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24.帰郷(前編)

 だから、王都も宮廷も嫌なんだ、との悪態を呑み込む日々を送ること、約十日。  帰還に伴った諸々の手続きを終え帰路についたアシュレイは、グリットンの夕方の町並みを見渡していた。  変化の目まぐるしい王都と違い、四年前とほとんど変わった様子はない。その事実に、フードの下でほっと息を吐く。やはり、自分にはこちらの空気が合っている。  ――だが、必要以上に疲弊させられたのは、ルカのお節介のおかげだな。  まったく、なにが「いつまでそうやってフードで顔を隠しているつもりかな」だ。  頭に浮かんだいかにも善良な師の笑顔に、アシュレイは苦虫を噛み潰した。アシュレイ自身はなにも不満でないというのに、あの師匠は現状を気に入っていなかったらしい。  問題はないとすげなく返したアシュレイに、ルカはここぞと悲しい顔をした。その調子のまま、「大事に育てたかわいい弟子が、同じ轍を踏むとは思わなかった」、「一報が入ったときの私の心痛はいかばかりか」、「それなのに、きみはこの年になっても師匠心をわかってくれないわけだ」などと訴えられてしまうと、折れざるを得ないのは自分である。  フードを脱ぐ約束を結んだのは、そういった経緯だったわけだが、蓋を開けてみれば、自分の想定どおり。宮廷での滞在中、散々に好奇の視線を浴びただけだった。  そもそもの話だが、あの見た目にもかかわらず、大衆の信頼と敬愛を集める師匠が規格外なのだ。同じものになることなど、できるはずもない。  それなのに、まったくお節介な話だ。辟易と目的地に向かっていると、幼い子どもふたりとすれ違った。友人とのお喋りに夢中の様子で、こちらの正体に気づくことなく歩き去っていく。出会ったばかりのころのテオバルドと、よく似た年恰好だった。  ――あのころは、テオバルドもよく喋っていたものだが。  口数が少なく取っつきにくかっただろう自分にも、テオバルドは人懐こい笑顔を崩さなかった。  いつでもアシュレイのそばにいたがり、任務で森を離れるたびに、師匠、師匠、とまとわるので、扱いに困ったくらいだ。 「……」  いや、それほど大人になったということだな。哀愁を箱にしまい、そっと頭を振る。  無邪気に師匠にまとわりついた年は過ぎ、頻繁に長い手紙をしたためる時期も過ぎ去った。身長も伸び、顔つきも大人になった。すべて正しい成長の結果で、それだけのことだ。  置いて行かれることには、慣れている。幼いテオバルドを連れた当時と変わらぬ大きさの手で、アシュレイはイーサンの店の扉を押し開けた。 「いらっしゃい――って、やだ、アシュレイじゃない」  四年ぶりの再会に目をぱちくりとさせたエレノアが、慌てた様子で店の奥に声を張り上げる。 「ちょっと、イーサン! アシュレイよ。アシュレイ」 「アシュレイが?」 「そう。帰ってきたの。嫌ねぇ、連絡してくれたらいいのに」  イーサンにそう言ったところで、ひさしぶりじゃない、とエレノアは明るい笑顔を見せた。無沙汰だった客を出迎えるときと同じ、いつもの調子。 「大魔法使いさまのご帰還で王都がにぎわっていることは知っていたけど。こっちに戻ってくるなら、王都から手紙のひとつでも送ってくれたらよかったのに。わかっていたら、もっと盛大に歓迎したわよ?」  気取らない会話に、大魔法使いの登場で止まりかけた時間が、ゆっくり動き出す。  不快になるほどでもないざわめきと、どこか見覚えのある面々。店内を一瞥し、アシュレイは首を横に振った。 「けっこうだ」 「けっこうって、ちょっと、本当にあいかわらずね。四年ぶりだっていうのに冷たいんだから」 「照れてるんだよ」  知っているだろうと言わんばかりの穏やかな声に、アシュレイはエレノアから視線を外した。 「イーサン」 「よう、アシュレイ。ひさしぶりだな」  厨房から顔を出したイーサンが、人の良い笑顔で近づいてくる。 「よく帰ったな、おつかれさん。それにしても、今回は随分長かったな」  大変だったろ、と労われ、アシュレイは目元をゆるめた。 「あぁ。ただいま帰った」  懐かしい笑顔と声に、帰ったという実感がじわりと動く。やはり、自分にとってこの店はそういう場所であるらしい。しみじみとしていると、エレノアがアシュレイの背中を叩いた。 「ほら。いつまでも入口に立ってないで、中に入って座りなさいよ」 「いや、俺は」 「なによ。まさか顔だけ出して帰るつもりだったの? あの家、なにもないでしょう。ゆっくりしていったらいいじゃない」  有無を言わさぬ態度で腕を引かれ、眉をひそめる。四年ぶりだろうがなんだろうが、エレノアはあいかわらずの気ままさだ。 「エレノア。そう気安く男に触るな」 「あら。ご心配どうも。でも、私、あなたのことは大きな息子にしか思えなくて」 「俺はおまえの先輩にあたるはずだが」 「二十年以上前の話を持ち出さないでちょうだい。それで? どうするの」  強引に案内された席は、かつてよくテオバルドと使っていたものだった。店の奥の、ふたりがけのテーブル。しかたがないと溜息ひとつで椅子を引き、杖を立てかける。 「酒でいい。王都で散々ルカに付き合わされたんだ」 「あいかわらずみたいね、緑の大魔法使いさまも。ちょっと待ってて。イーサンに伝えてくるわ。要望が通るかどうかはわからないけど。あの人、あなたを見ると食べさせたがるのよ」  機嫌の良い顔で請け負ったエレノアが、イーサンのところへ駆け寄っていく。背中を見送ったアシュレイは、改めて店内を見渡した。  この席に座り、エレノアや常連客と話をするテオバルドを眺めていた日々は、四年どころではない昔の話だ。承知しているのだが、昨日のことのように思う瞬間がある。  十四才のテオバルドは、魔法学院の三年を途方もなく長いと評したが、アシュレイにとってはあっというまの年月だった。そのあとの、会わなかった四年も含めて。  ――だが、まぁ、大きくはなったな、本当に。  まっすぐに自分を見上げていた星の瞳に混ざる、表現のしがたい戸惑い。  変わらないものをいくつ探し懐かしんだところで、本当の意味で変わっていないものはなにもない。真理から外れた存在を除けば、世界はそういうふうにできている。  見渡した視線が最後にたどり着いた、楽しげにイーサンに耳打ちをするエレノアの横顔。その光景から、アシュレイは静かに視線を外した。

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