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18.あるひとつの終焉(二)

「テオバルド先輩。最終の実技試験、お疲れさまでした。在校生席で拝見させていただきましたが、大変勉強になりました。一位の成績おめでとうございます」  一息にそこまで言ったところで、目の前の少女が赤い顔をさらに赤く染める。 「それで、あの、卒業式のあとのプロムなのですが、まだお相手が決まっていらっしゃらないのであれば、立候補させていただけないでしょうか」  三年生の最終実技試験の結果もすべて出揃い、あとは卒業を待つのみとなった王立魔法学院は、ちょっとした愛の告白シーズンに突入していた。  その例に漏れず呼び出されたテオバルドは、裏庭で後輩と向き合うことを余儀なくされていた。緊張した様子に覚えた罪悪感を、どうにか呑み込む。  何度告白を受けても、慣れないな、と思う。精いっぱいという表情で訴えてくるから、どうにも断りづらいのだ。  ――でも、だからって、引き受けるわけにもいかないしな。  そうである以上、しっかりと断ることがせめてもの誠意だ。自分に言い聞かせ、テオバルドはいつもどおりの断りの文句を口にした。  しばらくのあと、頭を下げて立ち去った彼女を見送り、そっと息を吐く。なんだか、下手な実技試験より疲れた気分だ。本当に、なぜなのだろう。  どれほどかわいいと評判の女の子でも、関わったことがあり、それなりにいい子だと知っている女の子でも、告白をされてうれしいと思うことができないのだ。  この年になっても、自分は恋愛に興味がないままであるらしい。なにせ、学院生主催のプロム自体が億劫で、卒業式が終わり次第、グリットンに帰ろうと目論んでいたくらいである。  実行委員長であるジェイデンに「頼むからやめてくれ」と泣きつかれたので、彼の顔を立てて参加することにはしたけれど。プロムの相手を選ぼうという気は湧かないままだ。言い切ったテオバルドに、ジェイデンは信じられないという顔をした。 「おまえなぁ、テオバルド。卒業する前に楽しもうっていう気はないのか? 今日、おまえを誘いに来たの、二年のグレースだろ。あの子、美人で有名なんだぜ?」 「美人……、まぁ、たしかに、整った顔立ちだった気はするけど、顔ってそんなに重要かな」  どうだったと聞かれたから顛末を話しただけなのに、ひどい言われようである。  自分の机で杖の手入れをしていたテオバルドは、ジェイデンの反応に首を傾げた。杖の手入れは、眠る前に欠かさず行う大事な日課だ。  ――グリットンの森に帰ったら、新しい杖の相談をしないと。  この杖は、学院に入る前にアシュレイがつくり直してくれたものだ。許可をもらって、はじめてテオバルドも一緒に手を入れた。けれど、三年が過ぎ、少し足りなくなってしまった。  成長の証なので、素直に誇らしい。新しい杖の構想はできているから、相談しながらひとりでつくってみたいと考えている。学院を卒業した自分は、見習いではなく、魔法使いなのだ。いつまでも、師匠の加護を受けているわけにはいかないだろう。  丁寧に手入れを続けるテオバルドに、「たしかに、顔はそこまで重要ではないかもしれないが」とジェイデンが認める。どこか呆れ半分といった調子だ。 「じゃあ、聞くが。テオバルドは、どんな子ならいいんだ? それとも、まだ、師匠に追いつくことに必死で、恋愛に興味はないとでも?」 「そうだな。そうかもね」  何年か前に言った覚えのある台詞に、テオバルドは笑った。 「師匠はとんでもなくすごい人だから。師匠に誓って努力を続けてきたけど、まだまだ追いつける気がしないよ。だから、宮廷に勤めようと決めたんだ」  自分自身をより高め、師匠の名に恥じない弟子になることができるように。 「またそれか」  追求することを諦めたふうに苦笑したジェイデンだったが、ふとこんなことを言った。 「それにしても、テオバルドは、よくその言い回しを使うな」 「その言い回し?」 「最終の実技試験の前にも、師匠に誓って全力で戦うと言っていなかったか? それ以外でもたびたび聞いた覚えがあるが」 「本当だ。ぜんぜん気づいてなかった」  合点がいって、テオバルドは頷いた。言われてみると、多用していたかもしれない。手元の杖を見つめたまま、ぽつりと呟く。 「師匠がよく使っていたからかな」  自分と同じで、アシュレイも人並みに神を信じていると思う。けれど、彼は、自分となにか約束を交わすとき、「テオバルドに誓おう」という言い方を選ぶことが多かった。  改めて思い返すと、目の前の相手を裏切らないとするアシュレイの宣誓は、「絶対」という言葉を不確かと断じる彼らしい理論だったのかもしれない。  ――師匠のそういうところも好きだな、すごく。  まっすぐで、どこまでも優しい。知らずほほえんだテオバルドに、「テオバルドは森の大魔法使いさまを本当に尊敬しているんだな」とジェイデンが言う。何度も繰り返したやりとりだ。 「そうだよ」 「尊敬、か」 「どうかした?」  いつもと違った反応に、ベッドのほうを振り返る。縁に腰をかけ、こちらを眺めていたジェイデンは、目が合うとわずかに苦笑をこぼした。  首を傾げたテオバルドに、ジェイデンがまた少し笑う。そうしてから、彼はゆっくりと話し始めた。 「余計なことかもしれないが」 「うん、いいよ。なに?」 「テオバルドのそれは、尊敬というより恋と表現したほうがしっくりとくる気がするな、と。この一年ほど俺は考えていたんだが。どう思う?」 「え……」  予想もしていなかった台詞に、杖を持ったまま固まる。 「いや、どう思うって……」  杖とジェイデンを無意識に見比べたテオバルドだったが、どうにか落ち着こうと杖を所定の位置に戻した。小さく息を吐いて、「その」と呟く。  けれど、なにをどう言ったらいいのかも、よくわからなかった。そもそも、この一年ほど考えていたとジェイデンは言っていたけれど、自分のどの言動から突飛な思考に至ったのだろう。  ぐるぐると頭を回転させつつ、どうにか言い募る。 「それは、師匠は、本当に、あたりまえに、すごい魔法使いだけど。でも、それだけじゃなくて、すごく素敵な人だから、弟子として尊敬しているけど」 「なぁ、テオ」  愛称で呼ばれて、テオバルドはぴたりと口を閉ざした。  友人として過ごす時間が長くなるにつれ、ごく自然と愛称で呼ばれる機会が増えた。逆も同じだ。テオバルドが愛称で呼ぶこともある。だから、珍しいことではない。  それなのに、父に穏やかに宥められたときと似た心地になったのだ。あまりないことだったものの、父とふたり、実家の店で話しているときのような。  ――あのなぁ、テオ。おまえが心配しなくても、あいつはひとりでもやっていくさ。  そんなこと、父に知った顔で言われなくてもわかっていた。自分は子どもで、弟子で、父のように親しげに「あいつ」と呼ぶことは絶対にできない。心のどこかで、そう思った。  あのもやもやとした感情は、嫉妬だったのだろうか。 「どう思うとは言ったが、今すぐに答えを出せという話じゃない」 「……うん」 「会う前に、一度考えてみてもいいんじゃないかという話だ」 「うん」 「やはり、余計なことだったな」 「ううん」  申し訳なさそうな苦笑いに、テオバルドは頭を振った。興味半分で心の中に踏み入る人間ではないと、十二分に知っている。 「そんなことない」  さまざまな記憶が脳裏を駆け巡っていく。テオバルドをかたちづくった大切なすべてで、かけがえのない、なにひとつ忘れたくないもの。  あの静かで温かな日々の中で、彼を信頼し、彼を愛した。  ――渡す相手は、俺でいいのか?  グリットンの花祭りに、アシュレイが連れて行ってくれたことがある。夏の訪れと豊作を祈る町の祝祭。毎年ではなかったものの、たびたび一緒に足を運んだ。  おそらく、年に一度くらいは、自分を町の子どもに戻そうと考えてくれたのだと思う。そういう人だった。でも、いくら気にせず遊べばいいと言われても、アシュレイの隣で祭りを眺めるほうがいいと自分は思っていた。  彼の周囲はいつも静かな空気に満ちていて、テオバルドはそれが好きだったのだ。冬の月と彼のことを手紙に書いた夜を思い出す。テオバルドの行く道を照らす、美しい孤高の存在。  憧れで、誇らしかったけれど、もっと身近に触れたくて、花を渡した。  そうすれば、きっと。緑の瞳に愛おしさを溜めて、ほほえんでくれると思ったから。 「……その」 「ん? なんだ?」 「ジェイは、なんでそう思ったの?」  この国は、同性愛を禁じているわけではない。そういった嗜好の者もいる。けれど、少数派だ。だから、自分がそうだとは微塵も思っていなかったのだ。でも、そうなのかもしれない。  自分は、ずっと師匠のことが好きだったのかもしれない。そうでないと、この感情は、あまりにも大きすぎる。 「なんとなくだ」  同じ年の同級生のはずなのに、自分を見るジェイデンの瞳はやたらと年上じみていて、それがどうにも居た堪れなかった。  自覚がないわけではなかったものの、もしかしなくても、自分は年よりかなり幼くできているのだろうか。 「テオから聞く大魔法使い殿の話は、魔法使いとしての素晴らしさを語るものも多かったが、それ以上に身近な話が多かったからな。聞いているだけの俺でも、案外とかわいらしい人なのだなと思うくらい――冗談だ。テオバルド。その目をやめろ」 「……ごめん」  自分がどんな目をしていたのかという見当はつかなかったが、呆れられていることはわかったので、テオバルドは素直に謝った。そうして、自分自身に言い聞かせる調子で、うん、と頷く。 「ちょっと、考えてみるよ」  それがいい、とジェイデンは笑った。  案の定と言うべきか、その夜、テオバルドはなかなか寝つくことができなかった。何度目かの寝返りを打って、声にならない声で呟く。  ――好き、か。  アシュレイのことは、あたりまえに好きだ。師匠として尊敬している。憧れている。笑っている顔を見るとうれしいし、ずっと一緒にいたいと願っている。手紙が届くとうれしくて、彼のことを想像しながら何度も読んだ。  はぁ、と溜息のような吐息がこぼれる。  アシュレイのことばかりを考えていたせいか、無性に逢いたくなってしまったのだ。三年近く我慢して、あともう少しで逢うことも叶うのに。逢いたくてしかたがない。  あの緑の瞳を間近で見たい。自分だけに注がれる愛情を一身に浴びていたい。あの声でテオと呼ばれたい。きっと、もう、自分のほうが大きくなった。見上げなくとも視線は合うし、幼い子どものような庇護を受ける必要もない。  大魔法使いの彼には及ばなくとも、会いに行くころには自分も一端の魔法使いだ。  だから。撫でられることを待つのではなく、手を伸ばして、触れたい。はじめて覚えた欲求に、テオバルドははっとした。  ……逢いたいな。  噛み締めるように呟く。逢いたい。  恋しいというものは、こんな感情なのだろうか。父と母に対する「愛している」では到底足りない、感情の名前は。  きっと、自分は、そういう意味で彼のことが好きなのだ。  師匠だからだとか、そういったこととはなにも関係がなく。アシュレイのことを好きなのだと思い知った。眠れそうになくて、シーツに頭を擦りつける。  我ながら、本当に遅い初恋の自覚だったと思う。

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