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6.幾度目かの春のこと

「テオバルド。町に行くぞ」  月に一度、テオバルドを連れて、アシュレイはグリットンの町に行く。  日用品や食料品の調達という名目もあったが、もうひとつ。月に一度くらいは、イーサンとエレノアに息子の顔を見せるべきと考えていたからだ。  深緑のローブのフードをすっぽりと被り、アシュレイはそう宣言をした。町にいるあいだ、アシュレイは頑なにフードを外さない。町の者が「森の大魔法使いさま」と呼称する所以である。  同じようにいそいそとフードを被ろうとするテオバルドに、呆れ半分でアシュレイは声をかけた。 「前回も前々回も言った気はするが。おまえはべつにフードを被る必要はない。なんなら、町に行くときはローブを脱いでかまわないが」 「前回も前々回も言いましたが、師匠とお揃いがいいんです。俺は、師匠の弟子ですから」  堂々と胸を張られて、前回と前々回と同様、アシュレイはひとつ息を吐いた。  頑固と言えばいいのか、かわいげと言えばいいのか。判然としないものの、五年近く繰り返しているやりとりである。 「好きにしろ」 「はい!」  元気よく答えたテオバルドが、すっぽりとフードを被る。一年目の冬に拵えてやってから、成長の過程で都度調整をしているが、また少し裾が短くなっているようだった。  まだまだ小さい弟子であることに変わりはないものの、それでも随分と背が伸びた。だが、しかたのないことなのだろう。テオバルドは、この春で十二になる。  ――近いうちに、また仕立て直すとするか。  テオバルドの足元を確認したアシュレイは、頭に予定を組み込んだ。大事そうに握っている杖も、二代目のものである。  本当に、子どもというものは、想像をはるかに超えて成長する生き物だ。 「よう、テオバルド。今月も元気そうだな」 「ありがとう、ジョージさん」   王都に隣接しているものの、グリットンはそう大きな町ではない。  ほとんどの住民がテオバルドの弟子入りを承知しており、連れてくるたびに親しげに声をかけて寄こすのだ。  テオバルドが誰に対してもにこにこと応対することも、かまわれる理由のひとつであるのだろうが。テオバルドは性根が優しく、愛想も良い。  道中で生じるやりとり見守る時間を、アシュレイは存外と気に入っていた。 「なぁ、イーサン。子どもというものは、あっというまに大きくなるな」  入口から一番遠い壁際に設置された、ふたりがけの小さなテーブル。ごく自然と選ぶ習慣のついた席から、通りかかったイーサンにアシュレイは話しかけた。  食事を終えたテオバルドは、カウンターのあたりで母親や常連客と会話を弾ませている。  店にいるあいだはフードを脱ぐよう言いつけているので、年相応の無邪気な表情は、少し離れた席からでもよく見ることができた。  アシュレイは変わらず被っているが、それはきわめて個人的な問題だ。  ――だから、真似る必要などないのだがな。まったく、しかたのない。  テオバルドを眩しそうに見つめるアシュレイに、イーサンはほんの少し驚いたようだった。アシュレイの視線を追うようにして、息子たちへ目を向ける。 「そういうもんだ」  返ってきた穏やかな声に、ちらりとイーサンを見上げる。苦笑で応えたイーサンは、少し前までテオバルドが座っていた真向かいの椅子を引いた。 「そういうものなんだよ、アシュレイ」  そういうもの、か。言い聞かす調子で繰り返された台詞に、アシュレイは浅く頷き返した。  子どもという生き物は、アシュレイはテオバルドしか知らない。だが、イーサンが言うのであれば、そうなのだろうと思ったのだ。  ルカから学びきることのできなかった心の機微を根気良く諭してくれたのは、かつてのイーサンで、アシュレイにとって、イーサンはそういう存在だった。  ひときわ楽しそうなエレノアの笑い声に、視線を再び動かす。  母親と話すテオバルドの横顔は、森にふたりでいるときよりもどこか幼く、それがなんともほほえましい。そのせいか、どれほど見ていたとしても飽きることはなかった。  元来、アシュレイは人の多い場所を好まない。そうであるにもかかわらず、にぎやかさを億劫に感じないのだから、我ながら単純にできている。  理由など簡単で、イーサンとエレノアの店で、テオバルドが笑っているというだけなのだ。そんなふうに分析していると、目の前にグラスが現れた。正面に視線を戻せば、酒の入ったグラスを持ったイーサンが、にっと笑う。  気楽な表情に、アシュレイは軽く呆れてみせた。 「いいのか、仕事は」 「固いこと言うなよ」  いつもと同じ苦笑ひとつで、イーサンがグラスを揺らす。 「親友(おまえ)が来ているときくらい、優先するさ」 「そうやって、いつも調子良くさぼっているんだろう」 「なにを言う。おまえだけだ」 「……それで? 今日は、なにに乾杯するんだ?」  恒例の攻防を早々に折れて、おざなりに促す。五年前、弟子入りを押し切られたことが良い例で、どうしたところで自分はこの男に勝つことができないのだ。 「そうだな。じゃあ、今日は、おまえとテオに」  乾杯、とグラスを合わせたイーサンが酒を舐める。しかたなく口をつけると、いやにしみじみとイーサンは呟いた。 「しかし、あれほど俺が誘っても顔を出さなかったというのに。テオを預けた途端、こうも来てくれるようになるとはな」 「迷惑だったか?」 「まさか。おまえのそういう義理堅いところも好きだぜ、アシュレイ」  くっくと肩を揺らすイーサンは、どこからどう見ても上機嫌の様相だった。  自分の真意のすべてを見透かされているようで、少しばかり据わりが悪い。  悶々を呑み込んで、アシュレイは長年の友人を見やった。荒れが目立つようになった大きな手。すっかりと厚くなった肩。笑うときにできる、眼鏡の奥の目じりの皺。  着実に年を重ね変化をしているはずなのに、こういうところがイーサンは昔からなにも変わらない。覚えた感慨を誤魔化すように、グラスを傾ける。 「なぁ、アシュレイ」  静かな呼び声に、アシュレイは目を瞬かせた。妙に生真面目な顔だったからだ。そういう表情をしていると、テオバルドとも少し似ているかもしれない。その似た顔で、イーサンが口火を切る。 「おまえが息子を弟子に迎え入れてくれたこと、本当に感謝している」 「なんなんだ、急に」 「あいつには、おまえが必要だった」  笑ったアシュレイと裏腹に、イーサンは表情を崩さなかった。返す言葉に迷って、無言で酒を呷る。そんなもの、という呆れ半分の文句も、アシュレイは一緒に流し込んだ。  言うつもりはない。イーサンが知る必要もない。けれど、かつての一時期、自分にとってなによりも必要だった者はおまえだったのだ。  空けたグラスをテーブルに置いて、もう一度薄い笑みを浮かべると、ようやくイーサンは真面目を解いた。 「まぁ、それに、おまえのとんでもない生活も、多少は人並みになったようだしな」  からかう調子で、イーサンが目を細める。 「俺の息子さまさまだろう」  まったくそのとおりだったので、苦笑いにしかならなかった。  魔法書に夢中になったまま夜を明かさない。朝になったら起きて、きちんと食事を取る。小うるさい弟子だが、何年も欠かさずに言われてしまえば、さすがに多少は正される。  テオバルドのほうを見やったイーサンが、「それに」とどこか呟くように言った。 「大魔法使いさまのずぼらも、とうとう改めたらしいな。そっちは少し驚いた」  イーサンに倣って、ちらりと弟子に視線を送る。  日常のこともすべて魔法で片づけようとするアシュレイの悪癖を、イーサンがよく思っていなかったことは知っている。改めたらどうだと苦言を呈されたこともある。  聞き流していたのは、ひとりだったからだ。今はテオバルドがいる。だから、やめた。  魔力に頼りすぎることは、慣れすぎることは、決して正しいことではない。  「まぁ、そのくらいはな」 「そのくらい、か。俺からすると、なかなかの心境の変化に思えるが。――お、どうした。テオ。エレノアとはもういいのか?」  たたっと近寄ってきたテオバルドに、イーサンがそう声をかける。うん、と父親に向かって頷いたテオバルドが、今度はアシュレイを見上げた。 「師匠は、もうお話は終わられましたか?」 「おい、おい。テオ。それだと、早く帰りたいみたいじゃねぇか」 「時間は限られていますので」  あまりにもしらっとしたことを言うので、危うく笑うところだった。自分が嬉々として母親と話をしていた時間は、なかったことになったらしい。  フードの下で笑みを殺したアシュレイに、イーサンがひょいと眉を上げる。 「良い教育だな、おい。大魔法使いさまよ」 「そうだよ。俺、いつもいっぱい教えてもらってるんだ。本当に師匠はすごいんだよ、父さん」  嫌味と捉えない素直な反応に、アシュレイは思わずイーサンと顔を見合わせた。笑い出した大人たちを、不思議そうにテオバルドは眺めている。まったく、本当にかわいい弟子だ。  ごく自然と伸ばした手で、夜色の髪を掻き混ぜる。その光景にイーサンが目を瞠ったことには気がつかないまま。アシュレイはそっとほほえんだ。フードの下の笑顔を見ていたのは、向けられたテオバルドだけだ。 「帰るか、テオバルド」  誘いに、テオバルドが満面の笑みで頷く。 「はい!」  苦笑いの父親に暇を告げて、立てかけていた杖を取る。 「また、花祭りのころに顔を出せよ」 「そうだな。次はそうしよう」  グリットンの町の花祭りは、美しく、にぎやかだ。去年は参加することなく終わってしまったから、覚えておこうと心に決める。テオバルドはきっと喜ぶだろう。  店を出ると、外は少し暗み始めていた。隣を歩くテオバルドの話にひとつひとつ頷き返しながら、慣れた道をふたりでたどる。  なんとも穏やかな、幾度目かの春の夜だった。

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