
「なんだ?」
「ここで見ていてもいいですか?」
早く寝ろと言いに来たのではなかったのか、と揶揄はせず、アシュレイは許可を出した。真剣な瞳をしていたからだ。
「かまわないが、見るなら座っていろ」
気が散る、と言い足して、空いている椅子を視線で示す。テオバルドがいつも使用しているものだ。
「ありがとうございます」
うれしそうに返事をしたテオバルドが椅子を動かす。こちらの手元がよく見える、けれど、邪魔になることはない位置。本当に、頭の良い子どもである。
座ったことを確認したアシュレイは、三度手を動かし始めた。その手元をじっと見つめていたテオバルドが「ありがとうございます」とひとりごちるように繰り返す。
「師匠が教えてくれることは、ぜんぶ覚えていたい。だから、がんばります」
ちら、と視線を向ける。言葉のとおり、テオバルドの星の瞳は熱心な光を灯していた。こちらの一挙手一投足も見逃すまいと言わんばかりで、穴が開いてしまいそうなほど。
ふっと小さくアシュレイは笑った。
魔法を使うことができるのかどうかは、持って生まれた素質で決まる。魔力を持たない人間は、どう転がっても魔法を使うことはできない。
けれど、魔力を高めるために必要となるものは、正しい知識だ。もちろん、経験も必要ではあるが、学ぼうという意欲がないことにはなにの意味もない。
――良い魔法使いになるかもしれないな。
夜は深く、森は暗闇に包まれている。窓を揺らす風が吹いても、テオバルドはもう怖いとは言わなかった。
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