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8.花祭りの夜
豊作と夏の訪れを祝う花祭りの日、グリットンの町は年一番のにぎわいを見せる。
日が高い時分から男も女もなく広場で酒を呑み、音楽を奏で、思い思いに歌い、踊る。そんな馬鹿騒ぎが翌朝まで続くのだ。
――年に一度くらいであれば、悪くないものだな。
こういった騒がしい夜も。なによりもテオバルドが楽しそうだ。町の子どもの輪に交ざる弟子の姿に、アシュレイはそっと目を細めた。
森の大魔法使いに、声をかける人間はそういない。それを幸いと石段でひとり静かに酒を呑んでいたのだが、お節介な足音が近づいてきた。しかたなく視線を向ける。
「はぁい、アシュレイ。楽しんでる?」
フードの下を覗き込み、あいかわらずの仏頂面ね、と笑ったエレノアは、持っていた皿を石段に置くと、隣に腰を下ろした。ひとりの時間を邪魔したとは微塵も想像していない様子に、うんざりと名前を呼ぶ。
「エレノア」
「お酒ばっかりじゃなくて、適当になにか食べなさいよ。あの人、森からあなたが出てくるたびに、アシュレイは、アシュレイはってあなたの心配ばかりしてるんだから」
「……」
「本当に、あなたのことを何才だと思っているのかしらね。もしかすると、テオバルドと変わらない年だと思っているかもしれないわよ」
「そんなわけはないだろう」
あってたまるか、と眉をひそめる。そもそもとして、花祭りの日のイーサンは、大忙しで店を回しているはずだ。いい年をした男の心配など、している暇もないだろう。
アシュレイはひとつ呆れた息を吐いた。そう。見た目の年齢がいくつであろうとも、自分ももういい年なのだ。
――それなのに、なにが「見た目と一緒に中身も時が止まっている」、だ。
テオバルドとどこでそんな話をしたのかは知らないが、あんまりな言いようである。だというのに、そうかしら、とエレノアは首を傾げた。
「うちの人、私に、息子じゃなくて、あなたの様子を見てきてくれって言ったわよ。食べる?」
「……けっこうだ」
差し向けられた皿を一瞥して、首を横に振る。
レモンカード・タルトレットとフルーツ・ティーローフ、生クリームのたっぷりかかったストロベリー。甘いものを好まない自分への嫌がらせとしか思えないラインナップだったからだ。
「だと思った」
予想どおりの反応に満足したのか、子どものようにエレノアが笑う。
溜息を返したところで、委縮するどころか、さらに大きな笑い声を立てるだけなのだ。本当に、あいかわらずの気ままな女だ。
もう十年以上前。王立魔法学院にいた当時から、この女はこうだった。
どれほどアシュレイが態度で邪魔と示しても、気にすることなくイーサンを追いかけ回し、自分たちが最高学年になるころにはとうとうモノにしていた。
薬草学の研究会の後輩なんだけどな、素直でかわいいんだよ。そう報告したイーサンのにやけた顔を、アシュレイは今もよく覚えている。
「まぁ、でも、一時期より健康そうな顔になったものね。私もさすがに安心したわ」
「なにが安心だ」
「あのねぇ、アシュレイ。面倒だっていう理由で、草ばっかり食べてる人がそばにいたら、それは気になるわよ」
呆れたふうに言われて、アシュレイは閉口した。
だから、あれは草ではない、と説明したところで、知ってるわよ、とあっけらかんと返すに決まっている。そういう女なのだ。
「でも、今は違うでしょう? きちんとした生活を送ってるんだって見たらわかるわ。まぁ、きちんとつくって食べさせているのはあの子でしょうけど」
くすくすと笑って、エレノアは続けた。
「嫌になるくらい、あの人にそっくりだわ」
その言葉に、ちらりとした視線を送る。なにをどう勘違いしたのか、菓子を大口でほおばっていたエレノアが、きょとんと瞳を瞬かせ、「食べる?」とひとつを差し出してきた。
「おいしいわよ」
無言のまま首を横に振って、酒を手に取る。
――素直ではなく、「図太い」だと思うがな。
エレノアのことである。イーサンいわくの「素直さ」に、アシュレイは共感できたためしがない。なにせ、アシュレイのたったひとりだったイーサンにまとわり続け、恋人の座におさまった女だ。図太い以外のなにものでもないだろう。
いつも笑っていて、その愛嬌だけが取り柄のような女。こぼれかけた溜息を、アシュレイは酒で流し込んだ。
そのエレノアに、アシュレイはたった一度。泣きぬれた瞳で抱き着かれたことがある。
「それにしても、あなた。そんな格好をしているから、誰も怖がって近寄ろうとしないのよ」
花祭りの夜にまでフードを被っていなくてもいいじゃない、とエレノアが眉を寄せる。
「あと、その杖も。大きすぎるのよ」
「大魔法使いは怖がられるくらいでちょうどいい」
「そんなこと言って。緑の大魔法使いさま は、親しみやすいお方じゃないの」
表向きの第一印象が、だろう。内心で呆れていると、エレノアを呼ぶ声が響いた。
「あら。なぁに、ハーバーさん」
遠くで叫ぶ陽気な酔っ払いに、エレノアも声を張り上げる。
イーサンが手伝ってほしそうにしているという内容に、しかたないわね、と食べかけの皿を手にエレノアは腰を上げた。
「まったく。勝手なんだから。じゃあ、またね。アシュレイ。良い夜を」
ふわりと紺地のスカートが翻る。明るいほうへ向かう背中を見送ったアシュレイは、そっと酒を口に運んだ。
「テオバルド」
広場の輪から抜け出てきた弟子に、アシュレイは酒を置いて声をかけた。
「なんだ、もういいのか?」
「はい、大丈夫です」
名残惜しさのかけらもない調子に、抜けてきた方向に目をやる。こちらを窺っている様子の娘が何人かいるのだが、当のテオバルドは少しも興味がなさそうだ。
――今夜くらい、町の子どもに戻って、素直に楽しめばいいものを。
そのために、ローブも杖も置いていけ、と。森の家を出る前に言い諭したのだ。アシュレイなりの師匠心だったのだが、伝わっていなかったらしい。まったく、しかたのないやつだ。
エレノアのように座るでもなく立ったままのテオバルドに、緑の瞳を向ける。
「どうした?」
「あの、これ」
そう言ってテオバルドが差し出したのは、小さな花束だった。
予想外の行動に、軽く瞳を瞬かせる。花を見つめ、テオバルドを見て、また花を見る。可憐な見た目にそぐわぬ、きつい匂い。その匂いに、アシュレイはようやく表情をゆるめた。
「ギプソフィラか」
ぽつりと学名を呟いて、顔を上げる。こちらを見下ろすテオバルドは、どこか緊張した面持ちをしていた。
改めて顔を見つめ、アシュレイは首を傾げた。
「俺でいいのか?」
花祭りで花を渡す行為は、好意と感謝のしるしだ。けれど、基本的には、好いた女に対して行うものである。
後ろ手に持っていることは気がついていても、自分に差し出されると想定していなかった理由がそれだ。だが、しかし。
――気に入った娘か、そうでなくとも、エレノアに渡してやればいいだろうに。
広場のこうこうとした光で、テオバルドの白い頬が赤らんで見える。幼いながらに整った顔を見上げたまま、アシュレイは苦笑を押し殺した。
町の娘など選び放題だろうに、と呆れたのだ。
魔力を持って生まれる人間の数は、そう多くない。王立魔法学院に入学を許可され、宮廷に仕える魔法使いになるほどの素養を持つ人間となると、なおのことだ。
そうして、宮廷魔法使いは下位の貴族と同等、大魔法使いの名を冠する者は中位の貴族と同等の地位と権限を、王より授けられることになる。
大魔法使いに弟子入りをしたテオバルドは、そういった存在になると目されているのだ。加えて、見目も良く、性根も優しい。アシュレイの自慢の弟子だ。娘たちに好かれないわけがない。
だから、多少のお遊びは大目に見ようと決めていたというのに。
――それなのに、本当に、しかたのない。
生真面目な顔のまま、こくりとテオバルドが頷く。
「師匠が、いいいんです」
「……そうか」
けれど、これも、あと三度限りだ。
広場から響くにぎやかな歌声を耳に、おのれに言い聞かせる。
この夜が明ければ、テオバルドが十二の花祭りが終わる。
十三、十四。そうして、十五。アシュレイは内心で時を数えた。
十五の年の花祭りが終われば、テオバルドは魔法学院に行く。そうなれば、こんなふうな夜を過ごすことはないのであろう。
子どもとは、本当に恐ろしい速さで成長していく生き物だ。
まっすぐな瞳を見つめ返して、アシュレイはほほえんだ。手を伸ばし、そっと花束を受け取る。
「ありがとう、テオバルド」
すぐに枯れてしまうだろうから、押し花にしてもいいのかもしれない。そうすれば永遠の愛 が枯れても記憶に残る。アシュレイの中に、変わらず、ずっと。
感じた視線に、顔を上げる。明るい夜に光る星の瞳はどこまでも美しく、たまらなく愛おしいものだった。
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