17 / 57

16.冬の月のような人(後編)

「師匠は、俺の父と親しいんだ」 「なるほど、人嫌いと評判の大魔法使いさまにも、親しい友人はおられるわけだ。やはり、噂は噂だな」  先ほどまでの淡々としたものではない、いつもの飄々としたていだった。笑みを返して、テオバルドも話を続ける。 「この学院の同期生だったんだって」 「え?」  瞠目したジェイデンが、テオバルドに視線を向けた。 「テオバルド。おまえの親父さんは、町で飯屋を営んでいると言っていなかったか?」 「そうだよ。在学中に死にかけて、意識が戻ったときには魔力が枯渇してたんだって」 「……そんなことがあるのか?」 「さぁ」  信じがたいという雰囲気に、苦笑いで首を傾げる。そういう反応をされると承知していたから言わなかったというだけで、事実なのだ。 「俺も父さん以外でそんな人は知らないけど、父さんはそうなんだよ。なんでなのかは、本人もわからないらしいけどね」  父からたびたび聞いた話だった。笑い話として豪快に語る父の横で、母がなんとも言えない顔をしていたことも、テオバルドはよく覚えている。  ――あれ。でも、そういえば、師匠の口から聞いたことはなかったかもしれないな。  口数の多い人ではないので、当然と言えば当然かもしれない。なにせ、ついこのあいだまで大師匠のことも知らなかったくらいだ。  ――それに、友人が死にかけた挙句に魔力が尽きた、なんて話、ふつうはしないか。  おまけに、自分はその友人の息子である。そうテオバルドは納得した。  父は妙に豪胆なところがあるし、話を聞くときの母の困り顔を鑑みても、なにも語らない師匠のほうが正常な反応なのだろう。 「まぁ、それはさておいても、ハロルドが直接頼みに行ったら、師匠は引き受けていたんじゃないかなと思うけど。俺の場合がそうだったから」  なんだかんだと言ったところで、アシュレイは人が良いから押しに弱いんだ、というのが、その特性を逆手に取って息子の弟子入りを成功させた父の言である。  当時は一緒になって笑っていたものの、アシュレイがハロルドを迎え入れなくてよかったと今のテオバルドは思ってしまう。ハロルドが苦手というだけでなく、たぶん、自分は、あの森でアシュレイを独占したかったのだ。  ふぅん、と考えるようにこぼしたジェイデンが、わずかな沈黙のあとで口を開いた。 「おまえにとって、お師匠が素晴らしい魔法使いだということはよくわかる。おまえを見ていたら、よくできた方なのだろうということもわかる。その上で聞きたいんだが、おまえから見た森の大魔法使いさまはどんな方なんだ?」 「どんな方……」  自身に問いかけるように、テオバルドは繰り返した。この学院に入った日、同じ質問をジェイデンにされた覚えはあるものの、結局はっきりと答えていなかったかもしれない。  当時を振り返りながら、テオバルドは答えた。 「師匠は、誰よりもきれいな人だと思う」  顔の造作という話であれば、アシュレイより優れた人はいくらでもいるだろう。けれど、あれほど魂のきれいな人を、テオバルドはほかに知らない。きっと、これからも知ることはないのだろうと思う。 「へぇ、あの誰も見たことがないというフードの下が」 「あ、いや、見た目っていうか……、いや、見た目も悪いわけではないけど」  年齢不詳の童顔と緑の瞳に目が行くだけで、アシュレイはきれいな顔をしていると思う。でも。焦って言い募ったテオバルドに、ジェイデンが破顔した。 「おまえでも、そんなふうに焦ることがあるんだな」 「え……」 「いつも穏やかでなにごとにもストイックで素敵、らしいぞ。おまえは」 「からかわないでよ」 「からかってはない。ちょうど昨日、――誰とは言わないが、テオバルドは誰の告白も受け入れないが、恋人がいるのかと聞かれたところだ」  からかう色しかないそれに、テオバルドは弱り切って眉を下げた。同年代の子どもと過ごさず、アシュレイとばかり過ごしてきた弊害か、こういったからかいにはてんで弱いのだ。  なにせ、花祭りの花を師匠に渡すくらいには、同年代の女子に興味のない人間である。それでもどうにかテオバルドはらしい言い訳を選んだ。 「師匠に追いつくのに必死で、恋愛にかまけていられないっていうだけだよ」  尊敬する師匠へ。   師匠。この学院に入って、一年のうちの半分が過ぎました。王都で迎える、はじめての冬です。先日とうとう、こちらでも雪が降りました。  グリットンの森は、深く積もっていないでしょうか。案ずる必要はないと仰るとわかっていても、ふとした瞬間に師匠のことが頭に浮かびます。  つい先ほども、窓から見えた月がきれいで、師匠のことを思い出しました。俺の髪は夜の色で、瞳は星の色だと師匠はよく仰っていましたが、俺は月を、とくに冬の月を見ると、なぜか師匠の顔が浮かびます。  凛とした空気が似ているからかと考えましたが、もしかすると、もっと単純に会いたい気持ちが強まっているからかもしれません。  このことについて書くと長くなってしまいそうなので、学業についての報告に切り替えることにします。どうぞ、お付き合いください。  ついこのあいだ、はじめての試験がありました。ご存じと思いますが、筆記と実技を組み合わせたものです。努力が実り、一番の成績をいただくことができました。タイラー先生にもお褒めの言葉をいただいたので、師匠の教えの賜物ですとお答えしておきました。  少し驚いたお顔をされたあと、「きみは思ったより父親に似ているな」と仰ったので、俺も少し驚きました。父のことを――タイラー先生もベイリー先生同様に長く勤めていらっしゃるので、ご存じだったとは思うのですが――言葉にされたことははじめてだったので。  後日、ベイリー先生にお聞きしたところ、父はもう少し喧嘩早かったと笑っておられました。父が感情的に怒っている場面を見たことはなかったので、それも少し驚きでした。でも、二十年前であれば、違ったのかもしれないですね。  ベイリー先生から師匠たちの話をお聞きすることはとても楽しいのですが、同じ時代を過ごしたかったという気持ちになることがあります。無理な話と承知しているので、戯言として聞いてください。  師匠とこの学院で三年間を過ごすことができていたら、きっとすごく楽しかっただろうな。そうしたら、三年間会えないということもなかったのに。そう思ってしまうのです。  でも、師匠の弟子にもなりたいので、やっぱり今のままでいいのかもしれません。だから、あと二年半しっかりとがんばります。  立派な魔法使いになって師匠のもとに帰るので、待っていてください。  追伸。いけ好かない相手がいるという俺の愚痴に「石とでも思えばいい」とのご助言ありがとうございました。石と思って接してみたところ、興を削がれたようで、必要以上に絡まれる回数が減りました。大変ありがとうございます。  今後もそのつもりでやっていきます。同じ魔法使いを志す者同士、仲良くすることができればという気持ちもありますが、俺から折れることはできそうにありません。これも「喧嘩早い」というのでしょうか? ジェイデンを見習って、俺も大人になることができるよう努めていこうと思います。  それでは、師匠。寒くなって参りましたので、身体にお気をつけてお過ごしになってください。お忙しいとは存じますが、またお返事をいただけるとうれしいです。  あなたの弟子、テオバルドより。

ともだちにシェアしよう!