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26.愛惜
何年も変わらないものは、気味が悪い。自分と離れたことで、あの子どももようやく事実に気がついたのかもしれない。
しばらく考えて、アシュレイはその結論に到達した。そうであるとすれば、道理をわかっていない年の子どもに顔を晒し続けた自分の落ち度であったのだろう。
――それにしても、イーサンはそこまで変わっていないと言っていたが、あれは随分と擦れていないか?
森の家で手紙を片づけつつ、アシュレイは頭を悩ませていた。
数日前に顔を合わせたテオバルドのことである。大人になったはずが、なぜか思春期の子どものようにも見え、どうにも扱いに困ったのだ。
聞き分けの良い上品な子どもというふうだったあの弟子は、いったいどこへ行ったのか。
ルカの言うように遅れに遅れた反抗期というやつか。それとも、多忙な宮仕えで精神をどっぷりとやられでもしたか。
後者であるのなら、まったく気の毒な話だ。まぁ、多少ツンケンとされたところで、かわいいことに違いはないのだが。
手紙を箱にしまい、居間の窓を開け放つ。光と一緒に入り込んだ薬草園の香りに、アシュレイはふっと目を細めた。
大がかりな掃除を覚悟していた室内は、予想を裏切り随分ときれいに保たれていた。もしかすると、エレノアが気を利かせてくれたのかもしれない。
今日あたりやってくるだろうから、確認はしておこう。そんなことを考えていると、外からエレノアの気配がした。フードを被り直し、扉を開ける。
しばらくすると、予想どおりの姿が森の中から現れた。籠を手に近づいてきたエレノアが、こちらに向かいにこやかに手を振る。
「こんにちは、アシュレイ。カモミールを貰っていいかしら。やっぱりあなたの畑のカモミールが一番良いの。あなたの魔力を食べて育っているからなのかしらね」
「エレノア」
「調子はいかが? と言っても、あなたは昔から変わらないけれど。そんななりだから、あの人の心配も尽きないんでしょうね」
いつもの口上といったふうに笑ったエレノアが、慣れた調子で薬草園に入り込んでいく。
本当にいつものことであったので、アシュレイも無言でそのあとを追った。混ざり合った薬草の匂いがぐんと強くなる。
「あれは、きっとあの人が死ぬまで続くわよ。テオバルドに受け継がれないといいんだけど。父子揃って大魔法使い に首ったけだなんて、笑えないんだから」
「イーサンが首ったけなのはおまえだろう。テオバルドについて言えば、あの年で母親 に首ったけだといささかまずい気はするが」
「そうね」
しかたなく応じれば、それはそうだわ、というあっけらかんとした返事。本当に、そういうところがあいかわらずにできている。
要領良くてきぱきと薬草を摘む姿を見守っていると、エレノアが口火を切った。
「今月も、イーサンに変わりはないわ。あいかわらず、魔力の魔の字もないけれど、至って健康。でも、健康すぎることもない。ちゃんと人間」
「そうか」
それならばなによりだ、と心の内で呟く。直に耳にする四年ぶりの報告結果に安堵を得、腰をかがめ薬草を摘み取っていくエレノアを再び見つめる。
そばかすが浮き桃色だった頬には年相応の疲れがにじみ、トレードマークだったおさげのみつあみは、低いところでひとつにまとめる髪型に変わった。
まさに成人した子どものいる母親というふうで、「すっかり老けちゃったわ」とエレノアは笑うが、美しい変化だとアシュレイは思っていた。イーサンにしても同じだ。イーサンとエレノアがふたり並び年老いていくところを、自分はひとり遠くから眺め続けている。
そうして、小さかったテオバルドも、とうとう自分を追い越してしまった。
「じゃあ、これで。また来月に来るわね。よろしく、アシュレイ」
「エレノア」
「なにかしら」
呼び止めたアシュレイに、エレノアが不思議そうな顔をした。めったとないことだったからだろう。
「留守にしているあいだ、家の中の面倒も見てくれていたのか?」
「まさか。あなたの家なんて、どんな恐ろしいものがあるかわからないもの。怖くて入る気も起きないわよ。頼まれた薬草園の管理はしていたけれど」
笑って否定したエレノアが、だから、と家を見やる。
「テオバルドよ」
なにをあたりまえのことを言っているのと言わんばかりの調子だった。考えるように軽く瞬いたアシュレイに、諭すようにエレノアは続ける。
「むしろ、あの子じゃなかったら、誰の仕業だと思っていたのよ。そもそも、あなた、この家に入ることのできる人間を制限しているでしょう。その制限を通り抜けて、かつ、あなたが不快にならない範囲で手を入れることのできる人間なんて、あなたの弟子しかいないと思うのだけど」
「……」
「違うかしら?」
「……いや、そうだな」
認めて、アシュレイはわずかに苦笑をこぼした。
「そうだ」
「そうよ」
にこりと母親のような顔でほほえんで、今度こそエレノアは背を向けた。濃い青いスカートの裾がふわりと秋の風に舞う。夜の色と評し、愛したテオバルドの髪と、少し似ていた。
帰る日は伝えなかったから、自分の帰還を知って手を入れたわけではないはずだ。そうであるのならば、いつ帰ってもいいように、定期的に手を入れてくれていたのだろう。
――王都での仕事も忙しいだろうに。
イーサンも忙しそうにしていると言っていたし、実際に宮廷で姿を見かけるときは、いずれも忙しそうな様子だった。それなのにと思えば思うほど、気持ちが柔らかになる。
――本当に、そういうところばかりマメにできているな。
学院に在籍していた当時も、テオバルドは約束のとおり頻繁に手紙を寄こしていた。
手紙を書く時間を友人と過ごす時間に充てればいいだろうに、と。まったく思わなかったと言えば嘘になる。けれど、届く限りはありがたく受け取ろうと決めていた。
テオバルドらしい几帳面な文字で綴られた手紙は、テオバルドの努力や、学び、そうして、はじめて得た知己との交流の喜びであふれていて、ひとりになったアシュレイの心を潤わせた。だが、それも昔の話だ。
三年が長かったことと同じくらい、テオバルドにとって宮廷魔法使いとなってからの四年は長くも充実したものであったことだろう。自分と森で過ごした日々と同じだけの時間を、あの弟子は外で過ごしている。そうして、正しい居場所を見つけたのだ。
そのすべてが、かつての自分が望んだことだった。
――おまえのこれからに、限りない幸福があらんことを。
開いたおのれの右手を、アシュレイは緑の瞳でじっと見下ろした。代わるべき災厄は、まだ訪れていない。
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