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22.大魔法使いの帰還(前編)
「テオバルド。森の大魔法使いさまへのご挨拶はよかったのか。弟子だったのだろう?」
連絡事項のやりとりの最後。先輩に気を回されてしまい、テオバルドは眉を下げた。
祝賀会の会場は尽きぬ話で盛り上がっているらしく、自分たちのいる渡り廊下まで大きな声が届いている。会場に背を向けたまま、テオバルドは笑顔をつくった。
「お気遣いありがとうございます。ただ、仕事もありますので」
「あいかわらず真面目なやつだな。少しくらい抜けてもかまわないが」
「ですが、遠征隊の帰りを待っていたのは、私だけではありませんから」
固辞の理由として使ったものの、事実である。遠征隊に参加したメンバーの多くは宮廷魔法使いで、彼らをよく知る先輩たちは再会を心待ちにしている様子だった。
そうである以上、遠征隊の面々が発って以降に宮廷入りした自分たち若手が率先して裏方に従事すべきだろう。
言い切ったテオバルドに、先輩はわずかに呆れたふうな苦笑を浮かべた。頑なな態度と思われたのかもしれない。
「なら、いいが。不義理にならないよう、あとで顔は出しておけよ」
「そうします」
「しかし、森の大魔法使いさまとは面識があまりなかったのだが、お噂とは随分と雰囲気の違う方なのだな」
「そうですね」
そうかもしれません、とテオバルドは曖昧に頷いた。そうとしか言いようがなかったからだ。
休憩に入る先輩と別れ、反対の方向に歩き出す。彼は会場へ向かったようだった。休憩中の会場への出入りは自由となっている。みな、遠征隊の面々と話したいのだろう。
――お噂とは随分と雰囲気の違う方、か。
先輩は角の立たない言い方を選んでいたけれど、言いたいことはよくわかった。ほとんど同じことを、謁見の間で自分も感じていたからだ。
いや、でも、あたりまえか。思い直す調子で、ゆるりと頭を振る。王の前で「あの態度」を貫くほうが大問題だろう。見た目がどうであれ、あの人はいい大人なのだ。
わかっているのに、違和感が強く腹に巣くっている。消化できないまま、テオバルドは祝賀会の会場を振り返った。窓からこぼれる、こうこうとした明かり。
あの場所で、あの人が。大魔法使いらしい振る舞いをしているのだと想像すると、やはり、少し妙な感じがした。
――よく働いてくれた。我が国の誇る大魔法使いよ。顔を上げてくれ。
王の言葉に、遠征隊の成果報告を終えた大魔法使いがゆっくりと顔を上げる。
記憶に懐かしい、深緑のローブ。宮廷魔法使いの一員として謁見の間に列席したテオバルドは、フードを脱ぎあらわになった容貌に息を呑んだ。
少しぱさついた金色の髪に、緑の瞳。少年のような丸みを帯びた頬。そのいずれもが、最後に見た当時からなにも変わっていなかったからだ。
――森の大魔法使いアシュレイ・アトウッドにございます。遠征隊十余名、ムンフォート大陸の果てエンバレーより帰還いたしました。次の春には、あの土地にも緑が芽吹くことでしょう。
密やかなざわめきをものともしない、凛とした声だった。
――いえ、陛下。誠にもったいないお言葉でございますが、フレグラントルと民の平穏こそが我ら魔法使いの望むものでございます。
望みを問われた緑の大魔法使いの答えに次いで、アシュレイが再び口を開く。
懐かしいはずなのに、どうにも耳慣れない。その声が、別人のごとき穏やかな言動が、テオバルドの中で途方もない違和感に成り代わっていく。
――この国に長き平和と緑の恵みを。それが美しきフレグラントル王国に生を受け、魔力を授かった私どもの唯一の願いでございます。
自分たちの国の誇る大魔法使いふたりの言葉に、静かな歓声が沸き起こる。高まっていく興奮の中、ひとりテオバルドは表情を歓喜に変えることができないでいた。
あれが、森の大魔法使い。心の中で呼び名を呟く。それは、自分のまったく知らない師匠の姿だった。
「テオバルド。お師匠へのご挨拶はよかったのか? おまえの担当分も、そのあいだくらいでよければ、代わりに俺が見てやるが」
「ジェイデン」
遠慮も会釈もなく背中を叩かれ、苦笑いで振り返る。
「アリソンさんにも言われたばっかりだよ」
「なるほど」
まじまじとこちらを見つめると、ジェイデンはひとつ大きく頷いた。
「まぁ、言いたくなる気持ちはよくわかる」
「言いたくなる気持ちって……」
「代わりに見てやると言ったが、実は、もう交代の時間でな」
「え」
驚きの声を上げたテオバルドに、ジェイデンがからかう調子で種を明かした。
「ミリーが気を揉んでいたぞ。テオバルド先輩が無心で働いていらっしゃるので、交代の時間が過ぎていることを申し上げづらい、と」
「……本当だ」
懐中時計で時間を確認して、呆然と呟く。たしかに十五分ほど過ぎてしまっていた。言ってくれたらいいのに。
深々と溜息を吐けば、再びぱしんと背中を叩かれる。
「だから、代わりに申し上げに来たわけだ。残りはもう交代させておいたから気にするな」
「…………ありがとう、ジェイデン」
「どういたしまして」
にっと笑ったジェイデンが、会場のある建物へと視線を向けた。先ほどまでテオバルドも見ていたところだ。
「それにしても、噂もだが、おまえから聞いた話とも随分と雰囲気の違うお方だったな。森の大魔法使いさまという人は」
それもアリソンさんに言われたよ、と返す代わりに、テオバルドは首を横に振った。
「いっそのこと、もっとはっきりと言ってくれ」
「いや、随分とまともそうな御仁だったな、と。……だが、まぁ」
テオバルドに視線を戻すことなく、半ばひとりごちる調子で続ける。その横顔からは踏み込むラインを図りかねた雰囲気がにじんでいた。
「どう見ても、十五、六の年にしか見えなかったが」
どう説明すべきか悩んだ末、昔からだよ、とテオバルドは答えた。ジェイデンにしても、ある程度の見当はついているに違いなく、誤魔化せるものでもなかったからだ。
「そういうふうになってるんだ」
はじめて出逢った七つのときも、十五であの人のもとを離れたときも。アシュレイはなにひとつとして変わっていない。変わるのは自分ばかりだ。
そうして、とうとう、姿かたちだけはあの人を追い抜いた。その現実を目の当たりにしたから、息を呑んでしまったのだと思う。
――わかっていたはずだったのにな。
夜になり少し涼しくなった風が、渡り廊下を吹き抜けていく。
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