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21.プロローグ

 親愛なる私の弟子、テオバルドへ。  おまえがこの手紙を見るとき、おそらく俺はこの国にいないだろう。  卒業を直接祝ってやることができず、すまなかった。だが、王命と言えば、今のおまえには十分な説明になるだろうか。  詳しく書くことはできないが、必要のない話であるのかもしれないな。おまえは学院を首席で卒業し、宮廷の魔法使いとなる人間だ。もう師匠の加護は必要ないだろう。  テオバルド。宮廷に勤めることを決めたおまえの判断は正しい。  素直なおまえは師匠のあとを追わねばと考えていたのだろうが、学院に入ってわかったはずだ。だからこそ、正しい道を選んだのだろう。  おまえはそのまま、おまえの道を行けばいい。  人生のほんのひととき、おまえの師であった者として、おまえの幸せを心より願っている。  卒業の日に受け取ったその手紙を、師匠からの決別と捉えた自分の判断が正しかったのか、そうでなかったのか。  四年が経ち二十二才になった今も、テオバルドは答えを出すことができずにいる。 「テオバルド先輩! すみません、ちょっといいですか?」 宮廷の離れにある総合研究部を出ようとしたタイミングで響いた声に、テオバルドとジェイデンは揃って足を止めた。会話を中断し、研究部内部を振り返る。 「あぁ、なに。ミリー、どうしたの?」 「今晩の祝賀会のことで、いくつか確認をしたいのですが。たびたびすみません」  宮廷お仕着せの濃紺のローブをまとったミリーが、進行をまとめた紙束を一枚捲る。彼女らしい几帳面な文字が書き込まれた紙面を、テオバルドは覗き込んだ。  魔法学院の三学年後輩にあたる彼女は、宮廷に入ってちょうど一年になる直属の後輩だ。質問を受ける機会は多いが、よほど忙しくない限りは丁寧に時間を取るよう心がけている。自分もそうやって育ててもらったからだ。 「うん。それで大丈夫。ありがとう、ミリー。忙しくなると思うけど、よろしくね」 「はい、ありがとうございました」  幼さの残る顔にはにかんだ笑みを浮かべて、ミリーが頭を下げる。晩夏の光に照らされた金色の髪が眩しく、テオバルドはふっと目を細めた。  ――懐かしい色だな。  師匠であったアシュレイの髪の色と、どこか似ている。もう何年も、目にしていない色。  宮仕えの選択を正しいと彼は手紙で評していたが、そのとおりだったとテオバルドも思う。なにせ、この国で一番高度な研究を行うことのできる場所だ。魔法使いとしての能力を高める上で最適な環境に違いない。  有事の際は率先して出兵することになる身だが、この数十年、幸いなことにフレグラントル王国は戦火に脅かされていない。この平和が長く続けばいい。 「ごめん。待ってくれてありがとう、ジェイデン」 「それはかまわないが、あいかわらずよくモテることだな。噂はいろいろと聞いているが、研究部内で迂闊に手を出すなよ。とくに彼女はな。ハロルドのお気に入りなんだ」 「人聞きの悪い」  宮廷に入り、早四年。テオバルドもジェイデンも、今やすっかり若手をまとめる立場だ。今日もこのあとは、祝賀会の最終の打ち合わせが入っている。軽く眉をひそめて、テオバルドは歩き始めた。 「そもそも、ミリーにも失礼だよ。彼女は熱心に取り組んでいるだけだろ」 「その妙な鈍さもあいかわらずだな」  学院生時代と変わらない調子で笑ったジェイデンが、眩しそうに晴れた空を仰いだ。隠しきれない疲れのにじんだ横顔だったが、自分も似たようなものだろう。日々の業務と並行した祝賀会の準備で、みな疲労が蓄積しているのだ。  ――大魔法使いさまのご帰還は、なにからなにまで大仰だな。  どこか冷めた思考で、そんなことを思う。小さく溜息を吐いたテオバルドに、ジェイデンは意味深長な視線を流した。 「それにしても」 「ん? なに。ジェイデン」 「ようやくお師匠が帰ってこられるというのに、おまえは少しもうれしくなさそうだな。緑の大魔法使いさまはたびたび戻っておられたが、おまえのお師匠は一度も戻られていなかったのではないか?」  そんなことないよ、という否定を、寸前で呑み込む。あのころの自分を知る彼には、嘘くさいとしか響かないとわかったからだ。 「どうだろう。忙しさのほうに意識が行っているのかもしれない」 「まぁ、とんでもなく忙しかったことには同意するが」 「だろ? 変に浮かれてミスを出すわけにもいかないし」  なんでもないふうに笑って、それに、とテオバルドは言葉を続けた。 「あのころの俺は年より幼かったと自分でも思うけど、さすがにもう大人になったよ」  師匠が一番で、それだけでいい。そんなふうに無邪気に言い放つことのできる子どもでは、もうないのだ。  もちろん、一般論として、弟子であった者として、師匠であった大魔法使いの帰還を喜んでいるつもりでいる。ただ、どんな顔で出迎えたらいいのかが、わからないというだけだ。  急ごう、と話を打ち切るようにジェイデンを促して、テオバルドは足を速めた。遠征隊の謁見が終われば、夜は祝賀会。今日は長い一日となることだろう。  自分が学院を卒業すると同時に、王命で北の果て地に赴いた森の大魔法使いは、本日、四年ぶりに王都に戻る。

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